見果てぬ夢

様々な土地をゆっくりと歩き、そこに暮らす人たちに出会い、風景の中に立てば、何か見えてくるものがあるかもしれない。

「団塊世代にはもっと枯れていてほしい」

2007-02-05 20:00:03 | 生き方・生活
山田太一脚本の団塊世代応援ドラマ「まだそんなに老けてはいない」が先週、テレビ朝日系で放送された。

ドラマの内容はさて置き、新聞TV欄のキャッチコピー<心がざわめく『大人の恋』>に目が留まった。執筆記者名入りの番組紹介記事だ。

■(ドラマのストーリ紹介、省略)。見た後に心がもやもやし、団塊世代にはもっと枯れていてほしい、と願う自分に気づいた。これはもちろん偏見で、これこそが「大人の恋」の障害なのだろう。いくつになっても心ざわめく時はあるのだろうが、そういう自分にいつも正直でいるのは大変なことだと思った。■

うーん、そうなのか。あまりに素直なコメントに苦笑した。
この硬派といわれる全国紙のTV欄記事では、執筆記者の価値観、主観がぽろぽろ出ていて楽しい。この記事を書いた記者は、恐らくかなり若いのだろう。もしかすると自分を失うほどの恋はまだ未経験なのかもしれない。

ドラマの主人公は、中村雅俊と余貴美子。中村雅俊の妻は原田美枝子、余貴美子の夫は岸部一徳だ。私は原田美枝子と同年齢。
若い新聞記者にとって、彼ら(私)くらいの年齢になったら「枯れていてほしい」と思うのが一般的なのかもしれない。彼女が「自分もその年齢になったら枯れるだろう」と思っているかどうかは別にして。

この思考傾向は、性をタブー視してきた日本人独自の感覚なのだろうか。

私はもうすでに中年だが、自分より年配の方々が恋にときめいたり、己の性を正直に語る姿にほっとする。自分がその年齢になった時にも、そうあっていいのだと安心する。
異性を意識するのはいくつになっても自然、お洒落して、カウンターバーで語り合いたい、夫婦同士であっても、と思う私は、件の放送担当記者から見れば、鬱陶しい中年なのかもしれない。

人々が中高年の恋愛感情や恋愛行動を不快に思うかどうかは、各国や地域の文化によっても異なるだろう。
少なくとも、「女性は産む機械」という発想が生まれる国では、産む年齢を過ぎた男女の心の機微やいつまでも異性にときめく感情などはないいものとされ、疎んじられ続けるのかもしれない。


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