見果てぬ夢

様々な土地をゆっくりと歩き、そこに暮らす人たちに出会い、風景の中に立てば、何か見えてくるものがあるかもしれない。

一億円の夜景

2007-02-06 22:48:34 | 生き方・生活
ふと、夜に通りかかった文化施設の庭に、
浮かび上がる光の柱があった。

一億円の御影石のモニュメント。
夜にも、その存在を浮かび上がらせるためのコスト。

確かに美しい。
夜会に向かう人の足元を照らしていた。




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3 コメント

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Unknown (lemon)
2007-02-07 09:48:25
政治はお金のシフトだと思います。
何を基準で税金をつかうのか

このモニュメントも悪くないのかもしれません。しかし同じ1億を使えば、さらにこんな施策もできる。というような、セクションをまたいだ使い道の検討が行政にほしいと思います。
抽象的ですが、人が幸せに生きられるために必要なものの質を確保してそれを高めていく思考が行政のリーダーにほしいと感じます。
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リーダーと市民 (ワイン)
2007-02-07 23:23:48
企業、雇用、便利な生活、贅沢な都市造り・・・何を保持し、何をスクラップし、何にシフトしていくかという見通しと決断が行政トップに求められているのですが、一方で、市民がコミットする場や入り口についても検討の余地を痛感します。
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公共事業 (八方)
2007-02-11 18:35:48
公共事業は、所得の再配分機能の最たるものであると思います。
政治とは、所得の再配分を行うことであり、富める者から、貧しき人への富の移転が目的です。
富の再配分機能が、透明公平で行われていれば問題は無いのですが、権力には不透明さがつきまといます。
権力は絶対に腐敗します。
生まれた環境により、貧困に直面しなければならない人もいます。
それらの人たちを如何に守るかが重要なのではないでしょうか。
市場に任せれば、富める者が富むだけであるという人もいますが、決してそうではないと思います。
富を得たものは、その富を得た分だけ責任をおわなければなりません。
本来。

アメリカは富の再配分機能が戦争によって行われています。
日本は公共事業によって行われています。
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