NHK・TVの「北京オリンピック総集編」を観た。
次々と映し出される選手たちの闘う姿に、何度か涙腺が緩んだ。
「柔道vsJUDO」とサブタイトルを付けた柔道編では、
「日本の本来の柔道と、世界のJUDOのルールとスタンスの違い」に焦点が当てられていた。
指導や有効ポイントが勝敗の鍵を握る世界JUDOでは、
日本柔道が大切にしてきた「間合い」や「一本勝負」が活きないばかりか、
観客としても消化不良だ、というような趣旨だった。
確かに、タックル等の小技の続出には、私自身、レスリング試合を観ているような違和感を覚えた。「これが柔道?」
ポイントの差だけで、次々と勝敗が決まっていく。
アテネ五輪もシドニー五輪もまったく無関心だった私は、スポーツ競技の変化に乗り遅れているのだと思った。
バレーボールも野球も、どんどんルールが変わっていく。柔道だけが古来のまま温存されるはずもない。
そして、金メダルをとった100キロ超級の石井慧は、NHKのインタビューに淡々と語った。
「強い者が勝つのではなく、進化に順応できる者が勝つのだと思います」と。
「変化」ではなく「進化」と言った石井選手の言葉が頭の隅から離れない。
グローバル・スタンダートは、どんどん変化している。
WTOも、地球温暖化対策も、地球規模の約束事が作られ、変わる。
それは、進化なのだろうか。
そして、順応できるものだけが勝ち残っていく、と。
「進化論」は、順応の否定だったような気がするのだが、再び紐解いて確認してみよう。
北京五輪でも新しい記録がいくつも生まれた。
100年は破られないだろうという記録も新しく塗り替えられた。
人間の限界はどこにあるのだろう。
果てのない進化を確認する場所が、オリンピックということなのだろうか。
次々と映し出される選手たちの闘う姿に、何度か涙腺が緩んだ。
「柔道vsJUDO」とサブタイトルを付けた柔道編では、
「日本の本来の柔道と、世界のJUDOのルールとスタンスの違い」に焦点が当てられていた。
指導や有効ポイントが勝敗の鍵を握る世界JUDOでは、
日本柔道が大切にしてきた「間合い」や「一本勝負」が活きないばかりか、
観客としても消化不良だ、というような趣旨だった。
確かに、タックル等の小技の続出には、私自身、レスリング試合を観ているような違和感を覚えた。「これが柔道?」
ポイントの差だけで、次々と勝敗が決まっていく。
アテネ五輪もシドニー五輪もまったく無関心だった私は、スポーツ競技の変化に乗り遅れているのだと思った。
バレーボールも野球も、どんどんルールが変わっていく。柔道だけが古来のまま温存されるはずもない。
そして、金メダルをとった100キロ超級の石井慧は、NHKのインタビューに淡々と語った。
「強い者が勝つのではなく、進化に順応できる者が勝つのだと思います」と。
「変化」ではなく「進化」と言った石井選手の言葉が頭の隅から離れない。
グローバル・スタンダートは、どんどん変化している。
WTOも、地球温暖化対策も、地球規模の約束事が作られ、変わる。
それは、進化なのだろうか。
そして、順応できるものだけが勝ち残っていく、と。
「進化論」は、順応の否定だったような気がするのだが、再び紐解いて確認してみよう。
北京五輪でも新しい記録がいくつも生まれた。
100年は破られないだろうという記録も新しく塗り替えられた。
人間の限界はどこにあるのだろう。
果てのない進化を確認する場所が、オリンピックということなのだろうか。
強化費が足りない?冗談言うなよって感じ。国も都道府県も市町村も福祉の予算は削る一方。月に8万程度(障害基礎年金1級)の年金だけで暮らす人がいるって想像できないというか、知らない人が多すぎる。
スポットライト浴びる連中にとってはちょっとした小遣いでしょ?それだけで生きてる人がさらにしめつけられてるの知ってる人がどれだけいるのか……。
それと、選手や観客が無条件に「君が代・日の丸」に感激の(!)涙するのがすごくいや。だからオリンピックは見ない。
四川省大地震の被害者へのケアも、政府は同様の重大案件として真剣に取り組んでいると信じたいものです。