見果てぬ夢

様々な土地をゆっくりと歩き、そこに暮らす人たちに出会い、風景の中に立てば、何か見えてくるものがあるかもしれない。

胡散臭い「協働」という言葉

2006-08-13 23:31:35 | 政治・社会
全国では、毎月のように新しい自治体の首長が誕生しています。

この近隣の市でも、先月、新しい市長が無投票で当選しました。多選批判で立候補を断念した前市長の後継者とされた県職員です。

無投票なので選挙戦での政策論を聞くことはできませんでしたが、当選が確定するまでの立候補者の意思を伝える新聞紙面に、「協働」の文字がなかったことに、ある種の期待感がありました。

が、初登庁翌日の新聞各紙面を飾った新市長の所信表明には、「市民との協働によるまちづくり」が小見出しに踊っていたのです。…彼も、でした。


昨日は、地域住民と行政とのまちづくり懇話会が開催されました。
生活に関る様々な要望や提言が出される中、行政が設置した児童育成クラブの運営を地域住民の無償労働に委ねられていることへの不満が、民生児童委員の高齢の男性から遠慮がちに出されました。「民生児童委員は、他にも様々な仕事を負っています。子どもは大切だが、どうにも体がついていきません」

行政当局の返答は、この地域の共助の精神に期待していた、というものでしたが
その上で、「自治体のお財布が苦しくなっている今、地域住民の皆さんに担っていただくこと、行政がすべきことの役割分担を明確にしていかなければならないと思います」と。

それぞれの責任と権限を明確にせずして「協働」はありえません。そこが大きく誤解されています。
お財布の所有者は行政ではありません。行政は、住民から財布の管理を委任されているに過ぎないのです。
予算決定権限を独占し、住民に無償労働を押し付ける行政ならば、それほど楽な自治体運営はないでしょう。

地域住民の生活に関る予算を削り、旧態組織から要望のあるイベントや補助金に桁違いの予算を当て、名士の顔が連なる会食会で感謝されることを選択する行政に「市民との協働」などと言わせたくないものです。

協働は、過程であり手段に過ぎません。権限の委譲なき協働を唱える行政には要注意です。


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