見果てぬ夢

様々な土地をゆっくりと歩き、そこに暮らす人たちに出会い、風景の中に立てば、何か見えてくるものがあるかもしれない。

帰郷■お盆の朝の音

2006-08-14 10:25:49 | 生き方・生活
「お盆」は仏教の行事です。

私は仏教徒ではないので、自分が死んだときには、無宗派形態で埋葬か散灰してほしいと周囲に伝えています。(…周囲は、あまりいい顔をしてくれませんが)

私が生まれた時から、核家族のわが家には仏壇がなく、親戚付き合いも、非常に淡白だったために、「お墓参り」とは無縁の生活を送ってきました。私にとって「お盆」は、ずっと「夏期休暇」と同義でした。

父母が住む街の中心地に、母方親族の菩提寺があります。
高齢になった父母が、最近、自分たちのための墓地用地をその母方の菩提寺に買いました。それが契機となり、高齢になって足元が危うくなった祖母の代わりに、
その菩提寺の墓参りをし、父母の用地を確認する習慣が昨年から始まりました。

なので、私にとって「お盆」が本来の宗教行事になって、今年で2年目です。

今朝、誰よりも早く起きたので、エクササイズの代わりに近所の公園まで歩いてみました。


お盆の朝は、ジョギングする人とすれ違うくらいで、街が動き出す前の静けさに包まれていました。江戸時代には遊郭が並ぶ花街だったというこの周辺も今は、高齢化率急上昇の閑静な住宅街です。道沿いに並ぶ家の中から、様々な音が聞こえてきます。

木魚を打つ響き、洗濯機のモータ音、食器のすり合う音、廊下を走る子どもの足音、掃除機が畳をすべる音、フォーミングアップのセミの不安定な羽音…



それぞれの家の中には、音が示すように、固有の人生が人の数だけ存在し、ここに歩いている自分は、もしかすると、そのどれかの人であったのかもしれない、と、ふと思ったのは、「お盆」だからなのかもしれません。



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