新編 辺境の物語 第一巻 カッセルとシュロス 前編 5話
第一章【カッセル守備隊】③
「ほら、遊んでないで仕事よ」
シャルロッテがレイチェルに向かって言った。
「はい、何でしょう、シャル・・・ロッティーさん」
シャルロッテは副隊長のイリングの仲間内からはロッティーと呼ばれている。レイチェルもあだ名で呼んだ。
「気安く呼ばないで、上官なんだから」
クズみたいな新入りにあだ名で呼ばれてムカついた。
「これから、監獄の掃除させるわ、付いてきなさい」
シャルロッテ、いや、ロッティーがレイチェルたち七人を連れて行ったのは地下の監獄だった。いわゆる地下牢である。
錆びついた鉄格子の扉を開けると、ギギーッと大きな音がした。薄暗い階段を下りると牢屋があった。ベルネが先頭で地下牢に入ると、どんよりとして空気に混じり、かび臭い悪臭が襲ってきた。
地下牢は岩をくり抜いた穴倉である。岩肌が剥き出しの壁、低い天井からは水が染み出ていて地面には水溜りがあった。
「マリア、今後は貴族だからって特別扱いは許さないわ」
ロッティーはお嬢様を名指しした。
「あんたの部屋は取り上げる。これからはあたしがあの部屋を使うの。今夜からはこの地下牢がマリアの寝床よ」
ロッティーが掃除用具のブラシとバケツを渡した。地下牢で寝泊まりすることになったお嬢様のために、ベルネたちまでもが監獄の掃除をさせられるのだ。
「きれいに掃除をするのよ、いいわね」
そう言い残してロッティーは階段を上がろうとしたが、
「ギャア」
地下牢の階段に人が倒れていたのを見て飛び上がった。
「誰、こんなところに」
スターチが覗き込むと若い女性がうつ伏せで倒れていた。ぐったりして目を閉じている。顔は薄汚れ、服はあちこち破れていた。
扉が開いた形跡はない。いつの間にこの地下牢に入ってきたのだろう。
「ケガしているみたいね、医務室に連れて行こう」
「待ちなさい、怪しいヤツだったらどうするの」
ロッティーがベルネの背中に隠れた。
突然、見知らぬ女が地下牢に現れた。門番の目をくぐり抜けて城砦に入るだけでも難しいのに、どうやって地下牢に侵入したのだろう。
「この人、お友達です」
お嬢様が階段に倒れている女は自分の友達だと言った。貴族のお友達にしては、やけに汚い格好だ。
「入隊の日に来なかった人・・・そんな気がするんです」
「それだよ、お嬢様・・・でも、誰だっけ」
「ええと、実は私も知らないんです」
友達と言っておきながら、当てにならないお嬢様であった。
そういえば、試験に合格したものの、隊の召集日に姿を見せなかった女がいた。一度しか顔を合わせていなので、誰も名前が思い出せなかった。
「ああ、そうかもしれない。いきなり逃げたヤツがいたっけ。逃亡したあげく、戻ってくるなり監獄とは自業自得ね」
ロッティーは、逃亡した隊員が戻ってきたことにした。
「あんたが見つけたんだ。手当してやればいいじゃん、ロッティー」
ベルネは自分たちは牢屋の掃除をするのだから、ロッティーに医務室へ連れて行くように頼んだ。
「何であたしが、こんな女の面倒を見なくちゃいけないのよ」
「ロッティー、これも何かの因縁よ。さあ、運んでください」
皆で手を貸して女を抱きかかえ、嫌がるロッティーに背負わせる。
「ちょっと待って、重たいっ」
「待たない」
「エイッ」
「うわっ」
ベルネがブラシの先でグッと押したので、女を背負ったままロッティーが倒れ込んだ。女の下敷きになってバタバタもがいている。
「痛い、助けて」
「助けて欲しかったら、地下牢をお嬢様の寝床にするのは取り消しにするんだね。いいでしょう」
「ここで寝ろなんて酷い」「掃除なんかしたくない」
ここぞとばかりみんなで攻めた。
「ロッティーをきれいに掃除してやろう」
ベルネはロッテイーの顔をブラシで擦った。
「ヤメて・・・」
「ブラシのあとは泥水をぶっ掛けようか」
「分かった、分かりました・・・命令は取り消します」
ブラシで擦られたうえに泥水を掛けられてはたまらない、ロッティーは苦し紛れに命令を撤回した。おかげでお嬢様の地下牢暮らしは回避された。
「じゃあ、この人を医務室に連れて行くね」
レイチェルとマーゴットが女を担いで階段を上がった。スターチが目配せしてお嬢様たちに早く外に出るよう促す。
最後に残ったベルネは、
「ロッティー、お嬢様の代わりに、あんたがここで寝るんだ」
そう言って地下牢の扉をギギーッと閉めた。
「えっ・・・待って、待ってよ」
ガチャリと閂が落とされた。
「嫌だっ・・・行かないで」
ロッティーは地下牢に置き去りにされてしまった。
*****
女は寒々とした寝台に横たわっていた。
私は誰・・・
断片的に記憶は残っているが、覚えていることといえば・・・
ベッドに縛り付けられ、天井の眩しい照明を見ていた。しばらくすると深い眠りに落ちた。目が覚めると右手と左足にギプスが嵌められていた。自分の物ではないように重く感じた。
何日かして連れて行かれたのは、石やレンガの積み重なった廃墟だった。ぽっかりと開いた穴倉に突き落とされ、稲妻が光り、風が吹きつける暗闇を彷徨い・・・気を失った。
気が付くと、この寝台に寝かされていた。助けてくれた人たちの話では、地下牢に倒れていたということだった。
包帯を取ってみると、右手と左足には蓋があり、その中には歯車のような部品と、それを繋ぐ金属線が埋め込まれていた。
これを見られてはいけない。
私は普通の人間ではないのだ。
<作者の一言>
地下牢で発見された女性は後々、物語の主役となります。