新編 辺境の物語 第一巻 カッセルとシュロス 前編 10話
第四章【作戦会議】①
カッセル守備隊の隊長の部下、シャルロッテことロッティーはこのところの展開に歯がゆい思いをしていた。
お嬢様から部屋を取り上げて地下牢に住まわせようとしたら、逆に牢獄に置き去りにされてしまった。腹いせに副隊長補佐のアリスの不倫を言いふらしてやった。
ところが、今度はエルダという厄介者が現れた。
地下牢に倒れていたエルダはいつの間にか指揮官と名乗るようになった。出世したのだ。今では自分よりも偉そうにしている。隊長と副隊長のイリングからは、正規の隊員でない者を採用したことを咎められた。ロッティーの評判はガタ落ちで、このままでは格下げになってしまいそうだった。
これまでは弱そうなお嬢様に狙いを付けていたが、今後は仲間のユキに任せることにして、ロッティーはエルダを標的にすると決めた。エルダをイジメて追放し、落ちかかった評価を高めるのだ。
ところが、それどころではない事態が発生した。
シュロス月光軍団が動き出したのだった。
*****
シュロスに動きありと聞いて、カッセル守備隊では、隊長のリュメック・ランドリー、副隊長のイリング、カエデ、事務官のミカエラたちが対応策を講じた。
しかし、この重要な対策会議にアリスの部隊からは誰一人として参加を許されなかった。アリスの不倫は城砦内にも遍く知られるところとなり、今や完全に無視されてしまっているのだった。
会議に出られないとあっては部下の手前、何とも示しがつかない。
アリスは城壁に上がった。アリスが心落ち着ける居場所は城壁の上くらいしかないのだ。
城壁の上は風が強く吹きまくっていた。首筋にヒューヒューと当たる。この風に乗って、どこからか矢が飛んでくるような錯覚がした。城壁の凸凹した部分、狭間(さま)の陰で首をすくめて縮こまった。狭間は敵の矢を防ぐための小壁である。矢の避け方の訓練にはもってこいだ。
着任から一か月ほどで戦場に赴くことになろうとは思ってもみなかった。とはいえ、この部隊の実状からすれば前線で戦うことなど到底不可能だ。せいぜい後方支援くらいしかできそうにない。だが、作戦会議に出られないのでは、第一希望は後方部隊です、などという意向が通るはずはない。きつい任務を押し付けられなければいいのだが。
アリスは馬に乗れないから戦場を駆け回ることは無理だ。非力なので弓は引けないし槍も振り回せない。まして、剣を抜いて相手と向かい合うことなど逆立ちしても不可能だ。そうすると歩兵になって、盾を片手に突撃隊か・・・
いざとなったら部下を見捨てて逃げるしかあるまい。あんな役立たずの替りはいくらでも見つかる。
「副隊長補佐の替りもいたりして」
それもこれも不倫をしたからだ。
「戦場初体験がバレちゃうなあ・・・? 」
人の気配がした。
「こんなところで何してるの、副隊長補佐」
アリスは城壁の上で小さくなっているところをスターチに見つかってしまった。
「作戦会議だってさ」
幹部クラスの対策会議が終わるとアリスやエルダたちにも集合が掛かった。
僅か十人程度の部隊といえど、戦場に赴くとなると緊張感が漂っている。初めに事務官のミカエラが直前におこなわれた幹部会の報告をした。
「シュロスの駐留部隊が動き出しました。当然のことながら月光軍団も出陣してきます。ロムスタン城砦へ向かう街道に進軍するのではないかと睨んでいます。ロムスタンは州都の防衛にも、王都の防御にも欠かせない要衝です。そこで、我々も出陣することとなりました」
ロムスタン城砦を占領されると、王都の防衛網が崩れてしまいかねない。
「大変、王宮が危ないって、どうしましょう、アンナ」
マリアお嬢様が不安そうに言った。子爵の屋敷が王宮の近くにあるのだろうか。アンナが大丈夫ですよと手を握った。
「出発は三日後です。急いで準備してください」
ついに出陣だ。恐れていたことが現実になった。生きていられるのもあと数日、アリスは力なく首を垂れた。
「よし、やっと戦場に行けるぞ、真っ先に突撃してやるわ」
落ち込むアリスとは対照的にベルネは意気込む。
「十人殺せば、給料アップだ」
「それがですね、みなさんは後方支援で輸送隊の警備をしてもらうことになりました」
ミカエラの言葉がベルネの気勢を削いだ。
「後方支援だって! あたしは荷車の面倒を見るなんてお断り」
「幹部の対策会議で決定したのですから従ってください」
事務官のミカエラが言ってもベルネは不満そうに足を投げ出した。
「みなさんに紹介するわ、輸送隊の責任者カエデさんです」
ミカエラに促されてカエデが立ち上がった。
「輸送隊のカエデです。このたびは警備の仕事お願いいたします」
「はいはい、警備でも何でもやりますよ。やればいいんでしょ」
輸送隊のカエデに言われてはしかたない。ベルネも渋々、警備の任務を引き受けた。
「副隊長補佐、あんたに任せるよ、荷物の仕分けぴったりじゃん」
「はい、得意です」
助かった・・・アリスはホッとした。
輸送隊は部隊の一番後ろに配置されるから、危険な目に遭うことはない。万一の時は荷物の陰に身を隠せる。敵が迫ってきたら食料なんか放って逃げ出すのだ。
これなら戦場初体験もバレずに済むというものだ。
編成の準備のため人数を確認すると言って事務官のミカエラが見渡した。アリスの部隊は、アリス、ベルネ、スターチ、レイチェル、マーゴット、クーラ、マリア、アンナ、それに新任の指揮官エルダが加わって合計九人である。
「一、二・・・九、十・・・あれ、一人多いわ」
輸送隊の責任者カエデを加えてしまったようだ。ミカエラはカエデを入れないで数え直したが、やはり十人だった。
「十人いるわね」
不思議なことに、いつの間にか隊員が増えていた。
「お嬢様の隣にいるの誰ですか、その端っこの人」
アリスはお嬢様の隣の席に座っている見知らぬ女に気が付いた。作戦会議に参加するにしてはチュニックにズボンという軽装である。
「この人、リーナさん、お友達よ」
「何でそれを早く言わないんですか」
「入隊試験のとき、お友達になりました。でも、あれから姿が見えないから、どうしちゃったのかと心配していたの」
またしてもマリアお嬢様のお友達が出現した。
入隊試験に合格したものの召集日に姿を見せなかった隊員がいた。逃亡したのだろうと思われていたが、それがカッセルに戻ってきたのだ。
「どうも、リーナです」
リーナ。アリスには初めて聞く名前だった。しかし、この女が本当に採用された隊員だという確証はない。それに、すでにエルダが入隊しているので欠員の補充はついている。
どうしてこんな面倒なことが次から次へと起こるのだ。
「遅れて来てすみません、実は間違ってシュロスの城砦に行っちゃったんでした」
シュロスと聞いて一同はびっくりした。リーナはこれから戦おうとしているシュロスの城砦に行っていたのだ。
「間違っていたとしても、それは、偵察してきたのではありませんか」
これまで黙っていたエルダが初めて口を開いた。
「リーナさんが見てきたことを話してください。これからの戦い方に重要なことかもしれません」
促されてリーナがシュロスの城砦で見聞きしてきたことを報告した。
「シュロスの軍隊の出陣はかなり急なことで、慌ただしく準備に追われていました。月光軍団は小規模な編成にとどまり、有力な部隊が外されたようでした。なんでも、勢力争いが起きているという噂でした」
ところが、リーナがシュロスを離れる日あらたな動きがあった。
「バロンギア帝国のローズ騎士団一行が、王宮を発ってシュロスのある東部辺境州に向かっているというのです」
「ローズ騎士団、それはどのような部隊なのでしょうか。これまで聞いたことがありません」
事務官のミカエラもローズ騎士団の名は聞いたことがなかった。
「ローズ騎士団は王宮の親衛隊です。普段は王都にいて皇帝に使えているとか。やたらと美人の集団だそうですよ」
「それでは、月光軍団とローズ騎士団とが合同軍を組んで攻めてくるのですか。そうなるとこちらも作戦を変更しないといけません」
月光軍団は密かに応援部隊を呼び寄せていたのだ。しかも、王宮から来るのであればバロンギア帝国の本隊ともいえる。
「ああ、それはないと思います」
リーナは合同軍説を否定した。
「月光軍団はローズ騎士団をあまり歓迎していません。どうせ物見遊山だろうって噂してました。美人を見られると喜んでいるのは城砦の住民だけでした。それに、東部辺境州の州都の軍隊も動かずに静観しているようです」
王宮からの親衛隊は増援部隊ではなく視察旅行のようだ。それでも、わざわざ来訪するとなると、もてなしや接待が大変だ。そんな時に入れ替るように月光軍団がシュロスを離れるのはどうしたことだろう。
エルダは思いを巡らせた。
リーナの話では、あまり歓迎していないというが、むしろ月光軍団は王宮から来るローズ騎士団を嫌って避けているように思える。出迎えしたくないと言っているようなものだ。それではローズ騎士団は快く思わないだろう。
そこに付け入るスキがあるはずだ。
「それでアタシはシュロスの城砦を後にして、チュレスタに行って温泉でまったりしてました」
「いいなあ」「ずるいよ、一人だけ」「温泉行きたーい」
三姉妹はリーナが温泉に行ったのを羨ましがった。
「そこで耳寄りな情報をゲットしました。ローズ騎士団はチュレスタの温泉でのんびり寛ぎ、それからシュロスへ行くそうです」
「そういえば」
レイチェルが手を上げた。
「カッセルに来る途中、山賊に襲われてね。その山賊もチュレスタにお客がいっぱいやってくるって言ってた。それが、ローズ騎士団だったんだ」
「なるほど、リーナさんの話と符合するわね」
どうやらリーナの話は信頼のおける確かな情報のようである。
「山賊に捕まってたら、温泉宿のメイドに売り飛ばされるところだった」
レイチェルが言うと、
「カッセルでもメイドだけどね」
三姉妹の一人マーゴットが笑った。
<作者より>
本日もお読みくださり、ありがとうございます。
アリスの部隊に合格したうちの一人が逃亡したことになっていましたが、その隊員、リーナはカッセルではなくてシュロスの城砦に行っていたのでした。結果的にはこれが敵情を探ってきたことになったわけです。というか、そのために、行方不明にしておいたという次第です。第7話で、シュロスの城砦でナンリがチラッと姿を見かけたのですが、見失っていました。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます