監督が「若者に伝えたいことがある」なんて言わなければ評価できたと思う。
赴任する前の記憶・・・わからない。ただなんとなく見たことがある。あ、この犬はバセットハウンドだ。ダイナーの壁に“INNOCENCE”って書いてある(食べ物?)。前任者はJIN-ROHか・・・聞いたことがある。スイトさん、パンツはいてください!
主人公やナレーターがゴタクを並べるほうが意味わからなくて面白いと思うのに、なぜだかラブストーリーが得意な脚本家・伊藤ちひろにまかせている。このことによって言葉ひとつひとつが重みを持って、ストーリーはわかりやすいけど、逆に感情移入しにくくなるような気もします。もちろんそれは、3Dパートと2Dパートに分かれたことによって、2Dの能面的な主人公の表情が原因でもありますが・・・。3Dパートの空中戦は迫力あったのですが、後ろプロペラ戦闘機のおかげでどっちに飛んでるのか錯覚してしまいました。
大人たちが作り出した“ショーとしての戦争”・・・キルドレと呼ばれる思春期の姿のまま永遠に生き続けることを宿命づけられた少年少女たち。それが平和を享受するために必要不可欠とされてはいるけど、実際には不可能だろう。戦闘映像に狂喜乱舞したり、戦争請負会社にベッティングしたり、株を買って儲けようとしたり、やがては一般大衆も潜んでいる戦闘本能に火が付き、争いの原因になりかねない。もしこの設定が可能であるのなら、映画やテレビでスプラッター映像を垂れ流しにすれば殺人事件が起こらなくなるはずだ。
一方、キルドレたちが戦争でしか死ぬことができないという選択肢のない不自由さ。そしてその閉塞感は、生きることの意義を見いだせないでいる若者にとっては共感できるものがあるかもしれないけど、“ティーチャー”を倒すことによってしか変えることができないのは空しすぎる。命の尊さを訴えようとしながらも、結局は特攻精神のごとく命を捨てることしか描かれていないのだ。仮に、手塚治虫が作ったならば、キルドレの誰かが逃亡するか会社を破壊しに行くはずです・・・(参考:火の鳥)
エンドクレジットに行定勲の名前を見て、『春の雪』でやり残したことをこの映画に託したのかと思いましたが、結局は、生まれ変わっても同じ人を愛するというラブストーリーの要素が最も強くなったのですね。反戦要素は見当たらないどころか、必要悪として認めてしまっているところが痛い。
★★・・・
赴任する前の記憶・・・わからない。ただなんとなく見たことがある。あ、この犬はバセットハウンドだ。ダイナーの壁に“INNOCENCE”って書いてある(食べ物?)。前任者はJIN-ROHか・・・聞いたことがある。スイトさん、パンツはいてください!
主人公やナレーターがゴタクを並べるほうが意味わからなくて面白いと思うのに、なぜだかラブストーリーが得意な脚本家・伊藤ちひろにまかせている。このことによって言葉ひとつひとつが重みを持って、ストーリーはわかりやすいけど、逆に感情移入しにくくなるような気もします。もちろんそれは、3Dパートと2Dパートに分かれたことによって、2Dの能面的な主人公の表情が原因でもありますが・・・。3Dパートの空中戦は迫力あったのですが、後ろプロペラ戦闘機のおかげでどっちに飛んでるのか錯覚してしまいました。
大人たちが作り出した“ショーとしての戦争”・・・キルドレと呼ばれる思春期の姿のまま永遠に生き続けることを宿命づけられた少年少女たち。それが平和を享受するために必要不可欠とされてはいるけど、実際には不可能だろう。戦闘映像に狂喜乱舞したり、戦争請負会社にベッティングしたり、株を買って儲けようとしたり、やがては一般大衆も潜んでいる戦闘本能に火が付き、争いの原因になりかねない。もしこの設定が可能であるのなら、映画やテレビでスプラッター映像を垂れ流しにすれば殺人事件が起こらなくなるはずだ。
一方、キルドレたちが戦争でしか死ぬことができないという選択肢のない不自由さ。そしてその閉塞感は、生きることの意義を見いだせないでいる若者にとっては共感できるものがあるかもしれないけど、“ティーチャー”を倒すことによってしか変えることができないのは空しすぎる。命の尊さを訴えようとしながらも、結局は特攻精神のごとく命を捨てることしか描かれていないのだ。仮に、手塚治虫が作ったならば、キルドレの誰かが逃亡するか会社を破壊しに行くはずです・・・(参考:火の鳥)
エンドクレジットに行定勲の名前を見て、『春の雪』でやり残したことをこの映画に託したのかと思いましたが、結局は、生まれ変わっても同じ人を愛するというラブストーリーの要素が最も強くなったのですね。反戦要素は見当たらないどころか、必要悪として認めてしまっているところが痛い。
★★・・・
先日、この作品を観ました。
印象に残ったところといえばやっぱり空戦です。あとフライトゲームのようなアングルとか主観視点とか、この手が好きな自分としては、たまりませんでした。
残念なのは、他の方の仰るとおり独特のキーワードに対して説明不足です。観る側としては、分からないキーワードがあると集中できなくなるし、劇中でそれをもっとうまく表現できれば良かったのですが・・・。事前情報がなく観ている人はだれしもがきっと思う「キルドレってなに?」
視覚的にもわかりやすくして欲しかったです。
もし、有名な監督さんじゃなくて、全く無名の人がこういうシナリオを考えましたと、編集部に持って行ってもきっと「わかりづらい、キルドレってなんだよ?やり直し!!」って言われそう・・・。
自分の印象ではジャンルを問わず、スタイリッシュにカッコつけた映画ってイマイチな場合が多い気がします。
一年遅れのコメントですみません・・・。
そうそう、選択肢という点でもそうなんですけど、よく考えたら、遺伝子操作とかマインドコントロールで反抗心をなくしてしまえばいいんですよね。
まぁ、ハリウッド映画や手塚SF作品の影響で、考えがそっちにしかいきませんでした(汗)
戦争についての考え。押井監督って独特なものを持ってるみたいですね。諦めという感覚は現代の若者にも共通するんですけど、全共闘時代を生きた監督だから「革命が無意味」だとか、今とは違うあきらめがあるのかもしれませんね。
「キルドレの誰かが逃亡するか会社を破壊しに行くはず…」という発想は確かにアリですね。無限回廊に取り込まれているとは言え、選択肢が1つではない。イレギュラーが一人くらい生まれてもおかしくはないですよね。まぁ、作品の主旨がそこではないので敢えてそう描いていないのだと思いますが。。。
>必要悪として認めてしまっている
鋭いですね。私もあまり意識していませんでしたが、戦争映画でありながら「そういうものなんだから」といった、ある種の諦めムードは確かに感じました。
それは現実世界が既にそんな感じになっちゃってるからでしょうかね。。。押井監督の人間性が何となく見え隠れする内容でもありました。
俺も堅苦しいことなんかを書いてみましたけど、結局は盛り上がりに欠けているから面白くなかっただけだったり・・・
たしかにキルドレについては映画の中では説明不足でした。彼らの立場にたって観ることができれば意味がわかったのかもしれませんが・・・ちょいと残念です。
>成層圏様
コメントありがとうございます!
キルドレが去勢されたかのように仕事だけを黙々とこなし、反抗しないというのが納得できませんよね。まぁ、それが現代の若者気質なのかもしれませんが・・・
アニメであっても脚本は映画の命。恋愛部分に限定してしまうのは行定風なのかもしれませんね。
さすがに音響監督までには目がいきませんでした・・・さすがですね~
>手塚治虫が作ったならば、キルドレの誰かが逃亡するか会社を破壊しに行くはずです・
その通りですね。監督はそう思っているか、とても心配です。
>エンドクレジットに行定勲の名前を見て
気付きませんでした。ああ、それでダメなのか・・・。
音響監督に若林和弘を見て、うれしかったです。
確か、先頃亡くなられた録音家・若林駿介さんのご子息だったと思います。
えらく淡々としたストーリーで盛り上がりに欠けていたように思います。
説明不足な感じで、CMなど事前情報がなければ何がなんだかわからない人の方が多いのでは?
ヒロインは瞳孔開きっぱなしに見えましたし、主人公は親指っぽかったですね。
基本的には生まれ変わっても同じ人を愛すようになるテーマでしたよね。
俺的にあまり好きになれなかったのが、変わらない日常に変化を見出すために特攻するというところです。何気ない日常を続ける方がよっぽど強い愛なのでしょうけど、それだと物語として面白くないので難しいところです・・・
スイト自身も生まれ変わってみたかったんでしょうけど、娘がいることがそう決意させなかったのかもしれませんね・・・
>ぱたた様
「うる星やつら」は観てないのでわかりませんけど、『攻殻機動隊』から『イノセンス』へのループと通じるものがありましたよね。
タバコをやめることも変化をもたらす要素となり得るはずなんでしょうけど、DNA的にはどう変化するんかな~などと考えてもみたり・・・
人としゃべってみたりしたのですが、水素(スイト)はもちろん素子と同じなんでしょうけど、バトーはどこ?てな話題になって・・・あの老人がバトーなのでは!という結論に達しました。とはいえ、愛を感じないのですが・・・
「イノセンス」でも物語の主軸はそうでした。
エンドロール後の話を観るとまた【めぐり巡る】のかなと。
しかし、能面みたいなキャラがしっくりくなかったのですが
戦闘機やリアルな3DCGにひたすら「オォオ」と吃驚。
★にしてもやたら喫煙シーンが多くて。。
米国上映で規制がかかるんかないかと。。
(因みに私は全く吸わないので良さが分かりません)
確かにこの描き方の1つとして同じ人を愛するというループでもありますよね。
私がこの作品を捉えたのは忘れてはならない事と変わらない毎日でも変化がある事を重点的に捉えました。
戦争は忘れてはならない。同じような毎日でもその中には必ず変わった事がある。私たちの何気ない生活でもそういう日常があり、その中で愛を失ってはいけないとも解釈しました。
スイトはその中で変われない自分がいた。他のギルドレは生まれ変わっても変わったのに・・・それが最後のユーイチの言葉で感じました。
人は常に変わるものという事を感じてほしかったのでしょうね。
戦争があるからこそ平和というものを感じるというわけですね。あらすじを聞いたときには納得できたんですけど、あれだけゲーム感覚で戦闘をやられちゃうと結局は戦争とは違うような気がして・・・複雑な思いです。
ティーチャーの存在はキルドレたちから見た越えられない壁といった存在だったのでしょうか。戦争を終わらせないためには必要でしたよね。倒したら戦争も終わってしまうかのような・・・
>シネ吉様
目の付けどころがすごいですね~
あの老人は気になる存在です。
もしかするとキルドレと両極にあるような存在で、何も起こらない平和としての象徴とか・・・ただ、もしそういう意図があるのなら、ますます何が言いたいのかわからなくなってきます(汗)
脚本のわかりやすさは良かったですね。俺としてはわかりにくいほうが面白かったのですが・・・
>BROOK様
結構謎解きを要求されるストーリーでしたもんね~淡々とした展開も考えさせる余地を与えるものだったのでしょうか。
戦闘の最後で“kill father”と言ってることや、エンドロール後の映像によって、主人公がティーチャーのクローンであることも想像できるのですが、そこにどんな意味があるだろうかと・・・面白いことは面白いんですけどね~
全体的に淡々としていて、
それに加えキャラが説明不足の台詞を喋っていたので、
ちょっと微妙に感じてしまいました。
たしかに空戦は見応え十分なのですが、
どっちが味方でどっちが敵なのかの区別がつかず・・・。
とりあえずエンドクレジットの後のシーンが、この作品の全てを表しているような感じがしました。
押井守が脚本を書いていないので、全体にわかりやすい物語のような気もしますが、キルドレ行きつけの食堂のメンツ(階段のじいさん含む)もまたいつも同じで昨日と今日の違いがないように見えたり、周りがアメリカっぽいのに基地の新聞が日本語だったりとやっぱりいろいろ深読み(深考え?)できる内容のようにも見えました。
ティーチャー(父)の殺害ことキルドレをクラスSAに導く鍵となるのか、というところにも興味が湧きます(エンドクレジット後シーンのスイトの顔とアヴァロンのラストシーンのゴーストの顔は似ている)
あとジンロウ=人狼か?とか。
長文ですいません…つい自分の記事で書き忘れてたことを書いちゃいました…
原爆の恐怖も体験者が居なくなったときに解らなくなるのかも知れない。
この戦争は「ティーチャー」によってルールが守られ秩序が維持されているとすれば、この世界も「ダークナイト」と思いました。
戦争応援団が居る限り、戦争はなくならないのか。。