香竹日記

書道の奥深さを楽しんでいます

蒼山城前山漢画像石題記

2023-10-23 22:07:00 | 拓本
この度、もうすぐ10月27日(金)~29日(日)開催される第八回光晨書展に「蒼山城前山漢画像石題記・第一石」と 
「蒼山城前山漢画像石題記・第二石」の二本の拓本を展示します。

どうぞ会場までお運び頂きたく思います。

坂田玄翔・王思礼・頼非 の三先生による「山東新出土漢碑石五種」を参考に何年間か臨書しておりましたが縁あってこの二種の拓本を手に入れることが叶いました。

よって、多くの拓本愛好者に見て頂きたい気持ちもあって、今回展示することにしました。
上記の先生方の解説を参考に、どのような拓本なのかという事を簡単に説明しておきます。

元嘉元年(151)年の刻
この碑は今、山東省文物考古研究所に収蔵されています。
題記は二本の石柱に刻され、
第一石は高さ84cm、幅22cm、厚さ22cm
第二石は高さ48cm、幅16cm、厚さ44cm


    第一石
    



    第二石
    



文字の刻し方は筆意に忠実に行われ
拓本では単入刀法で刻されたように見られますが、多くの部分は双入刀法で刻され、単入刀法で刻されたように見られるのは石工の刻法に起因すると思われます。

本の解説によりますと、
石灰質の石を刀で押し切ればその切り口は直になるが、刀を叩けば衝撃で波状なってしまいこのようになるのである。
とのことです。


下記の資料を参考にさせて頂きました
ありがとうございます
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何君閣道摩崖碑 拓本

2021-07-01 00:06:06 | 拓本
実は私は、、、
2014年5月にこの碑に会いに現地に行っておりまして、
その際、縁あってこの拓本を入手することが叶い
この度の第六回光晨書展を開催するにあたり、ご披露させて頂くことにいたしました。

         

【釈文】
蜀郡太守・平陵何君、
遣掾臨邛舒鮪、将
徒治道造尊楗
閣。袤五十五丈、用
功千一百九十八日、
建武・中元二年六月就。
道史・任雲、陳春主。

【書き下し文】
蜀 郡太守 平陵何君、
掾 臨邛の舒鮪を遣わし、
徒を将いて道を治め、尊き楗  
閣を造らしむ。袤は五十五丈、
用功 千一百九十八日、
建武より中元二年六月もて就る。
道史 任雲 陳春 主す。



蜀郡太守の何君が部下の舒鮪(じょゆう)を派遣して道路を工事させ、桟道をつくった。
その長さは五十五丈(126.7メートル)、要した日数は1198日であり
建武に始まり、中元二年(57年・漢の時代)六月に完成した。
という内容であります



さて何君閣道摩崖は、四川省の成都から南西におよそ200キロの山岳地帯、
更に南東に行ったならば、峨眉山の霊峰が聳えている。
そんな位置にひっそりと佇んでいます。



この碑は2004年3月15日のこと、地元、民建小学校の教員である劉大錦先生はこれまで急流であった滎河の流れが、花難ダムが出来た事によって穏やかになり、そこで春まだ早いのに水泳に興じた。
ふと、河岸の切り立つ岸壁を見上げると、崖の途中に刻まれている文字らしいものを発見し、急ぎ当局へと報告したという・・・・・・。


では実際、中国に旅して見学した時の写真を見てください
こんなところでしたよ



すぐ下には流れる川が迫る せまいところを行くと





崖のところに鉄格子で囲まれて 厳重に鍵が掛かっておりました




見上げる高さにしっかり、くっきり見えました



近づいて拡大写真を ハイッ!




※「墨」184号 髙澤浩一先生の記事を一部参考にさせて頂きました、謝々

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連島境界刻石二種 拓本

2020-09-15 22:14:53 | 拓本
連島境界刻石二種の拓本を縁あって購得

第72回毎日展もお休み、令和3年1月開催予定の第40回日本刻字展も翌年の令和4年に順延、我が書縁會も第八回展は令和3年5月(東京都美術館開催)に延期、、、、、、

そんなこんなですが、書の道はそれなりに楽しく進めていたある日
お電話にて安藤先生と漢代の摩崖碑についての話題になり、

私・・・「前漢の羊窩頭刻石とか蘇馬湾刻石は素朴で自由、文字が大きくて伸び伸び自然体で書かれているところがいいですね、後漢の石門頌、開通褒斜道刻石は、大小の文字が互いに響き合っているかの如くに並んでいますが、
こちらはそんなことも意識されていない感じですね、、、」

私・・「それで連島境界刻石二種の資料を探していましたら、毎日新聞社で本を出版されているんですね、さっそくヤフーオークションで購入しました」


    そうしましたら翌日 



安藤先生・・・「私にその2種の拓本が有るけど、もし良かったら分けてあげるよ、ちょうど2枚ずつ持っているからね、私は3回もここの現地に行きましたよ、荒い岩場で、もし足を踏み外したら大変で命がけでした。
現に毎日書道会のTさん(私も存じ上げている偉い人)が大怪我をして、中国の軍用機で病院に運ばれ、九死に一生を得た話は知る人ぞ知るらしいね、、、その一件以来暫くは見学禁止になったらしいぞ、、、」


       う~ん 一日考えてみた結果!!


私・・・「先生その拓本を、是非私にお願いします」🙇

という訳で2000年も前に刻された碑の拓本が我家に届きました 🚚


其の1:蘇馬湾刻石(縦137.3㎝×横234㎝)
 

一部拡大
         

其の1:蘇馬湾刻石(そばわんこくせき)
1998年末に、中国連雲港市連島鎮東連島村蘇馬湾の海辺で、蘇馬湾刻石を発見。
研究を重ねた結果、この刻石は「始建国四年四月朔乙卯」の紀年が明記されているので、西暦12年夏(陰)3月1日のことであるとし、
王莽の時代の東海郡と琅邪郡の境界刻石と結論を下した。

この辺りは、今はリゾート地として開発され、美しいビーチが続くきれいな場所となって夏場は観光客で賑わっているとのことです。




其の2 :羊窩頭刻石  右石(96.5×77.0㎝)
       



左石(86.0×75.0㎝)
       

其の2 :羊窩頭刻石(ようかとうこくせき)
1987年連雲港市の考古学者は羊窩頭(ようかとう)北側の海辺で、隷書体の刻石(以下、羊窩頭刻石と略称)を一基発見し、これを前漢時代の東海郡と琅邪(ろうや)郡の境界刻石と推定した。

こちらの刻石は物凄い岩場の切り立った断崖にあり、眼下には荒波の押し寄せる危ない場所にあるそうです。

其の1の刻石のある場所とは2キロメートルほど離れた所にあるので、殆どの研究者は一緒に見学されるとのことです。



前漢(205BC~AD25)と後漢(25~220)の間にわずか15年間のという王朝があり、建国王は王莽(おうもう)という、
この短い新の時代のものということにも何故か心惹かれるものがありました。。

東海郡と琅邪郡の境界を示した中央政府の永久的な公示らしいですが、前漢末 後漢初の行政地理や、中国古代史を研究する上で貴重な実物資料であり、この2刻石は現在までに発見された世界で最古の領海刻石かもしれないとのことです。

さてさて歴史的価値などは本を読んで学ぶこととして。

拓本を広げると想していた通り、朴として雄大、2000年の悠久なる時間が何かを喋りだすのではないか・・・と期待してしまうほど凄い存在感であります。。

2018年1月にセントラルミュージアム銀座で開催された 謙慎書道会特別企画『新出土の書ー拓本の魅力ー展』に安藤先生所有の拓本が何点か展示(出品図緑有り)されておりましたが、その中の蘇馬湾刻石につきましてはその時の拓本と、今回の私の拓本とでは採拓した時期が違う様で、私のは先生の拓より後のもののようでした。

その後ネット上で調べていましたら同じ拓本を発見!
中国の人が発表されておりまして、よくよく見たらそれは私のと同じでちょっと嬉しく思いました。。

という訳で私ひとりで看ていても勿体無い、時々は教室の皆で看ながら時空を旅しようと思っています♡
また一つ臨書する楽しみが増えましたね 🖌

ありがとうございます m(__)m


※ 毎日新聞社から出版された本にこれらの拓本や摩崖の写真が載っていて、ここを訪れた際のこの辺りの様子が、何枚かの写真と共に詳しく記されています。参考にさせて頂きました。



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