懐かしい佇まいと、変わらない田舎の匂いに、なんとも言えずホッとした。
大人になって、親族が集まることが少なくなっても、ずっと心に残り、行きたかった場所である。
小さい頃、ここで、いつまでもあり地獄を探して遊んだ記憶があり、子供たちを連れて行ってみた。
寒い季節にもかかわらず大きな「あり地獄」が見つかり、樹はこわごわ、しかし、嬉しそうに手のひらに乗せて観察した。
虫たちが住む、昔と同じ環境であったことが、とても嬉しいと思える。
父は、石を割り、沢山の化石を子供たちにみせてやった。
こんな山の上が、昔海だったことに、子供たちも驚いたようである。
名残惜しくはあったが、沢山お土産までいただいて、帰宅することとなり、心優しい人たちに別れを告げた。
これを食べたら、伴侶と私といっくんは大阪に帰るのである。
それぞれ、楽しみや用事があっての選択であったが、「最後の晩餐」的なムードを感じてしまったのは私だけだろうか…?
いつも一緒、が頭から離れない私である。
こいちゃんはおばあちゃんとおじいちゃんとひいばあちゃんと一緒に実家に帰るのに、それをすっかり忘れてしまっている。
出口そばにあったパン屋に入り、こいちゃんの食べたいものを聞き、購入し、大阪に持って帰ってしまった。
喜んで食べていたこんにゃくも、「こいちゃんに食べさせてあげよう」と、大阪に。
「家族がうちより多いんだから」とおばあちゃんが買ってくれた乳団子も、今は実家の家族よりも少ない我が家には多すぎる量である。
大阪に着き、荷物を広げて、初めてこいちゃんがいないことに気づいたのだからなんとも滑稽な話である。