安全地帯のこれまでのいきさつについて触れます。所々で、(ある意味)気が重い話題もありますが、外すに
外せない話です。
今回は余りにも長いので、4回に分けてアップします。
尚、この話をまとめるにあたって、参考にさせていただいた資料があります。
『玉置浩二 幸せになるために生まれてきたんだから』 志田歩 著 雲母書房
さらに、インターネット上でより詳しい資料を提供して下さっている皆さんの情報、Wikipedia からの情報、この
他に、筆者がその昔愛読していた音楽雑誌からの情報などなど・・・。かなり参考にさせていただきました。
ありがとうございました。
ヒット曲などの詳しい情報は、熱烈なファンの方々がネット上で年表などを公開しておられるので、筆者は大
体の流れだけを…。
安全地帯は80年代を代表する人気バンド。アマチュア時代に何度かメンバーの入れ代わりがあり、今のメ
ンバーになります。
北海道でNo.1のアマチュアバンドとして、その実力を認められ、井上陽水さんのバックバンドを経てデビュー。
デビューして3年目に『ワインレッドの心』が大ヒットしてからは、音楽性が徐々に変化していきました。
かつては「和製ドゥービーブラザーズ」と呼ばれるくらいウエストコースト風のサウンドであったのに対し、『ワ
インレッドの心』以降はPOPなサウンドへと変わり、アルバムを重ねるごとにさらに音作りが進化していきます。
リーダーでボーカルの玉置浩二が作り出す美しいメロディと絶対的な歌唱力。ギターシンセやエフェクターを
駆使した斬新なアレンジ。バンドとしてレベルの高い演奏力。
これらの魅力が彼らの人気を不動のものにしましたが、その一方で、バンド単体から一つのプロジェクトとして
動き始めたことにより、本来彼らが目指していたものと、周りが自分達に求めるものとの違いが生じ、その後
の彼らを苦しめることとなります。
この辺りの様子はDVD『I love you からはじめよう』で垣間見られるそうです。コンサートの楽屋では、玉置さ
んとメンバーとの間で険悪なやり取りがあるとか。実は筆者はこのDVDをまだ見てません。ネットで購入しよう
とレビューを見て、このエピソードを知りました。この時期は音楽的に乗りに乗ってるだけに、正直複雑な思い
です。
1988年夏、彼らは一回目の活動休止に入ります。この時確か、『夜のヒットスタジオ』という番組に玉置さん
一人で出演され、「よりよい音楽を創るために少し時間を下さい」と言われ、『微笑みに乾杯』を歌われました。
筆者は『微笑みに乾杯』は1、2回くらいしか聞いたことがありません。当時、「活動休止」ということにショック
で…。筆者にとっては、ある意味トラウマソングです。
ただ、この後の流れから考えると、この時の活動休止はそれほど深刻ではなく、むしろメンバーの自由なソロ
活動にとって必要な時間だったように思います。
この続きは次回。
外せない話です。
今回は余りにも長いので、4回に分けてアップします。
尚、この話をまとめるにあたって、参考にさせていただいた資料があります。
『玉置浩二 幸せになるために生まれてきたんだから』 志田歩 著 雲母書房
さらに、インターネット上でより詳しい資料を提供して下さっている皆さんの情報、Wikipedia からの情報、この
他に、筆者がその昔愛読していた音楽雑誌からの情報などなど・・・。かなり参考にさせていただきました。
ありがとうございました。
ヒット曲などの詳しい情報は、熱烈なファンの方々がネット上で年表などを公開しておられるので、筆者は大
体の流れだけを…。
安全地帯は80年代を代表する人気バンド。アマチュア時代に何度かメンバーの入れ代わりがあり、今のメ
ンバーになります。
北海道でNo.1のアマチュアバンドとして、その実力を認められ、井上陽水さんのバックバンドを経てデビュー。
デビューして3年目に『ワインレッドの心』が大ヒットしてからは、音楽性が徐々に変化していきました。
かつては「和製ドゥービーブラザーズ」と呼ばれるくらいウエストコースト風のサウンドであったのに対し、『ワ
インレッドの心』以降はPOPなサウンドへと変わり、アルバムを重ねるごとにさらに音作りが進化していきます。
リーダーでボーカルの玉置浩二が作り出す美しいメロディと絶対的な歌唱力。ギターシンセやエフェクターを
駆使した斬新なアレンジ。バンドとしてレベルの高い演奏力。
これらの魅力が彼らの人気を不動のものにしましたが、その一方で、バンド単体から一つのプロジェクトとして
動き始めたことにより、本来彼らが目指していたものと、周りが自分達に求めるものとの違いが生じ、その後
の彼らを苦しめることとなります。
この辺りの様子はDVD『I love you からはじめよう』で垣間見られるそうです。コンサートの楽屋では、玉置さ
んとメンバーとの間で険悪なやり取りがあるとか。実は筆者はこのDVDをまだ見てません。ネットで購入しよう
とレビューを見て、このエピソードを知りました。この時期は音楽的に乗りに乗ってるだけに、正直複雑な思い
です。
1988年夏、彼らは一回目の活動休止に入ります。この時確か、『夜のヒットスタジオ』という番組に玉置さん
一人で出演され、「よりよい音楽を創るために少し時間を下さい」と言われ、『微笑みに乾杯』を歌われました。
筆者は『微笑みに乾杯』は1、2回くらいしか聞いたことがありません。当時、「活動休止」ということにショック
で…。筆者にとっては、ある意味トラウマソングです。
ただ、この後の流れから考えると、この時の活動休止はそれほど深刻ではなく、むしろメンバーの自由なソロ
活動にとって必要な時間だったように思います。
この続きは次回。