ぷちぷち
「ああ、疲れた」
まさしは弁当と缶ビールの入ったコンビニの袋をちゃぶ台の上に置き、ネクタイを外しながらテレビを付けた。
玄関のチャイムが鳴る。
夜の十時、こんな時間にいったい誰が? とドアスコープを覗いた。
アパートの一階に住む大家の顔が見える。
家賃の支払いにはまだ間があるのにと思いつつ、まさしはドアを開けた。
「こんばんは。宅配便預かってるよ。お母さんからみたいだ。
優しいお母さんだねえ」
一人暮らしの気難しい老人は他の店子よりまさしに優しかった。年に一、二回、このアパートを訪ねてくるまさしの母親に気があるのかもしれない。
「大家さんに面倒かけるから送ってくんなって言ってんのに――いつもすみません」
大家から段ボール箱を受け取ると頭を下げた。
「何言ってんだ。お母さんの優しさを無にするんじゃないぞ。荷物を預かるくらい、わしはいっこうに構わないんだから」
「ありがとうございます。助かります」
まさしは段ボール箱を素早く開けて、中に入っている野菜の袋をいくつか差し出した。
「いいよ。いいよ。せっかくお母さんが送ってくれたのに」
大家が手を横に振る。
「いいんです。こんなにいっぱいあっても腐らせてしまうだけですから。母さんにも大家さんにおすそ分けしてねっていつも言われてますし」
そんなことを一言も言われてはないが、ここは媚を売っておく。
「ええっ、お母さんが? そ、そうかいお母さんが――
それじゃあ、お言葉に甘えていただこうかね」
大家はいそいそと袋を受け取った。
どうせみんな捨てるし。
まさしは笑顔の下でつぶやいた。
大家が上機嫌で帰った後、段ボール箱の中身を床に広げた。
袋に数本ずつ小分けされたキュウリやナス。梱包材のぷちぷちで保護された手作りジャムや梅干しの瓶詰。
故郷で取れる野菜や果物ばかりだ。
はあああ。
深いため息が出た。
母親はまさしを連れ戻そうとしているのだ。
いったいどうやったら母さんはオレをあきらめてくれるのだろう。
深い山々に囲まれた故郷を思い出す。
土着の神を崇拝し、因習にとらわれている自分の村がまさしは大嫌いだった。
小学校は村の分校だったが、中学高校は山を越えた隣町だったことで、まさしは村長である母親や村人たちの考えがおかしいことに気付いた。
同じく村から通う数人の同級生たちも同意見で、高校を卒業したら村を出ることを誓い合っていた。
だが、同志たちは家族に懐柔され、村を出られたのはまさし一人だった。
見聞を広めるため都会の大学に行きたいという理由は村長の息子だからこそ受け入れられたのかもしれない。
同級生たちに申し訳なく思ったが妬まれることはなかった。彼らには閉鎖的な村で一生暮らすという以外何も不都合がないからだ。村長の息子としていずれ使命を負うまさしを同情とエールの眼差しを込めて見送ってくれた。
だが、それから数年、卒業してもまさしは村に帰らなかった。
母親が説得に来ても何かと理由をつけ、まだ帰れないと粘り続けている。頻繁に来ることができないので、こうやって村でできたものを送り付けてくるのだ。
あの土地のものなんか口にするもんか。
食えば最後、きっとあの村に戻らざるを得なくなるのだ。
まさしはもう一度深いため息をついて、ちゃぶ台に戻った。
汗の浮いた缶ビールを開け、焼肉弁当のふたを開ける。
自炊が苦手なまさしはコンビニやスーパーで毎日弁当を買う。出来合いのものを食べていると母親の暖かい食事を懐かしく思うこともあった。だが、二度と帰るつもりはない。その決心は揺るぐことはなかった。
冷えて固まった飯を咀嚼しながら、明日は梅干しとジャムを大家に持っていこうと考えた。
あの人なら母さんの手作りだと言えば喜んで食べてくれるだろう。
脂の浮いた焼肉をビールで流し込んでいると小さな音が聞こえてくるのに気が付いた。
ぷち、ぷち、ぷち――
まさしは音のするほうを振り向いた。
瓶詰を包んだぷちぷちが一つずつ潰れていく。
ぷち、ぷち、ぷち――
三度めのため息をついて項垂れた。
母さん、荷物と一緒に何を送ってきたんだよ。何をどうしかけてこようとオレは絶対に村には帰らないからな。
順番にぺたんこになっていくぷちぷちを睨みつけ、明日アレも一緒に大家に押し付けてやろうと考えた。
*
目が覚めたまさしは目の前が真っ暗で自分の状況がわからなかった。
大家に瓶詰を持って行ったのは覚えている。母の手作りだと聞いて、大家の鼻の下が伸びたのも覚えている。
お茶でもと誘われ、部屋に上げてもらって、それから――
ああ、そうだ。急に大家が襲ってきたんだ。避ける間もなく頭を殴られて。
一体ここはどこなんだろう。この音と振動は車の中か。
手足を伸ばそうと思っても動けず、何かにくるまれているみたいだと思った瞬間、
ぷち、ぷち、ぷち――
耳のそばで音がした。
なんてことだ、油断した。
大家にあの村の野菜を分けてしまった。まさか影響するとは――
母さんはオレがそうすることを見越していたのか。
まさしは荷物として運ばれながら、ただ自分の行く末を案じることしかできなかった。
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