くるみの世界

金でやっていく世の中や、あいさつが正しいとされていることは間違っているということを主張したいです。

脱あいさつ あいさつは正しくない11

2022年10月20日 | 脱あいさつ

 

57.他人の姿は自分の姿な私の近所に住んでいる人達とあいさつ


私の家の隣の小野という隣人の老人の男が私をものすごい嫌っている。
以前、私は家の誰もいない部屋で独り言を言っていた。
その独り言の内容は色々だが、あいさつや金でやっていく世の中がおかしいというようなことも言っていて、あいさつや金でやっていく世の中が正しいと思っている大勢の人が加担していることに対する不満なども言っている。
この独り言が家の外に漏れていて、隣人の小野が私のことを嫌っているのだ。

ある日、私の家の隣の職場の方から小野の声で「うるせーんじゃ」という声が聞こえてきたことがある。
その時、私は独り言は言っていないが、私の家の隣の職場の人に小野が私が独り言を言っていることに対する不満を言っていたと思っている。
うるせーんじゃと言っている小野の声の方が私が独り言を言っている声より大きい声を出しているが、自分には甘いのだろう。

別の時には小野の家の庭の方から、私の叔母の同級生のエイちゃんと呼ばれている人と小野が喋っている声が聞こえてきて、言っている内容の全部を覚えていないが、小野が「それ以上でもそれ以外でもない」と言った後に、
えいちゃんと小野が大きい声でハハハハハと笑っていた。
その言っていたことは、私の悪口を小野が言っていたと思っている。それ以上でもそれ以外でもないと言った前の言葉は聞こえなかったが、
私のことについての悪口を言っていて、「あいつは独り言を言っている頭おかしい奴だ」とか「独り言を言っている気持ち悪い奴だ」というような感じのことを言い、その後に、それ以上でもそれ以外でもないと言ったことに2人が大声で笑ったのだろうと思っている。

数年前の夏に、小野の家から数メートル離れた所に、小野が以前に職場に使っていたトタンの建物があって、その建物の壁を外側から金づちか、何かを使って大きい音を出して何回も叩いていたり、クワの刃の部分を上に向けて大きい音を出して叩いていた。
これらの音は私の独り言に対する、小野の嫌がらせではないかと思っている。
なんにせよ、小野は外でこういう大きな音を出している自分のことは許しているのだろう。
小野は私の独り言の音の大きさが大きいからうるさいと思っているのではないのだ。
大きい音でうるさいなら花火の音や救急車の音や、音楽のライブなどの音
などはすごいい大きい音を出しているのだ。これらの音はうるさいとさえ思わなかったり、うるさくても許容範囲内の人が多いだろう。
ある時は私が独り言を言っていない時に「何をごにょごにょ独り言言よーんじゃ」と大声で言った後に、何かの大きな音が鳴ったのだが、
その音は多分、何かを蹴って出た音ではないかと思っている。

小野が出している音では、夏場に草刈り機を使って大きな音を立てていたり、自分も独り言を言っていたり、誰かと喋っていたりなどして、
私の独り言の声よりも大きい音を出しているが、自分が嫌だと思う音ではないものは許すのだろう。
誰でも自分に甘いところはあるだろうが、この小野もそうで、自分が可愛いから独り言の声が聞こえてくることには嫌な気持ちになって不快にり、
嫌な思いをしたことを私のせいにしたいのだろう。
自分が出している大きな音や喋り声で、私以外の人もうるさいと思っている人もいるだろうけど。
「うるせーんじゃ」と言っている小野自体が、私の独り言よりも大きな音を出していて、うるさい音を出しているのだ。
独り言を気味悪がる人はたくさんいるだろうが、独り言がうるさいという言い方よりは、独り言を言っていることを気持ち悪がって嫌がっている
ことをうるさいと言っているだけで、自分や他の人が出している音は、私の独り言よりも大きい音を出していても、ほとんど嫌がっていなかったり、
許容範囲内だろうから、独り言の声の音を嫌がっているのではないのだ。

同じ家に住んでいる叔父も私の独り言を嫌がっていて、私が部屋で独り言を言っていたのが聞こえてたみたいで、以前「精神病院へ行けー」と私に言っていたが、音の面では叔父が家のドアを凄い大きい音で閉める音を
近所の人が嫌がって音の嫌がらせ、仕返しをしてきているが、叔父は嫌がられていることに気づいていないし、別のことで叔父は「仕事で出している音に文句言われる筋合いねー」というようなことを言っていた。
自分が感じたことが大切なんだろう。自分が独り言の声の音で不快になったのには、独り言を言っている私のせいにしても、他人が嫌がっていることは他人事なところがあるということだろう。人間は自分が一番かわいいのだ。

小野が以前に私の家の隣で「はよしねー」と2回言っているように聞こえたことがある。
岡山弁で、はよしねーとは早く死ねと言っているのだろう。早く死ねと言っている相手は私のことを言っていると思っている。
小野が私が独り言を言っていることで凄い嫌っていて、私に死んでほしいと思っているのだと思っている。
自分が嫌な気持ちになった理由を多くの人は嫌がられている人のせいにしたがり、被害者を気取る人も多いだろうが、この人もそういう人だろう。
私の家の隣のエイちゃんの仕事の音は単調な機械の大きな音が外に響いているが、私はこの音をうるさいと思ったことはあるし、
他の人も思っている人はいるだろうが、お互い様とか、爆音ではないから仕方ないとか思っている人もいると思う。

小野の子どもの家族らしき人が数年前の夏の夜8時代ぐらいに外で何かを作っていて、単調な大きい音を何度も出していたが、小野は夜にこの音を出していてもうるさいとは思っていなさそうだ。
黒人と言う理由で見下したり嫌う人もいるし、嫌わない人もいるように、人が嫌がることは人によって違い、自分が嫌だと思わない音は許すのだろう。

以前、私が畑の出入り口付近にいた時に、小野が通りすがって、無言で大きく頭を下げてきたが、私の家の隣で大声で私の悪口を言っていたりして、私のことをあからさまに、すごい嫌っているが、形だけ頭を下げることをしてきた。
小野の奥さんが数年前に、私の家の近くで「なんで働いとらへんの」というようなことを言っていたのだが、それは、私や私の兄弟のことを言っていそうだ。
平日の日中に家から私たちの声がするので、給料という形で金を貰うようなことをしていないと断定して、本人がいるかもしれない所で大きな声で言ったのだと思っている。

エイちゃんは小野から何度も私の独り言の悪口、不満を聞いているだろうが、2021年に、私の家の隣で小野の奥さんに大きい声で「独り言大丈夫」と言っていて、私の独り言を問題視しているみたいだ。
えいちゃんが以前、近所のおばあさんがエイちゃんの家の近くの家のポストを開けて見ていたことに対して、一字一句覚えていないが、開けたらダメだか、見たらダメというようなことを言っていたのだが、人の姿は自分の姿なのだ。
人のことをおかしいとか、これはやったらダメと思っている人も他の人から同じことを思われていたりするのだ。
動物は食べてはいけないとか、影で悪口を言うのはダメだなどと思っている人もいるわけだ。
エイちゃんは小野が私の悪口を言っているのを知っているだろうが、その悪口をダメだとは思っていなさそうだし、小野が私の悪口を言っていることや、外で猫を飼っていることは、やったらダメだと言ったことがあるのだろうか?
推測だけど、エイちゃんは外で猫を飼っていることをおかしいとは思っていなさそうだ。
外で猫を飼うことをおかしいと思っていたり、猫の糞尿に迷惑している人がいるが、それをやったらダメだと思っていない人はおかしいとは思わないのだ。同じことに対しても同じことは思っていないのだ。

私の母親づてに聞いたのだが、私の住んでいる近所に住んでいるおばあさんが、誰かの家で何かを取ったと言われていて、真偽は分からないが大勢が泥棒と呼んでいることをしたらしく、そのおばあさんが別のおばあさんの近くにいた時に、「何か物はなくなってないか」というようなことを言ったらしい。
物を取ったと言われているおばあさんのことを見下してバカにしているのだろう。
泥棒と言われている人を見下して蔑んでいる人はたくさんいるだろうが、
刑法違反のことをしていなくても、人や人間以外の動物が嫌がることなど誰でもしているし、外で飼っている猫の糞や尿に迷惑して嫌がっている人もいる。
泥棒と言われている近所のおばあさんや刑法違反している人とそれ以外の人の違いは、人が嫌がることや、誰かが悪いとか、ひどいと思っていることをしていても、刑法違反か刑法違反ではないかの違いだけで、
誰かが嫌がっていたり、迷惑していることをしている点では同じだ。
ほとんどの人は誰かをバカにして見下すこと外に出して言ったりしていて、刑法の侮辱罪を犯していても、この法律が適用されることなどほとんどない。
自分達は刑法違反などしていないと思っている人もたくさんいるのだろう。

自分や好きな人や多数派には甘い人が多く、頭が悪くてバカなところは誰にでもあることだろう。
以前、私が家にいる時に「入っちゃいけん」という小野の声が聞こえてきたのだが、猫によその家に入ったらダメということを言っているのだろうが、
うちの家の庭とかに猫は入ってきているが、小野は気づいていなさそうだ。
うちの家の庭とかに臭いうんこが何回もあったのだが、小野のところの外飼の猫のうんこではないかと思っている。
誰でも自分の不快な迷惑は意識しやすいが、他人の不快さはほとんど分からないだろうし、分かっても自分がひどいと思うことではなかったり、
嫌いな人や、どうでもいい人などが嫌がっていても他人事であり、どうでもいいことだろう。

数年前に私が家のリビングにいた時に、外から「不審者がいると犬が吠える」と小野の声が聞こえてきたことがある。
その当時うちの家にはダックスフンドの犬が一匹いて、ウンチをする前などににワンワン吠えていた。
小野が私が独り言を言っていることを見下して嫌っているのを不審者という言葉で言い表し、私のことを悪く言っていたと思っている。

知っている人のことも、知らない人のことも人のことなどほとんど分からなくて不審だが、多くの人はほとんどの人のことは不審者とは呼ばずに
気味悪がっていたり、悪者扱いしている人などの一部の人のことだけを不審者と呼ぶ人が多いだろうが、みんな不審者とも言えるのだ。
小野は自分のことを不審者とは呼んでいないだろうが、小野も不審者だとも言えるのだ。
小野にしろ、それ以外の人達も、自分が地球の一部に住みついていて、自分の個人情報をほとんどの人には言わずに隠していて、
人の悪口を言ったりなどして生きていることを、ほとんどの人に言う気もないだろうし、普段何をやって、何をして生きているのかを隠して生きている不審だとも言えるのだ。だからみんな不審者だとも言える。
みんな言葉を自分に都合よく使っているのだ。それはあいさつにおいても同じことだ。

以前、私が家にいて独り言を言っていない時に、外で鳥がキーキー鳴いてたら、外から小野が大声で「うるせーんじゃー」と言っていた。
小野は鳥にうるさいと言ったと私は思っているが、私の独り言だけではなくて鳥にもうるさいと言っているのだ。
小野が「男か女か分からんのがテレビに出ているのが気に入らん」と言っているのを聞いたこともある。
鳥に大声でうるさいと言っているのを他の人が知ったら、あの人頭おかしいとか、心狭いとか思う人もいるだろうが、小野が私をおかしい奴、異常だと思っているのは間違いないだろうが、自分も誰かがおかしいと思うことをしているのだ。
金でやっていく世の中に加担していることで、大勢の人が迷惑しているし、
年金を取るのも合法の不正だし、みんなが年金払いたいなどとは思っていないが、合法をいいことに老人たちは年金を貰い、人が嫌がることや、迷惑することをやっているのだ。
あの人のせいで迷惑していると思っている人も、自分も人や人間以外の生き物が嫌がることをしていて、他人の姿は自分の姿だ。
人間の中には黒人という理由で見下して、嫌う人もいるし、誰かの顔をブスと思い嫌がる人もいる。何を嫌がるかは人によって違うのだ。
小野が私の独り言を嫌がっていても、みんなが嫌がるわけではないだろう。
独り言を嫌がっていても、少し気味悪がる程度の人もいれば、小野みたいにすごい嫌がって嫌悪したり、嫌がらせをしてくる人もいるのだ。

2021年の5月のある日、私の意識に「腐心者(ふしんしゃ)」という言葉が突然出てきた。
心が腐っているというような言葉にどういう意味でも付けれるが、自分が人や人以外の生き物が嫌がることをしても許したり、悪く言わないのに、
自分が嫌がることをした人のことは許さなかったり、好きな人や仲間がやったら許すのに、それ以外の人なら許さないとか、刑法違反した人の一部のことは悪く言って叩くのに、刑法違反していても悪いと思わない場合は悪く言わないような差別している人は腐心者とも言える。
言葉は言葉遊びなのでどうにでも使えるものだ。
不審者と腐心者は同音異義だが、不審者という言葉の定義、意味付け自体が人によって違うから、不審者という言葉も同音異義だとも言える。

小野は自分の思っている私に対する悪口などを私の家の隣で大声で言っていたりして私に悪感情を持っているので、これは小野がやったのではないかと私が思っていることをここで書くことにする。
数年前に私の隣の職場のところの大きな窓の2か所が割れていた。この職場はエイちゃんが働いている所で、エイちゃんは以前はこの職場の隣の家に住んでいたが、今は近所の別の場所に家を建てて住んでいる。
小野は外で猫を飼っていて、小野の家の母屋から少し離れた所にある建物の外にエサを置いてあり、猫が来ていたのを私も見たことがある。
数年前にエイちゃんのお母さんが大きい声で「猫にエサやっちゃダメだ」と外で言っていたのだが、小野に対して言ったのだと思う。
窓が割れていたのは、小野が猫にエサをやったらダメと言われたことに不満を持ってやったのではないかと私は思っている。
私のこの推測が外れていても別に悪いとは思わない。私のこの推測が外れていようが、当たっていようが小野はいかにもガラが悪い人物だ。
ひどいと思うことをしていることをガラが悪いと言うならば誰でもガラが悪いとも言える。
例えば牛、豚、鶏などの動物を食べるのはひどい、かわいそうと思う人もいるが、多くの人はこれらの動物を食べることをひどいとは思っていないだろうが。

2021年の5月のある日曜日の夕方に私の住んでいる家の裏のところに私がいた時に、エイちゃんの声がして、何か喋っていたが初めの方は内容が聞こえなかったが、その後、「巻き込まれる」という声が聞こえた気がした。巻き込まれるの前に独り言と言っているようにも聞こえたが、
この時に聞こえた内容は私の聞き間違えの可能性もあるが、もし「独り言に巻き込まれる」ということを言っていたとするなら、エイちゃんは小野が私の独り言のせいで迷惑しているんだということを話題に出していた可能性もある。
生きていて誰かを巻き込んでいない人などいない。
あいさつを返させたいがために初めにあいさつをするのも、あいさつ返させたい相手を自分の信仰や欲求に巻き込んでいるとも言えるが、一般には巻き込みなどとは言われずに、常識や社会のルールなどと言って良い感じの言葉で言い表す人が多いだろう。
正しいと信じていることを他の人にやらせようとすることは巻き込みとは言われにくいのだ。
この人達は自分達やそれ以外の人などが出している車の走行音、車のドアを閉める音、誰かと喋っている声、エイちゃんの職場の音、近所で家を建てる音、雨の音、猫の声など、自分達は私の独り言よりも大きい音を出していても、ほとんどの音に不満はなくて問題視はしていないか、不満はあっても許容範囲内だろうに、私の独り言には不満を言ったり、見下したり、問題視していて差別をしているのだ。
差別していない人などいないが、この人達も差別者の意地悪ジジイ、意地悪老人だ。

私は以前は午前5時代や6時代には起きていないことが多かったのだが、2021年の時にはこの時間帯に起きていることが多くて、午前5時か、6時代に私の家の近くから車のドアを閉める音が連続して2回や3回聞こえて、それから数分経った時に、また連続して2回か3回ぐらい車のドアを閉める音が聞こえることが何度もあった。別の人が同じ時間帯に違う車に乗った時にドアを閉めているのではなくて、同じ人が連続してドアを閉めているような感じがしたのだが、初めに音がして、数分経って聞こえた連続してドアを閉める音も同じ人がやっているような気がした。
小野のところ以外の近所の人が、うちの家から聞こえる大きい音を出してドアを閉めることに不満を持っていて、音の嫌がらせをしてきているので、
朝の車のドアの音も、うちの家から出るドアの音に不満を持っている近所に住んでいる老人の別の所に住んでいる息子が
朝にドアを閉める嫌がらせをやっている可能性があると思っていたのだが、
2021年の5月ぐらいの午前6時前ぐらいに私の家の近くから車のドアを閉める音が何回も聞こえた後に私は庭に出て、音が聞こえた方を見たら軽自動車が小野の家の方から出てきた後、小野の家の方か、駐車場の方から乗用車が出てきたのだが、うちの家のドアを閉める音に不満を持っている人の車の色ではなかったので、その人が車のドアを閉めているのではないかもしれないと思った。

2021年6月6日に、朝に何回も車のドアを閉める音を出しているのは小野の息子かもしれないと思ったのだ。
その理由は、この日の朝7時代に車のドアを閉める音が、いつもよりもたくさん短時間の間に同じ方向から聞こえてきた。
その後、数時間後の午前中に私の家の近くから車のドアを閉める音が一回聞こえて、少ししてまた同じ方向から車のドアを閉める音がした。
私は母屋から離れている2階建ての建物の2階に行き、窓から小野の家の方を見たら、家の隣に乗用車が置いてあって、その車の運転席側に30代ぐらいの細身の男が一人いた。
この男が上の服を脱いで車の運転席のハンドルの上に服を置いた後にドアを閉めたりして、私が2階から見ている短時間の間に3回ぐらい運転席側の
ドアを閉めたのだ。ドアを連続して閉めたのではなくて、一回閉めた後に、次にドアを閉めるまでに少し時間が経ってから閉めていた。
この日の朝7時代に車のドアを何回も閉める音を出していたのも、この人ではないのかと思った。
小野の家の母屋から少し離れた所の建物に誰か住んでいるみたいで、小野の家の隣においてある車のドアを閉めていた人がそこに住んでいるのではないかと思っている。
私はこの人を小野の息子だと思っていて、小野から私の独り言のことを聞いていて、親が嫌がるようなことしているのが気に入らないと思い、
音の嫌がらせを私にするために車のドアを何回も閉めていると思っている。
この小野の家のすぐ隣においてある車から私の独り言よりも大きいドアを閉める音が短時間の間に何回もしても小野は不満を全く持っていないのか、
うるさいと思っていても許容範囲内なのだろうか?小野はドアを閉めている本人がいる所や、いない所で「何をバンバン、ドア閉めているんじゃ」とは言わないのだろうか?
私のことには、わざわざ家の中から出てきて、今まで何回か大声出して独り言で「何をごにょごにょ独り言言よーんじゃ」と言っていても、
他のほとんどの音に対しては不満を言ったりなどしていないのに、気に入らなくて受け付けないものには外で大声でケチをつけている。
2021年の1月に私の家の近くで、朝の6時代ぐらいに車のクラクションを数回立て続けに鳴らす音が聞こえたのだが、クラクションを間違って鳴らしていたのなら、数回もクラクションの音は聞こえないだろうから、
意図的にクラクションを鳴らしているとしか思えないが、このクラクションを鳴らしている人と、朝に連続2、3回車のドアを閉めているのは同じ人がやっていて、それは小野の子どもだと思っている。

2021年半ば頃の夕方ぐらいに、私の住んでいる家で、私の母親がスマホで大きい声で喋っていた時に、近距離の小野の家の方から大きい音で家のドアを閉める音が一回聞こえた。車のドアを閉める音ではないと思った。
私はその時間帯に家にいることが多いが、普段はドアを閉める音など聞こえない。
小野の息子が私の母親の喋る声を聞いて独り言だと思ったのか、独り言だと思っていなくても、自分の親が嫌っている人が住んでいる家から
声が聞こえてきて不快になり、不快になっているのを喋っている私の母親のせいだとでも思って、不快さを発散させるためか、
音で嫌な思いをさせるために一回ドアを閉めた可能性もあると思っている。

音で自分や家族が嫌がっているから、自分も嫌な音を出している人に音の嫌がらせをしてやろうと、車のドアを閉めるなどの大きい音で嫌がらせをすることで、その嫌がらせの音が家族や、嫌いではない他の人にも聞こえていることを分かっていて、音の嫌がらせをしているバカ低俗なことをしているのだ。独り言を言っている私が悪気があって独り言を言っているとは思っていなくても、自分が出している嫌がらせの音で独り言を言っている私に嫌がってほしいと思っているなら、嫌ではない近所の他の人や自分の家族にも嫌がらせの音が聞こえているなら、自分も同じようなことをしているようなものだ。
ネットで知ったのだが、近所の人の門を閉める音に手紙で音をどうにかしてほしいと言おうとしている人や、直接本人にドアを閉める音がうるさいと不満を言っている人がいるが、具体的に言葉で言っているのは分かりやすい。音が気に入らないからと、音で嫌がらせしてきて、はっきり言葉で言わない形でしつこい嫌がらせをしてくる人もいるのだ。

2021年の5月ぐらいの時に、私が家にいるときに、近所のイノウエというバアさんの声で「ほとんど毎日独り言を言っている」というような声が聞こえたのだが、隣人の小野かエイちゃんなどが直接か電話などで私の独り言のことをこの人に言ったのかもしれないと思った。
その後の2021年5月に私が家にいる時に、イノウエのバアさんの声で「ほったらかしにされている」というような声が聞こえた気がしたが、
聞き間違いではないならば、独り言をほとんど毎日言っていて、小野が嫌がっているのに独り言をほったらかしにされていているという意味で言っている可能性があると思った。
誰でも自分がやっていることは、ほったらかしにされていて、泳がされていて、野放しにされているところばかりだ。
褒められて高評価されているのも、一部の人が褒めていて、一部の人の利益になるようなことをしているだけで、他の誰かは嫌がっていて迷惑していたり、不正だと思っている場合もあるが、誰かが嫌がっていたり、正しくもない不正でも泳がされていて、ほったらかしにされているのだ。
このばあさんと、ばあさんの夫は私が初めにあいさつをしないことに悪態ついているが、それを誰かから否定されたり、不満を言われてはいないだろうから、その悪態をついていることに対して、ほったらかしにされていて泳がされているのだ。
私が独り言を言っているのは事実だが、家で言っている独り言のほとんどは外に聞こえているとは思わない。
小野はエイちゃんとかに、私がほとんどの独り言を言っているとウソを言っている可能性があると思っている。
私はほとんど毎日独り言など言っていないし、家で言っている独り言のほとんどは外には聞こえているとは思わないし、小野は私が言っていた独り言のほとんどなど聞いていないのに、事実に尾ひれを付けてウソを付き、自分が独り言のせいで迷惑して、苦しんでいると他の人に言っているんだろう。自分達も今まで生きてくる中で誰かが嫌がることをして生きてきているだろうけど、それに全く気付いていないのだろうか?

あいさつ信者は、あいさつが正しいことではないのに一度もあいさつについて否定的なことを言っている人の言い分を見聞したことがない人が多いだろうから、あいさつは正しいという信仰が泳がされていて、野放しにされて、放置されて、ほったらかしにされているのだ。
間違っていると思うことをやっていると思う人に対しては、本人を直接止めたり、影で不満を言い悪口を言ったりするが、自分が間違っているとは思わないことに対しては、止めたりはせずに、ほったらかしにするのだ。
誰かに対して、ほったらかしにされていて放置されていて、おかしいと思う人は自分も色んなことをほったらかしにされて泳がされているのだ。

団塊世代の老人について、団塊世代は人の言うことを聞かないとか、団塊世代にはオレ様が多いとか、団塊世代は頭おかしいと言っている人もいる。一方で団塊世代は頭いいと言っている人もいた。
団塊世代についてみんなが同じことを思っているわけではないが、
小野やエイちゃんと呼ばれている人や私の叔父や叔母などは団塊世代ぐらいの人だが、自分たちが人からどう思われているのかは長年生きてきてもあまり分かっていないだろう。

ほとんどの人は金でやっていく世の中が正しいと信じている金信者だろうが、金でやっていく世の中など不正であり、金でやっていく世の中で大勢が迷惑して苦しんでいる。
でも、自分たちほとんどの人は金社会で苦しんでいる人がいても関係ないと思っている人が多いだろう。
金でやっていく世の中をやったらダメとか、あいさつ返しをしろと押し付けたらダメとかはほとんどの人は思わないだろう。

あいさつでも同じことで、自分の思い道りにならないから不満や疑問を持ったり、気持ち悪がったりする。
自分が正しいと信じているところがあるのに、自分が正しいと思っている通りにならないから気に入らないのだ。
例外除いて逮捕されるようなことをやっていなかったり、自分がひどいと思うことをやっていないから、自分はおかしい人間ではないと思っている人がたくさんいるのだろうけど。

 

58.人が嫌がることをしている点ではあいさつ信者もレイプ、強姦、痴漢、痴女と同じだ

 

ある日、私の母親が夜に炊飯器にご飯が全くなかったのか、少ししかなかったのか、ごはんを炊き忘れていたということを喋っていて、
「気づいた時にやっておかないと」というようなことを言ったのだが、
私の母親だけではなく、他の人も以前に何かを思った時にすぐにそれをやっておけばよかったと思ったことがある人もいるだろうが、
思ったことをすぐやったり、言うことで周りの人から高評価されて褒められる場合もあるだろうが、逆に低評価される場合もあったり、
低評価する人と高評価する人の両方がいたりもするだろう。
周りの人以外の人の評価も含めると、同じことに対して人類全員が同じことを思うことはないだろう。

誰でも視野が狭いところがあり、全体性や総体性がなく、一部のことしか知らないのに人や物事に評価を下すのだ。
自分が正しいと信じていることがある人の多くは、自分と同じことを信じている人の言い分を持ち出して、いかに自分が正しいかを言うだろう。
より多くの人が自分と同じことを信じていると安心したり、自分たちの方が正しいと思うのだろう。
それが本当に正しいことならいいが、正しくもない間違っていることを正しい真実だとまかり通らせている場合がたくさんあるだろう。

人が嫌がることをやっているのは同じことなのに、多くの人はほとんどのことでは人が嫌がることをしても許したり、大したことではないと片付けるだろう。
嫌がられた方が悪くて問題があるとされる場合と、嫌がった方が問題があるとされる場合や、どちらにも問題があるとされる場合と、どちらにも問題がないとされる場合がある。
刑法違反は警察を呼ばれた場合、本人や他の人が逮捕をおかしいと思ったり、悪いと思っていなくても警察が強制で逮捕して牢屋にいれる。
ほとんどの法律や法律以外の決まりは守らなくても許されやすいし、不満を持たれたり、悪いと思われても逮捕されるようなことはないのだ。
だからみんな野放しにされていて、泳がされているところがあるのだ。強制で逮捕されるわけでもないし、大勢がやっていることはまかり通りやすいから、自分達がやっていることで誰かが嫌がっていて迷惑していても、ほとんどの人は逮捕などされないし犯罪者とも言われずに差別しているのだ。
同じことをやっても、自分や好きな人などがやれば迷惑だとは思わないか、大目に見て許すことも、他の人が同じことをしたら迷惑だと思い許さないような差別をしている場合もあるのだ。

人の体に触ったり、セックスしたりするのを片方が嫌がって警察を呼ぶと刑法違反で逮捕されて犯罪者などと言われる場合がある。
例外あれど、他人のお尻や性器や胸を触って、触られた方が嫌がったら警察を呼ばれたり、痴漢や痴女、変態、変質者などと言われたりする場合がある。
例外は結婚相手や交際相手が同じことしてきた場合は触られた方が嫌がっても痴漢、痴女と言われにくいだろうし、警察も呼ばれにくいだろう。
セックスをして相手が嫌がっていたらレイプや強姦などと言われたりするが、セックスをしたのがお互いが性的両思いなら警察も呼ばれないし、愛の確認だとか、恋愛とか、気の交流やコミニケーションなどと言われて良い感じに言われるのだ。
例外あれど、性的両思いでセックスしたり、キスしたり、抱きしめたり、手をつないだりすることをやれば素晴らしいものと高評価されたりする。
例外は結婚している人や交際している人が、結婚相手や交際相手以外の人とセックスしたり、キスしたりすることを良く思わない人もいる。

初めに嫌がった方が悪く言われる場合があるが、あいさつは違うところがあるのだ。
初めにあいさつをしてきた人にあいさつ返すことを嫌がっていると、例外あれど、嫌がった方が異常者のおかしい奴にされやすいだろう。
何でかというと答えは簡単で、大勢があいさつ信者であいさつ返すことが正しいと信じているからだ。
だから自分が正しいと信じていることをしない方が間違っていておかしいと不満を持ったり、気味悪がるから、あいさつ返さない方がおかしい人や異常者扱いされるのだ。
あいさつ非信者もいるし、あいさつ信者でも知らない人にはあいさつしなくてもいいというあいさつルールを信仰している人もいるわけだが、
あいさつにおいては、誰かがあいさつを嫌がっていても、相手が嫌がることをやった方は悪くは言われにくいのだ。
大勢と同じことをしておけば何とかなると、関わる気もない人や大切でもない人や軽視している人や好きでもな人や両思いでない人にあいさつする人が多いだろうが、あいさつを返されない人の方が不快な気持ちにさせられた被害者と思っている人もいるのだ。

あいさつもレイプや強姦、痴漢、痴女と同じようなところがあるのだ。
みんながあいさつしたいとは思っていないし、一部の人にはあいさつを初めにしたいとか、あいさつ返したいと思っている人も、誰にでもあいさつしたいとか、誰にでもあいさつ返したいなどとは思っていないのだ。
あいさつはコミニケーションのツールだと言う人がいるが、誰かが人に喋って、喋りかけられた相手が返答することや、人の体を触ることをコミニケーションと言うのならば、警察の職務質問や取り調べや、手錠をかけたり、腰縄をつけたり、不満を言い合うのも、レイプや痴漢もコミニケーションということになる。
適当な言葉の定義で大勢がやっていることや、自分がやっていることを美化して良く言いたいから、あいさつをコミニケーションなどと言う人がいるのだろう。自分が正しいと信じていることや、大勢がやっていることを美化して、綺麗事を言いたい人だったり、嫌がらせであいさつしている人がいるのを知らなかったり、あいさつを嫌がっている人がいるのを知らない人に、
あいさつを褒める人が多いと思う。
嫌々あいさつしたり、相手と関わりたいと思っていなくても、あいさつを正しいと信じていない人があいさつしても、コミニケーションなどといい、まるでみんなが同じ理由であいさつしているかのようにも思えるような言い方をするのだ。
あいさつを初めにする人は例外あれど、好きではない人や、嫌いなだけの人や、関わる気もない人や、どうでもいい人や、両思いではない人に
あいさつする場合が多いだろうが、そんな相手に気を使わせてあいさつ返ししてもらおうとしていることを、人間の正しさだと信じている人がいるのだ。

あいさつやあいさつ以外のことで人が嫌がることをしている点ではレイプや強姦、痴漢、痴女と言われている人と同じなのだ。
あいさつをするのを嫌がっているのにあいさつさせたがるのは、あいさつレイプ、あいさつ強姦、あいさつ痴漢、あいさつ痴女とも言える。
レイプや強姦、痴漢、痴女をしたと言われている人は、刑法違反で警察に逮捕されるようなことだから犯罪や犯罪者などとも呼ばれるが、
ほとんどのことは誰かが嫌がることをしても、刑法違反ではないから罪や犯罪とは言われにくいのだ。

他人の気持ちが分からないところがあり、人が嫌がることをしている点では同じなのに、大勢が正しいと信じていることや、大勢がしなければいけないと信じているあいさつなどのことは、誰かがあいさつ返しをすることを嫌がっていたり、あいさつを正しいと信じていなくても、
あいさつ返さない方が悪く言われたり、おかしい人間にされやすい。
レイプや痴漢と言われているものでは嫌がられている方が悪く言われるのに、オウム返しであいさつ返しさせるためにあいさつを初めにしてきた方に、あいさつされた人があいさつ返ししなかったり、会釈だけしたら、白眼視されたりして変な目で見られて、不満を持たれたり、
身体暴力をやってきたりして攻撃してくるのは、自分のあいさつ返しが正しい信仰がまかり通らないことで不満を持ち、
不満を持った理由をあいさつ返ししなかったり、会釈だけした人のせいにして自分が信じていることの方が正しいのだと自分のことを正当化させたいのだろう。
人が嫌がっているのにあいさつを求めることをあいさつレイプ、あいさつ強姦、あいさつ痴漢、あいさつ痴女と言ったが、内面レイプや、心レイプ、ハートレイプや、内面強姦や、心強姦や、内面痴漢や、内面痴女とも言えるし、信仰レイプとも言える。
自分が断定的や半信半疑に信じていることを人に押し付けることを常識や当たり前、躾、マナー、社会のルールなどと呼べば綺麗事にできて美化できるが、みんなが同じことなど信じていないのだ。
人が嫌がることを暴力と定義づければ、あいさつを嫌がっている人がいるし、みんながあいさつを正しいとは信じていないのだから、
あいさつは暴力やバイオレンスとも言える。常識という名の暴力とも言えるし、大勢が信じていることが正しいという多数派の暴力とも言える。

あいさつ信者は、あいさつ返しはしないといけないという信仰をあいさつ非信者にも押し付けているが、綺麗事や美化をする場合は、社会のルールやコミニケーション、常識やマナーなどと良く言って美化して、
大勢が信じていることや大勢がやっていることを良く言いたい人もいるのだろう。
あいさつ返されなかった方が被害者で、あいさつ返さなかった方がひどい加害者に仕立てている人もいるのだ。
あいさつは例外あれど、大勢と同じことをしない少数派(マイノリティー)が悪者、加害者にされやすいといういい例だろう。
自分や自分の仲間や善人と思っている人からあいさつされたら嬉しいだろ、光栄だろとでも言いたいのだろうか?

一般にレイプや痴漢などと言われていることについては、多くの人がひどいことだとか、性的両思いでもないのに性的なことはやったらだめだと思っているから悪く言われるが、あいさつを初めにしている人を悪く言う人や、あいさつを嫌がる人があまりいないであろう理由は、
人はみんなあいさつされたら、あいさつを返しをしたいと信じていると勝手に間違ったことを信じている人が多いのだろうし、あいさつを初めにされて嫌がっている人がいたり、あいさつ返しを正しいと信じていない人がいることを知らないのだ。
誰でも世の中のことも人間のことも知らないことだらけなのに、あまりそのことに気づいていない人もたくさんいるのだろう。
誰でも鈍いところや頭の悪いバカなところがあるのだ。
あいさつに対する信仰が真逆で、あいさつは正しいと信じている人と信じていない人がいて、同じことを信じていないのに、あいさつされたらみんながあいさつ返しをしなければいけないと信じているあいさつ信者は、あいさつ非信者や知らない人にあいさつしなくてもいいと信じているあいさつ信者の方の信仰を知らないのに、みんな自分と同じことを信じていると勘違いしているのだ。

同じことを信じていないことを信仰の両思いではないと言うとすれば、あいさつ返さない人に不満を持つ人や、初めにあいさつしないことに不満を持つ人は、一方的な片思いをしているとも言えるのだ。
あいさつにおいては信仰の両思いだと思っていて、自分と同じことをあいさつにおいては信じていると思っているから、絶対あいさつ返されると自信を持って知らない人や、仲良くもない知っている人にあいさつする人が多いのだろう。人間はみんなあいさつ返すのだという間違った信仰を持ち、自分の心が大切で、相手のことを分かっていないし、全く大切でもないか、ほとんど大切でもない人にあいさつしている場合が多いだろうけど。
もし、自分より相手が大切ならば、あいさつ返さなかったとか、初めにあいさつしなかったことで不満など持たない人の方が多いだろう。

今まで性的両思いだった恋人2人がいて、男が女の胸を揉んだら女から嫌がられて、その後も男がキスしようとしたら嫌がられたら、男の方が自分は今までは性的に受け入れられていて、女の方も性的なことで喜んでいたけど、
もう女の方は自分に性的な好意は持っていなくて、性的両思いではなくなったんだと気づいたようなものだろう。

何かについての経験があるという人も、一度か数回やっただけで、そんなにたくさんやったことはなかったり、同じことに対する経験がたくさんあるという人も、その経験を同じ人ばかりにやっているわけではないので、経験豊富というように言われている人が、その経験したことについて、必ずしも良く知っているとは言えないのだ。あいさつでいえば、
60代の人があいさつを子どもの時からやっていて、あいさつ歴は60年以上で、あいさつ経験が豊富だと言ったとしても、
実際はほとんどの人にはあいさつしてはいなくて、いつも大体決まった同じ人にばかりにあいさつしていて、たまに知らない人にあいさつしたことがあるだけで、ほとんどの人にあいさつしたこともないのだ。あいさつの経験が豊富な人ではなくて、あいさつ経験が少ない人とも言える。
自分が今まで数少なすぎる人にあいさつしてきたら、自分からあいさつされた人全員がオウム返しであいさつ返してきたから、
他の人もみんなオウム返しであいさつ返すと思った人もたくさんいるのだろう。
今まで1000回のあいさつをした人がいても、あいさつした人数は12人や25人や9人や42人にしかしたことがないようなものだ。
1000回のあいさつをしたから、1000人にあいさつしたということにはならない。
1000回のセックスをしたから、1000人とセックスしたということにはならない。

 

59.あおり挨拶

 

あおり運転と言われているものがあるが、前を走っている車の運転を遅いと思って不満を持った人や、信号が橙色で前の車が止まっている時にクラクションを何度も鳴らしたりしているのをあおり運転などと言うが、
あいさつもそれ以外のことも煽りなどたくさんあるのだが、「煽り(あおり)」という言葉で言い表していないだけなのだ。
親や先生などが子どもに、自分が正しいと信じていることや、正しいと信じてもいないのに親の見栄や体裁のためにあれをやれとか、これはやるなと言うと、しつけや教育、育てる、教えるなどという言葉で言われたりする場合が多いだろうが、言われた方の子どもは正しいと信じていないことを押しつけられたと思っている人もたくさんいるだろう。
自分が正しいと信じていることを人にやれと言うことを煽っているとは多くの人は言わない。
言葉の言い方として、何かをやれとか、やるなと言うことを煽りという人はあまりいないのだが、煽りとも言えるのだ。

間違っていることを言っていると思っても煽りとは言われにくい。
ごく一部のこととか、あおり運転といわれていることには、煽りという言葉を使うのだ。
あいさつも煽りと言えるが、学校で子どもにあいさつをしろと言うことを押し進めて、あいさつ返しをさせようとすることを、あいさつ運動と言っているのも「あおり挨拶運動」とか「あいさつが正しいことであると煽っている」とか「あいさつ返しをしろと煽る運動」とも言えるのだ。
人を自分の思い道理にさせたいと思っていたり、自分が正しいと信じていることを自分以外の人にも同じことを信じさせたいと思うことを煽りとは言わない人が多いのだ。
あおり運転の場合は、多くの人がそれをやらない方がいいと思っているだろうから、煽っているという言葉はおかしいとは思わない人が多いだろう。

私の家の近所のイノウエ夫婦があいさつを初めにされないことに不満を持っていることを私に直接言葉で言っていなくても、態度や目つきなどで私が初めにあいさつしないことに不満を持っているのは分かるわけだが、
ほとんどの人は、あいさつを初めにしろとは言っていないならば煽ってはいないと思うだろうが、言葉などは言葉遊びであり、自分達も適当に色んな言葉に勝手な定義、意味付けをしてい生きているのだ。
イノウエ夫婦のような感じの態度の人を、「無言の煽り」「静かな煽り」「サイレント煽り」「はっきり言わない煽り」という感じだ。

年金や税金払えとか、値段がついるいているものに金払えというのも煽りとは言われない。
年金や税金を払うことを正しいと信じていない人でも、「年金、税金払えと煽られた」とはほとんどの人は言わないだろう。
煽りなど誰でもやっているのだ。何を煽っているのか、どういう煽り方をしているのかが違うだけだ。
結局は目くそ鼻くそ、五十歩百歩で、まったく同じではないけれど似たようなものなのだ。
あいさつを初めにしてほしいとか、あいさつ返せと言葉で言っていようが、言っていなかろうが、一部の人にだけあいさつをさせたいと
多くの人が思っていることは同じだ。
あいさつしてほしい人が、自分にあいさつさせたい人があいさつしなかったことで不満を直接言っていても、内面で不満を持っているだけでも、
本人がいない所で他の人に不満を言っていても、言葉以外で悪態ついたり、いかにも不満持っているような
態度を取っているのも、不満の表し方が違うだけであいさつしないことに対して不満を持っているのは同じなのだ。

私が20代の時に、イズミヤの総菜で働いていたのだが、キョウさんと呼ばれている中年の女の人がいて、この人のいくつかの私に対する言動は、私のことをバカにして見下しているとしか思えない言動を取ってきていたが、
ある時、私の右側にキョウさんがいて、キョウさんが私に何か仕事のことを言った時に、私が無言で何も喋らなかったら、「返事せなあかんでー」と言っていたのだが、誰かだったら、返事をすることは人としてしなければいけないことと思うのだろうが、返事しないとダメだと返事しなかった人に不満を持った人は、誰に対しても、どんなことを喋られても返事しなければいけないなどと信じているわけがないのだ。
あいさつで言えば、誰にでもあいさつしてほしいと思っていなかったり、あいさつ返さなかったのが嫌いな人や、好きではない人ならば
許さなくても、好きな人や仲間ならば許したりするようなもので、
喋ったことに返事をしないことに不満を持つのも、以前から相手に不満を持っていて相手を見下していたり、仲間だと思っていない人だったり、
嫌いなだけの人だったりするから、返事をしなことに不満を持つ場合の方が多そうだ。
キョウさんが私に「返事せなあかんでー」と言ったのは私のことをバカにしていたり、格下に見ていて、仲間だと思っていないから
上から目線で言ってきたと思っている。この人を良く言いたい人は躾や教育とか、人間としての正しさを教えるために言ったと思うのだろうけど。
もし同じ状況下で、好きな人やこの人の家族が無言で返事しなくても同じことを言ったのだろうか?

別の日にキョウさんが天皇家の以前の天皇、皇后の娘のサーヤと呼ばれている人が結婚した時のことを話題に出していた。
一字一句はっきり覚えていないが、結婚式のサーヤの服装のことについて「あれ性格やで」とキョウさんが言った後に、
私の親と同い年ぐらいの団塊世代ぐらいのおばさんが、一字一句はっきり覚えていないが、「ああゆう立場の人だから、ごちゃごちゃ言われるやん」というような感じのことを言った後に、キョウさんは無言で黙っていて返事などしていなかった。
他人が喋ったことにキョウさんも他の人も絶対返事をしなければいけないとは思っているわけがないのだ。
天皇家の人のことについて、「ごちゃごちゃ言われるやん」と言った人の言いたいことは、天皇家の人がやることは税金から金を取っているので、
結婚式を派手にしたり、服を派手にしたりして金をたくさん使っているようなことすると、税金を使うことに誰かが不満をごちゃごちゃ言う人が出てくるから金をそんなに使えないだろと言うようなことを言いたかったのかなと思っている。

キョウさんは別の時にも、洗い物をするシンクの水が流れていくところの小さい受け皿に野菜くずとかが溜まったいた時に、
大声の金切り声で「何回言うたら分かるんやー」と私に不満を言ったのだ。私のことを仲間だと思っていなかったり、見下しているから、
以前、受け皿に溜まった物を捨てろと言った簡単なことが出来ていないことも気に入らないと思って怒鳴ったと思っている。
キョウさんは別の日に私に対して「お母さんの手伝いしてなかったみたいやな。」と言ってきたのだが、私のことをバカにしていて嫌味で言ったと思っている。


脱あいさつ あいさつは正しくない10

2022年10月20日 | 脱あいさつ

目次

第1章から第9章へのリンク
第10章から第12章へのリンク
第13章から第20章へのリンク
第21章から第23章へのリンク
第24章へのリンク
第25章から28章へのリンク
第29章から37章へのリンク
第38章から47章へのリンク
第48章から52章へのリンク
53.みんな色んなことを無視しまくっている
54.同じ言葉を同じ意味で使っていない みんな泥棒の差別社会
55.みんな自分の思い道りにしたいところがある独裁者であり、犯罪者でもあるとも言える
56.ゴミ捨て場のことなど みんな犯罪者とも言える
第57章から第59章へのリンク
第60章から第67章へのリンク
第68章から第75章へのリンク
第76章から第81章へのリンク
第82章から第86章へのリンク
第87章から第93章へのリンク
第94章から第99章へのリンク

 

53.みんな色んなことを無視しまくっている

以前ネットで誰かが書いていたことで、一字一句はっきり覚えていないが、
一番冷たいことは無視だというようなことを書いていた人がいる。
まず、無視という言葉の定義自体が人によって違うが、
多くの人の無視の定義は、喋りかけたり、あいさつをして返事をされなくて無反応なことを無視と定義づけている人が多いだろう。
自分の思い道りに返事をせずに無反応なことを気に入らないとか、おかしいと思っていて、一方で、返事をしても自分が気に入らないことを言ったら、不満を持ったり、嫌がらせをしたり、身体暴力をやったり、裁判を起こしたりなどする場合もあるのだ。
つまり、返事をしても、無反応でも自分が気に入らない態度を取れば、何をやっても不満を持つのだ。  

関わる気もない人や、どうでもいい人などに形だけ自己満足であいさつしたり、喋りかけたことをやさしいとか、思いやりとか、常識人とか、いい人などと言い、自分や自分と同じことをしている人を褒め称える人もいるだろうが、形だけの対応をされることを嫌がる人もいる。相手の心理や信仰心を知らないし、知る気もないことを相手のことを無視しているとは言わない人が多いだろう。
自分やほとんどの人を悪くは言いたくない人が多いのだろう。
どうでもいい人や大切ではない人に、形だけ喋りかけて気を使ってあげたなどと思って、自分や好きな人を良く言っても、形だけの対応をされた人が何を思ったのかの心理に全くか、ほとんど興味、関心もない人は相手の心理、信仰心を無視しているとも言えるが、どうでもいい人や大切ではない人に喋りかけてあげたり、あいさつをしてあげたり、アメやお菓子などをあげたから、相手のことを無視していないというのは綺麗事でカッコつけていて、自分達のことを悪く言いたくないのだ。

下らない言葉遊びをしていて、全くか、ほとんど興味、関心がない人に対して形だけの応対をしたり、一部のことにだけ興味があって喋りかけたり、一緒に行動したから、その人のことを無視していないというのだろうが、
その人のほとんどのことについては無視しているとも言える。

一切興味がない人に形だけあいさつし、あいさつ返されたら相手と繋がり、コミニケーションをしたと都合のいいように捉える人もいるのだ。
世の中や人間や人間以外の生物のほとんどに興味、関心がない人の方が多いだろうが、その興味がない対象のことを無視しているとも言える。
例えば、Aさんが作家のBさんのある本に興味を持って読んでも、Bさんが他にも本を書いているのに、Bさんの他の本には興味がないので読む気もなくても、AさんはBさんの本を一冊読んだからBさんを無視していないなどと言うのだろうが、Bさんのほとんどを無視しているとも言えるのだ。

あいさつをする人のことをコミニケーション能力が高いなどと言う人がいて間違ったことを思っているが、あいさつしている人は大切ではない人や、どうでもいい人にあいさつしている場合が多いだろうが、そんな形だけのあいさつをしている人は、あいさつをさせたい人のあいさつに対する信仰心や心理や体調を考慮、配慮などしていない場合が多いだろうから、
「相手の色んなことを無視してあいさつしている」とか「無視している人にあいさつした」とも言える。
でも多くの人は、関わる気もない人や興味がない人や、少しだけしか興味がない人に形だけあいさつしたり、喋りかけたり、アメやお菓子などをあげて働きかけることを無視していないと言いカッコつけて綺麗事を言うだろう。
表面的な形だけの態度を取り、相手の心理や信仰心などは無視している場合が多いだろうが、あいさつしたり、喋りかけると多くの人は無視とは言わないのだ。
無視されたと不満を持っている人も、不満を持っている相手や、それ以外の人や人間以外の生き物や色んなことを無視しまくっているのだが、
気づいていないのだ。誰でも頭が悪くてバカなところがあるのだ。
知らないことが一つでもあることをバカと言うと定義づければ、みんなバカなところなどたくさんある。

一番冷たいのは無視と言っている人は多分、無視をしていない人の方が多いと思ってそうだが、誰でも色んなことを無視しまくっているのだ。
あいさつされたいのにされないことで無視されたと思っている人が、あいさつしなかった人に不満を言ったり、嫌がらせをしたり、身体暴力をやることを、無視が一番ひどいから、不満を言ったり、嫌がらせをしたり、身体暴力をやることは無視よりはひどくないなどと思うのだろうが、
あいさつしなかった人の体調や性格やあいさつについての信仰心を知らずに、知る気もなく、相手を嫌ったり、見下したり、不満を言ったり、攻撃してくるのはあいさつしなかった相手のあいさつの対する信仰心や、体調や色んなことを無視しているのだが、多くの人はこれを無視とは言わないのだろう。
言葉を自分に都合のいいように使っているだけで、
我が身可愛さから、自分のことは無視してほしくないところがあるけど、他の人や色んなことを無視することは許していて自分に甘い。
あいさつされたいのに、あいさつされなくて無視されたと思っている人も、
自分のほとんどのことは知られなくてもいいと思っていて、自分や他人のほとんどのことは知らなくてもよくて、無視されてもいいと思っているくせに、勝手なことを思っているのだ。

誰かが気に入らないから身体暴力をやったり、影で物を壊すなどの嫌がらせをしたり、戦争をやったり、人を悪く言うことよりも、
自分や好きな人が誰かに喋りかけたり、あいさつした時に自分が望む返事をされなかったことの方がひどいことだと思う人もいるだろうが、
今まで自分が一番嫌だったのが、あいさつを返されなかったり、喋りかけて返事をされなかったことだという人は、自分が大切で可愛いから、
他の人が別のことで嫌な思いをしていたり、戦争に行ったりすることよりも、自分が喋りかけたり、あいさつした時に望んでいる返事をしなことの方が、一番冷たくて、ひどいことと思い、自分を基準にした物事の捉え方をしているのだろう。

多くの人は自分や好きな人が戦争に行くことになったら、あいさつ返されないとか、喋りかけたのに返事をされなかったことよりも嫌がったり、苦しむだろうが、自分や好きな人が戦争に行ったことがなかったり、あまり色んなことで苦しんでいない人などは、あいさつを返されなかったとか、
喋りかけて返事をされなかったことで嫌な思いをしたことが
一番ひどくて、冷たいことなどと思う人もいるのは、人間は自分が一番可愛くて、我が身が可愛いから、自分が一番嫌な気持ちになったことが一番ひどいことだと思う人もいるのだろう。

金でやっていく世の中が正しいと信じている金信者が、値段がついているものに金を払わない人を逮捕することを許したり、税金を払わない人に差し押さえすることを許している人も、自分が信じていることが正しいのに、自分が信じていることが無視されていると思っているのだろう。
他の人も自分と同じことを信じなければいけないところがあると思っているのに、それをやらない人は間違っていると思っているのだろう。
自分の信仰心が無視されたと不満を持っているが、そんな人も不満を持った相手や、それ以外の人の信仰心や色んなことをを無視しているのだから同じようなものだ。

 

54.同じ言葉を同じ意味で使っていない みんな泥棒の差別社会

「自分自身の私利私欲ではなく、子どもの様に純粋に生きる」などと言うようなことを言っている人がいたが、下らない言葉遊びや、差別をしているのだ。
子どもが自分のやりたいことをすることは純粋、ピュアと言う人がいるわけだが、自分のやりたいことをやることを、欲と言うとすれば、私欲とも言えるわけだし、自分がやりたいからやることを私利と呼べば、子どもも私利私欲があるということになるし、子ども以外でも誰でも私利私欲があると言えるのだ。

人に喜んでほしいとか、人の利益になりたいからという理由で何かをやった人には、その人のやったことで誰かが嫌がっていても、武器を持って攻撃しに行っても、人のためとか、純粋などと良く言って高評価する人もいるのだ。
人に喜んでほしいとか、人の利益になりたいという理由でやったわけではないことを、誰かが嫌がっていても、嫌がっていなくても私利私欲と言う人もいるだろう。
誰かが嫌がることをしたり、人や人以外の生き物の気持ちが分からなくても、人に良かれと思ってやったとか、人のためにやったと言えば
悪く思われにくい。
人が嫌がることをやっていたり、人の気持ちが分からない点では同じなのに、誰かの利益になりたいという理由でやった人のことは私利私欲とは言い表さず、誰かの利益になりたいと思ってやったわけではないことは私利私欲という言葉で言い表す人がいてバカな言葉の定義を持っているのだ。
「自分のため」と「人のため」という言葉を正反対の意味で使う人が多いだろうが、これらの言葉は同義語とも言えるのだ。
自分のためという理由で何かをやっていると思われている人と、人のためという理由で何かをやっていると思われている人が、どちらとも、自分がやりたいと思っていることをやっているのならば、自分がやりたいことをやっているという点では同じなのだ。
人のためにやったと言われている人は、自分がやったことで人の役に立ってほしいとか、人の利益になってほしいと思ったから人のための人というように言われていても、自分がやりたいことをやっているだけであり、自分のためと言われている人と変わらないのだ。
人のためにやっていると言われている人を褒める人は、人のためにやったと言われている人がやったことで誰かが嫌がっていても、
嫌がっている人がいるというところに全くか、ほとんど関心がない人が多いのだろう。
自分以外の誰かのことを良い意味で思ったことが素晴らしいと思いたい人は、その人たちがやっていることで、誰かが嫌がっていることではなくて、
自分が素晴らしいと思った人を褒めて良く言いたいだけなのだ。
自分以外の誰かのことを良い意味で意識したということを褒めたい人は、
その人たちがやったことで迷惑していたり、嫌がっている人のことを考えていない場合が多いのだろう。

関わる気もない人や、嫌いなだけの人に、あいさつを初めにやって、あいさつ返しをさせたい人をコミニケーション能力が高いとか、素晴らしいという人も同じで、あいさつをされた人が何を感じているのかを分かっていなかったり、相手に興味がない場合が多いのだろう。
自分以外の人にあいさつで働きかけて、あいさつ返せという欲求を持つことを素晴らしいとか、心の成長が出来ているなどと褒めて、
あいさつされた人の心理に関心がない場合が多いのだろうけど。
自分以外の誰かにいい意味で働きかけたと思う人を褒めて高評価して、
自分のことだけしか考えていないと思っている人を見下してバカにして蔑むようなことをしている人は人のことを差別してバカにしているだけだ。

美形を好きな人が、自分のために役に立っているから、この人たちを好きになり褒めて、ブスだと思う人を嫌っている人が自分が嫌な気持ちになる相手だから、嫌ったり見下していることと同じで、自分が素晴らしいと思う人を褒めて、バカにして見下している人のことを嫌って、下に見ているだけだ。
人のためにという理由で行動している人の方が素晴らしくて、人のためにという理由で行動していない人の方が劣った人間だと勝手に信じて、
自分好みの人を褒めているだけだ。
同じことをしたのに、人のためにという理由でやった人の方が、人のためにという理由でやった人よりも素晴らしい上層階級の人間であるかのように上に見る人もいるのだ。
キャバクラなどの水商売の人がいる店に行く男の多くは、美形の女が目当ての人が多いだろうが、女を見れたり、女と喋ったから嬉しいのではなくて、自分が好きな美形の顔の女を見れたり、美形の女と喋れたから嬉しいように、人のための人と思っている人を高評価する人は、人の利益のためにと思って何かをやった人を好んでいるから高評価するのだ。

滅私奉公で社会や仕事のために生きていると思われている人が、実際は他人が決めた決まりをほとんど守らなかったり、自分が信じていることを
他の人にあからさまに押し付けたりしているのだ。
一部の要望は色んな理由で聞き入れても、他の要望は聞き入れないのだ。
例えば、多くの人はあいさつや金でやっていく世の中が正しいと信じている。
「あいさつを初めにしろ」「あいさつしたら返せ」や「値段ついているものに金を払え。
税金、年金や罰金などの金を払え。税金払わないと差し押さえをする。値段ついているものに金を払わないと逮捕したり、罰金を取るぞ。」ということを思っているだろうが、自分が信じていること、感じていることを内面で思っているだけであろうが、本人に直接、自分の信仰や自分の思い道りにならなかったことの不満を言おうが、自分以外の人を利用して警察に逮捕させようとしたり、裁判を起こしたりするのは、自分が正しいと思っていたり、自分の思い道りにしたいのだ。だから私利私欲ではない人がいるとか、滅私奉公の人などと言って良い感じに言い高評価しているのも何かおかしいのだ。

人間の中には「自分の思っていることも言わずに、他の人に合わせてあげた」などと思っている人もいるだろうが、言うことを聞かないと殺すぞなどと脅されているとかなら別として、人の決めた一部の決まりや、一部の他人の要望を守っている多数派の大勢の人を滅私奉公をしているなどと言って、多数派をいい人であるというように美化したい人もいるのだろう。

自分が逮捕されたくないから、値段が正しいと思わなくて不満があっても金を払うことを「自分のやりたいこともせずに、他の人に合わせたんだ」と自分を抑え滅私したと言いたい人もいるのだろうが、金を払わないことも出来るし、買わないことも出来るのに、自分で金を払っているのだから、自分で決めたことで滅私などしていないとも言えるのだ。

「大勢と同じことをするのが例外あれど正しい」と信じている人は多いだろうが、だから、あいさつしたら返さなければいけないとか、金でやっていく世の中が正しいと信じて、あいさつ返さなかったとか、金を払わなかったと不満や疑問を持ち、あいさつされなかった人が嫌な気持ちになるとか、
金を払わないと金を払われなかった店や、税金や年金を払っている人が不満を持って嫌な思いをするから、金は払わなければいけないし、年金や税金は払わなければいけないと思っている人のことを、「人のことを考えている」「人のための人」や「他己愛」や「愛」や「他人への思いやり」「他人へのやさしさ」などと言う人もいるだろうが、言葉というものが、どうにでも使えて自分の思い道りに使えるものなので、自分に都合のいい使い方をするのだろう。
金でやっていく世の中で大勢の人が苦しんでいて、金でやっていく世の中は不正で異常な頭がおかし世の中だが、この金社会をやることで、誰かが嫌がって迷惑していても、自分が金でやっていく世の中を正しいと信じているなら、正しいと信じていない人を見下したり、逮捕することをやってもいいと勝手に信じていることを「自分のため」という言い方をしないのだ。
汚いとか、差別しているとは言わないのだ。
金信者の中には「人のために金でやっていく世の中をやっていて、社会に貢献して、社会参加をして、正しい生き方をしているのだ。私たちの方が正しい」と思っている人もいるだろう。

人のためにとか、滅私奉公とか他己愛とか愛や社会のルールなどの言葉に隠している定義、意味付け、本当の意味、本音、本心を言えば都合が悪いから
はっきり言っていない人もいるだろう。
これらの言葉に隠している意味は、自分以外の一人や一匹や特定の一部の人や、大勢がいい思いをしたり、嫌な気持ちにならないならば、一部の人は死んでもいいとか、逮捕して牢屋にいれたらいいとか、見下したり、悪人や罪人と呼べばいいと思っているのだろう。
悪や罪の定義は人によって違うが、悪や罪の一部の人の定義は例外除いて、大勢と同じことをしないことを悪や罪と定義づけているだろう。

金でやっていく世の中も、あいさつもカルト宗教なのだ。
一般に宗教と呼ばれているイスラム教や創価学会などで、信者だった人がその宗教の信仰しなくなったとか、宗教の決まりを守らないことで、
部屋に閉じ込めたり、縄で体を縛ったり、身体暴力をやったりすると、おかしい宗教という意味などでカルト宗教と呼ばれるだろうが、
金でやっていく世の中が正しいと信じている人も金宗教というカルト宗教の信者なのだ。
何に値段を付けてよくて、何に値段付けたらダメかは、それぞれが勝手に決めていて、金信者たちは金宗教の教祖だとも言える。

刑法違反で逮捕することをやってもいいとしている刑法という法律や、それをまかり通らせている人達のことをカルト宗教の信者や教祖とは言わないし、あいさつしてほしいのにしない人を見下したり、本人の前で悪態ついたり、攻撃してくる人をカルトあいさつ宗教の信者や教祖とは言わずに、
一部の人の信じている宗教だけをカルトなどと言い、差別しているのだ。
金でやっていく世の中なんか異常なカルト社会だ。
このおかしい社会で多くの人が、金でやっていく世の中で金に関することで気に入らないことを他人のせいにして生きているのだ。

税金を払わない人に、「真面目な人が損をする」などと言い、税金払っている人を良く言う人の中には税金を払うことを正しいと信じていないのに
税金を払っていない人に対して羨ましさ、妬み、嫉みで不満を言っている人もいるだろう。
自分が税金を払わないことで税金Gメンに差し押さえをされたくないとか、他人から嫌われたくないなどの理由で、払いたくなくても嫌々払っている人もいるだろう。

この金でやっていく世の中を正しいと信じている人や、給料や印税を貰うようなことをするのが正しいと信じている人などを普通の人や堅気の人間や、一般人、いい人、善人、真面目な人、常識人などと呼んでいる人も多いだろうが、例外あれど、大勢と同じことをしない人を見下してたり、羨ましがったり、牢屋にいれたり、嫌がらせしたりなどすることを「本当は怖い普通の人と呼ばれている人」「本当は怖い堅気の人間と呼ばれている人」「本当は怖い一般人と呼ばれている人」「本当は怖い善人(いい人)と呼ばれている人」「本当は怖い真面目な人と言われている人」「本当は怖い常識人と呼ばれている人」などとも言える。
大勢と同じことをしない人や、自分が正しいと信じていることをしない人を見下したり、牢屋に入れたり、攻撃してきたりする人が
普通の人や堅気の人間や一般人、いい人、善人、真面目な人、常識人などと呼ばれて良く言われて高評価されている。

一般に泥棒の定義や意味付けは、他人の家などから物を取って行った人や、店で売られている値段ついているものに金を払わなかった人や、
スリや詐欺などと呼ばれている刑法違反をした人を泥棒と言いやすいが、みんな泥棒とも言えるのだ。
刑法違反で泥棒と言われていること以外で泥棒と言われているので有名なのが税金泥棒だが、自分が正当に得たと思っている金を税金を取られるのが正しいと信じていない人や、使われたくない所に税金を使われることに税金泥棒と言っているが、正当に得た金などあるわけがなく、本来全ての物に値段はついていないのだから、色んなものやサービスに値段付けて金を客から取り、そこから給料や印税などを貰うことは合法の不正であり、合法詐欺、合法泥棒だ。
商売以外でも、本来、人がやっていることは金に換算できるものではないので、給料を貰っているのも給料泥棒なのだ。
刑法違反ではないので警察呼んでも捕まらないだけだ。
詐欺師と言われている人が刑法違反で捕まるが、本来全ての物に値段はついていなのに値段付けているのも全て詐欺だが、みんなで助け合いをしておらず、金がないとやっていけないのと、大勢がやっていることは正しいという信仰を持っている人が多いから値段付けたり、年金、税金、罰金などを取ることを詐欺とは呼ばない差別をしているのだ。
年金、税金、罰金などを取るのも合法の不正なのだ。大勢が正しいと信じているから金でやっていく世の中はまかり通るのだ。

金でやっていく世の中が正しいから、年金や税金や値段ついているものに金払えとか、給料や印税という形で金を貰うようなことをしなければならないと信じているたくさんの人たちは、自分達と同じことを信じていない人に
不満を持ったり、不満を言ってきたり、見下したり、逮捕したりすることを許している「信仰泥棒」や「信じていること泥棒」とも言えるのだ。
自分と同じ信仰を持っていない人に対して不満を持ち、警察を呼んで逮捕させる人も、逮捕する方の警察も泥棒だが、合法だから捕まらないだけだ。
私は昔、万引きをしたことがあるが、万引きを悪く言うのも、金でやっていく世の中が正しいという信仰を持っている人が値段が付いているものに金を払わないことに不満を持っていたり、子どもが万引きしたら許すような差別をしていたり、この値段は不正だと思っているところがある人もいたり、
値段が付いているものに金を払っていない人に対する妬みや羨ましさがある人もいるだろう。

一般に泥棒と言えば、他人の物を取ったということを言うが、自分が正しいから他の人も自分と同じことをしろと思い、同じことをしない場合に刑法を利用して逮捕しても、「他人の信じていることを盗んだ」とか「他人の信仰を盗んだ」とは言わない。
絶対に正しい根拠がなくても自分が正しいと信じているところがあるのだ。
あいさつも同じで、あいさつ返すのが正しいと信じていたり、初めにあいさつをしろという決まりを勝手に作り、それをはっきり言葉で言うわけでもなく、自分が正しいと信じていることをやらないと不満を持ったり、見下したり、悪態ついたり、攻撃してくることは信仰泥棒とも言えるのだ。

刑法違反した人のことも嫌ったり、見下したりするが、刑法違反ではなくてもあいさつなどのことでも見下したり、嫌っているのだ。
刑法違反や刑法違反以外で誰かを見下したり、嫌っている人に共通するのは、自分が正しいと信じていることをしなかったとか、大勢と同じことをしていないとか、自分に都合の悪いことなど、自分が嫌いな特徴を持っているから不満を持っているのだ。
「私が正しいんですよ」とは言わずに、社会のルールや常識、マナー、モラル、当たり前、正義などという言葉で誤魔化していて、何が言いたいのかをはっきり言わないのだ。

天皇家の人が税金から皇室費という形で金をたくさん取ることは合法なので泥棒とは言われにくいが、税金を取るのも不正であり、天皇家に皇室費を取っていることをみんなが正しいとは信じていないし、良く思わない人がいても合法だと悪く言われにくい。
カルロスゴーンが自分の会社から金をたくさん取っていたら、法律上は違法なので警察に通報されて捕まった。
例外あれど、逮捕されると多くの人が悪印象を持ち、悪く思われやすいが、
逮捕された人を見下したり、悪く思っている人は逮捕されている人に対する悪い意味の差別をしているのだ。
金を得ているということで誰かが不満を持っている点では天皇家の人もカルロスゴーンも、詐欺師と言われている人も、スリと言われている人も、
年金を貰う老人も、生活保護受給者も生活保護不正受給者も商売人も、宝くじが当たった人も、ヒモ生活の人も、給料や印税という形で金を貰っている人も、それ以外のことで金を貰っている人も同じことだ。刑法で違法か合法の違いなだけで、違法ならば逮捕される場合もあるだけで、合法ならば金を貰っていることに不満を持たれていても逮捕にはならないだけだ。
一部の人が金を得ていることが違法なら逮捕して、それ以外ならば逮捕しないというのは差別しているだけだ。
金でやっていく世の中という不正な社会で、平気で堂々とえこひいき差別をしている人たちが普通の人や一般人や善人と呼ばれているのだ。

何かのテレビ番組で、海で生きている野生の一匹のあるイルカについて、一字一句覚えていないが誰かが「人間の世界と同じで、頭がいい人は集団から追い出される。
このイルカも同じで、頭が良くて群れから追い出されたか、
自分から群れを出てきたのだろう」というようなことを言っていたと思う。
人間の世界で頭がいいと思われている人みんなが集団から追い出されるわけではないが、追い出される場合もある。

大勢と同じことをする人のことを頭のいい人、要領のいい人と言われる場合もあるだろうが、金でやっていく世の中が正しいと大勢と同じことを信じる人のことを、正しいことが分かっている頭のいい人だと思う人もいるだろうが、金でやっていく世の中は不正だ。
間違っていることをしていたり、不正をやっている人の方が正しいとされ、その人たちと同じことをしない人の方が間違っていて、不正だと思われる場合もあるのだ。
あいさつが正しいとか、金でやっていく世の中が正しいとか、子どもは学校に行くのが正しいと信じていることも不正で間違っているのだ。
金でやっていく世の中で金を払わないことで逮捕されるのも、金を払わない人を金でやっていく世の中から追い出して排除して牢屋の中に入れて監禁しているのだ。カルト金社会の異常さだ。
イルカのことで誰かが言っていたように、金でやっていく世の中が不正で間違っていると気づいている頭がいい人の方が異常者扱いされたり、
悪者扱いされて排除されて、金でやっていく世の中が正しいと信じている間違ったことを信じいている人の方が良く思われるのだ。金でやっていく世の中が間違っていて不正だと気づいている人の数は少数の一部の人だけだろう。
金でやっていく世の中が間違っていると分かっていて、値段ついているものに金払わなければ逮捕される場合もあるし、税金を払わなければ強制で差し押さえをされる場合もあり、不正な金でやっていく世の中を辞めたくても、
金でやっていく世の中が正しいと信じている金信者がそれを許さないのだ。

過去の歴史に学ばないバカなところがある人類とも言える。
今までも大勢がやってきたことで、大勢の人や少数の人が嫌がっていたり、ひどいと思っているようなことがある。
その一部に乱や戦や戦争があるが、人のためにやったと良く言ったり美化する人がいるが、多くの人はこれらのことを良いことや素晴らしいとは思わないだろう。
あいさつする人は、あいさつをごく一部の人にしかやらないだろうが、あいさつを初めにした人や、あいさつ返しをした人みんなが、あいさつが素晴らしいとは思ってはいないし、常にあいさつで良い気持ちになったりなどしていないだろうし、あいさつを嫌がっている人や正しいと信じていない人もいるのだ。

今も続いている金でやっていくこの世の中で多くの人が苦しんでいるのだ。
大勢が学校に行っているが、学校で凄い嫌な思いしている人もいれば、そこまで嫌なことはなく、なんとなく学校に行っているような人もいるだろうし、学校でほとんどの時間は授業をやっているが、その授業を好きな人はあまりいないだろうし、授業で知ったことを、その後忘れていることがたくさんある人もいるだろうし、何で学校の授業で勉強しないといけないの?と疑問を持っている人もいる。
金でやっていく世の中とか、戦争などで武器を持って攻撃しに行くことなど大勢でやっていることで、多くの人が嫌がっていることもあるのだ。
一人が嫌がっていても逮捕されることもあれば、ほとんどのことでは誰かが嫌がることをしても逮捕にはならないどころか、
嫌がった方が悪く言われる場合もあるし、あいさつでもみんながあいさつを正しいとは信じてはおらず、嫌がっている人もいるのだ。

 

55.みんな自分の思い道りにしたいところがある独裁者であり、犯罪者でもあるとも言える

多くの人は独裁者や独裁的という言葉は、独裁国家と言われている国の一番上の立場の人に使ったり、自分や誰かに何かを指示してきたり、図々しいとか思う人の一部などに独裁者や独裁的などという言葉を使い、
ほとんどの人のことを独裁者や独裁的などとは言わないだろう。
支配者や支配的などという言葉も独裁者という言葉と同じで、独裁国家と言われている国の上の立場の人や、ごく一部の人にだけこの言葉を当てはめているだろうが、誰でも独裁者であり、支配的であるとも言えるのだ。

あいさつを初めにしろとか、あいさつ返しをしろと信じているあいさつ信者も独裁的な独裁者や、支配的な支配者とも言えるのだ。
あいさつしあった2人の両方ともがあいさつ信者だったり、2人ともがあいさつをされたことでいい気持ちになり、利益だった場合は独裁や支配とは言いにくいだろうが、片方があいさつ非信者で嫌がっていたり、あいさつをしたいとか、あいさつを正しいと信じていない人に初めにあいさつしてきて、
あいさつ返しをさせたがったり、初めにあいさつしないことに不満を持っている人は独裁的、支配的とも言えるのだ。

誰かに初めにあいさつして、仲間ではない人や好きではない人などがあいさつ返さないことは許さないと思っているような人が、あいさつしてほしい相手を自分の思い道りにさせたいと思って初めあいさつしてきているのは独裁的な独裁者や、支配的な支配者とも言えるが、こんなことを言っているのは私ぐらいなものだろう。
他の人の独裁者や支配者という言葉の定義や意味付けは、こういう定義ではないだろうからあいさつを初めにさせたかったり、あいさつ返しをさせたい人を独裁者や支配者とは言わないだろうけど。

面白いもので、言葉の言い方を変えると同じことを言っているのに多くの人が良く思う言葉と、悪く思う言葉がある。
独裁者や支配者という言葉は多くの人が悪い意味で使う言葉だろうが、
ほとんどの人はいい人だとか、日本人は控えめな人だと信じている人や、
日本人のほとんどを良く言いたい人はほとんどの日本人に対して独裁者とか支配者とか呼んでほしくはないだろう。

日本人や日本人以外の多くは、独裁国家と言われている国の一番上の立場の一人か、その一番上の立場の人と、その周りにいる人のごく少数が決めたことで、国民の少数か、特に大勢の国民が不満を持って嫌がっていると、
「あの国は独裁国家だ」とか「独裁者が国民のことを考えずに勝手に決めてるのはおかしい」とか「一部の少数の人で決めたことを、その決めたことに賛同していない人に押し付けるのはおかしい」などと思い、
「あの人達は独裁的、支配的だ」とか思うだろうが、
なんで、大勢が決めたことで一人や少数の人が賛同していないことは例外あれど、悪くは言われにくく、独裁者とか支配者とは言われないのか?

例えば、日本は表向きには名目としては民主主義と言っている。
国民が主役で国民の望むことが現実になっているかのようにでも言いたい人もいるのだろうが、実際は何でも国民が望んでいる通りにはいかない。
国民のことや日本の色んなことを決めるのに政治家や知事、市長などを選ぶのに多数決で決めるような変なことをしているのだ。
一部の人の信仰は「大勢で決めたことはみんなで決めたことである」と信じている人もいるだろうが、どう見ても、みんなで決めてなどいないわけだ。

私は大勢で決めたことで正しくもない間違っていることをしていることを「集団独裁」や「大勢独裁」や「多数派独裁」などと呼んでいて、
それをやっている人を「集団独裁者」や「大勢独裁者」や「多数派独裁者」などと呼んでいる。
金でやっていく世の中は正しくもない不正で、本来全てのものに値段などついていないのは分かりきっていることなのに、値段をつけたり、何もないところに給料額を作り出して、給料を払うという合法の不正をやっていたり、
あいさつしたら返せというあいさつ返ししろという正しくもない信仰を押し付けていることは、集団独裁、多数派独裁、大勢独裁とも言える。
だから、日本は独裁国家だ。

一般に、「あれをしろ」とか「これをするな」とか直接誰かに言っていないと、内面で自分が正しいと信じていることをやらないことに不満を持ったり、嫌がらせしても、独裁的とか独裁者とはほとんど言われないだろうが、
本人に直接言ったか、内面で不満を思ったか、影で不満を言ったり、書いたりしたかの違いで、人を自分の思い道りにさせたいと思っている点では、
独裁者と言われている人も、それ以外の人も同じことなのだ。
日本人を控えめや謙虚、つつましやかとか言う人の中には、他人に対して日本人が自分が信じていること、感じていることをやってほしがっていることを直接言ったしてなかったり、思い道りのことをしなかったことに対して不満を持ったことを直接言わずに、影で不満を言ったり、影で嫌がらせをしたり、内面で不満を持っているだけなことを謙虚、控えめ、つつましやかなどと言っていい感じに言う人もいるだろうが、日本人は自分が正しいと信じているところがあり、自分が正しいと信じていないことをやると不満や疑問を持ったりして、相手を自分の思い道りにさせたいと思っているところがあるのに、直接、本人や大勢が見聞できる所で不満を言ったり、
嫌がらせをしたりしているのを知らない場合が多いだろうから独裁的や支配的ではないと思う人が多いのだろう。

あいさつを初めにさせたかったり、あいさつ返しをさせたい人の中には、自分が正しいから相手を自分の思い道りにさせたくて、
あいさつをさせたいのに相手があいさつしないと内面で不満を持ったり、影で不満を言ったり、本人のいる所で悪態ついたり、不満言ったり、殴ったり、嫌がらせをするのも独裁的、支配的なのだ。
多くの人は自分が正しいと思うことを誰かに言ったり、言葉以外の形で誰かに自分が正しいと信じていることなどをやらせようとしても、
独裁や支配とは言わない。正しいと信じていることを他人に押し付けることは悪く言わない人が多いので独裁や支配とは言われにくいし、
この人たちを独裁者や支配者とも言わない。

私は過去に給料を貰うようなことをしていた時期と、給料を貰うようなことをしていなかった時期があるが、近所の一部の老人が、どう見ても私のことを、給料を貰うようなことをしていない奴か、その可能性がある奴だと思われている。
同町内に70代のハルちゃんと呼ばれているじいさんがいて、この人とはほとんど会わないが、数年前に私が庭にいる時に、じいさんが自転車に乗って右から左に通り過ぎて行こうとしている時に無言で私を見ている時の
表情や雰囲気が、どう見ても不満たら気に私を見ていたのだが、私が給料を貰うようなことをしていない奴と思っていて気に入らないから、
言葉では言っていないけど、態度にそれが表れていたんだと思っている。
それから数年後、2021年の土曜日の午後に庭で園芸作業をしていたら気配がしたので、左斜め後ろを見ると、このじいさんが自転車に乗って私がいる庭の前を通っている所だった。その後、この人が「ふーん」と言ったのだが、私が作業をしていたのは土曜日だったが、私のことを給料を貰うことをしていないと断定か、半信半疑で思っていて、給料を貰うようなことをしていないのが間違っていると信じていて、私に遠まわしにその気持ちを知ってほしがっている感じがする。
はっきり言わないことを、やんわりさりげなくなどと、いい感じに言い、控えめなどと褒める人もいるのだろうが、給料や印税という形で金を貰っていない人を見下して、格下に見て、劣っている人間であると蔑んでいる人はたくさんいるだろうが、このじいさんもそういう人だと思う。
近所のイノウエ夫婦なども私に不満を持っていて、私に初めにあいさつさせたいようだが、遠回しに悪態つていたり、不満たら気な態度を取ってい、直接的に不満を私に言葉で言ってくることはないわけだ。
言葉ではっきり言わないのは控えめで大人な態度だと高評価して褒める人もいるのだろうが、はっきり言わずに遠まわしない態度で悪態ついてくるのなら、はっきり言葉で言えばいい。

私の家の隣が職場で、私の叔母の同級生の男の人でエイちゃんと呼ばれている人が働いている。
以前、私が庭にいた時に、職場の方からこの人が歩いて私のいた庭の前に左側から来て、庭の門の前ぐらいまで来た時に、また来た道を戻って行ったことがあったのだが、推測だが私が庭にいるのをたまたま見かけて、ハルちゃんというじいさんと同じで、私が給料貰うようなことをしていない奴か、その可能性がある奴だと思っていて、給料貰うようなことをしていない奴は間違った生き方をしていると思って不満を持っていて、私の様子を監視しに来ているのではないかと思った。
以前に私が家のリビングにいた時に私の母が私の名前を呼んだ直後に、隣の職場の方から男の声で「働いてんのかな?」という声が聞こえたのだが、
この声はエイちゃんの声ではないかと思っているのだが、私の母が私の名前を呼んだ後すぐに働いてんのかなと言っているのと、この言葉の前後に
喋り声が何も聞こえていなかったので、私のことを働いてるのかなと言っているのではないかと思った。

以前、私が平日の午後に庭にいたら「おるんか」と男の声が聞こえたから、声のする方を見たら、イノウエ夫婦が歩いていた。
イノウエのじいいさんがおるんかと言った後にイノウエばあさんが小さい声で何かを言っていた。
このばあさんが普段、他の人と喋っている時は声が大きいのだが、私に聞かれたくないことだから声を小さくして喋ったのではないかと思っている。
その喋っていたであろう内容は「あの子、多分働いていないからこの時間に庭にいるんだよ」とか「あの子、絶対に仕事してないよ」というような感じのことを言っていたのではないかと思っている。
長期的に家にいる人も色んな理由で不満を持たれたり、おかしいと思われているが、家の外に出ていて、いかにも何かの作業をしていても、給料や印税という形で金を貰っていなければ見下してきて不満を持つ人もいるのだ。
給料や印税という形で金を貰っている人も不満を持たれているのだから、何やっても逆のことをやっても不満を持つ人は不満を持つのだ。

ほとんどの人は自分やほとんどの人には罪はない、犯罪者ではないと思っているのだろうが、言葉は言葉遊びなので、自己満足でどうにでも使えるから、悪や罪はない、悪人や罪人はいないとも言えるし、悪人はいるとも言える。
自分か大勢が見下していたり、ひどいと思っていることをやっている人や、人や人間以外の生物が嫌がることをやっている人を悪人や罪人、犯罪者と呼ぶと定義付ければ、みんな悪人だし、みんな犯罪者だ。
はっきりと言葉の定義を言わずに、ごく一部の人だけを格下に見て、悪者や犯罪者などの汚名で呼び、えこひいき差別している。

給料、印税という形で金を貰っていないことを見下してる人がいるが、
人を見下していることを罪や悪と呼ぶと定義付ければ、「見下し罪」や「蔑み罪」や「格下に見ている罪」とも言えるし、そういう人のことを「見下し犯」や「「蔑み犯罪者」や「見下し容疑者」や「蔑み容疑者」や「格下に見ている犯」とも言える。
多くの人は今まで生きてきて、誰からも直接、犯罪者や悪人などとは言われてこなかっただろうし、もし言われても、自分やほとんどの人はいい人だと信じているだろうから、こんなこと言われたら、すぐに中傷などと言い、不満を言うだろう。
自分達は法律のほとんどや、ほとんどの決まりを守らないのに一部の人が決まりを守らないことは刑法違反であれ、刑法違反以外のことでも不満
を持つのだ。こんなことを思っている人を「差別犯罪者」や「えこひいき犯罪者」などと呼ぶわけでもない。

私の近所の人や、それ以外の人でも給料や印税という形で金を貰っていない人を例外あれど、見下している人は根拠はなくても自分が正しいのに
正しいと信じていることをやっていない人は間違っているとか、劣っていると蔑んでいる人がたくさんいるだろうが、自分達の方が金でやっていく世の中が正しいとか、例外除いて、ほとんどの人は給料や印税という形で金を貰うことをしなければいけないと信じているのだ。
日本人は自分に自信がないなどと言っている人がいるが、正しい根拠や裏付けがなくても自分が感じたことが正しいと信じているところがある。
例外除いて、根拠や裏付けもないのに自信満々に金でやっていく世の中や、あいさつ返しはしなければいけないと信じている人が多いのは大勢がやっているからだと信じている人が多いだろうが、これが集団独裁、多数派独裁、大勢独裁なのだ。
人が嫌がることをした一部の人は逮捕されたり、罰金取られたり、独裁者などと言われるが、ほとんどの人はそうは呼ばれない。
「後ろ指を挿される」という言葉があるが、意味が影で悪口を言うなどだが、日本人のことを「陰口民族」と言ってた人がいたが、
本人や大勢が見聞できないところで、人のことを悪く言うことを陰口と呼ぶ人が多いだろうが、多くの人は影で悪口(中傷)をしているだろう。見下している人のことを本人や大勢が見聞できないところで悪く言ったり、
大勢が見聞できる所で匿名で言っているのだ。匿名で悪口言っていたり、少数の人にだけ直接、悪口を言っているので、
ほとんどの人のことを悪口を言っている人だとは思わない人もいるのだろうけど。

 

 

56.ゴミ捨て場のことなど みんな犯罪者とも言える

 

私が住んでいるとこのゴミ捨て場は檻みたいなゴミ捨て場で、
左側にドアがないところが一部あって、そこは乾電池を捨てるための空き缶があり、紙を張るところがある。
以前、めったに捨てに行かないが、乾電池を捨てる時にゴミ捨て場の左側の所に行った時に、紙を張るところにA4ぐらいの大きさの紙に「ペットボトル等不法投棄犯人に告ぐ。関係機関には通報済み。町内会では過去にさかのぼり損害賠償を検討中『廃棄物の処理及び清掃に関する法律第25条第1項14号』に違反することになり(5年以下の懲役・1千万円以下罰金又は併科)」と書かれていたのだが、資源ごみの日にゴミ袋にペットボトルを入れて置いていたり、埋め立てゴミの日に粗大ごみがあったのを見たことはあるが、
多分、町内会の人がゴミ捨て場を管理しているのか、埋め立てゴミの日に捨てられていた粗大ごみを町内会の人が有料で捨てに行っていて、
自分達が金を払っていることを損害と言っていそうな気もするが、捨ててほしくないごみを捨てているのを、「ペットボトルは資源ゴミではありません」とか「○○は埋め立てゴミではありません。粗大ごみで捨ててください」などと分かりやすい場所に紙を張ることはしないのだ。
ゴミ捨て場の左側は普段、ほとんどの人は行かないだろうから、ごみ捨て場のドア外側か、ゴミ捨て場のごみを置く中に紙を張ったほうが見られやすいだろう。
ペットボトル等不法投棄犯という言い方は、法律違反をしていて罰金になるようなことだから犯人という言葉で言い表していそうだが、
それなら、ペットボトル等不法投棄犯と言っている人も、それ以外の人もみんな法律などほとんど知らないし、知る気もないだろうし、
知っている法律でも守っていない法律はあるだろうから同じなのだ。道路交通法をすべて守っている人はいないだろうが、「道路交通法違反犯」とは
ほとんどの人は言わないだろう。みんな自分に都合よく法律を利用しているだけだ。
ペットボトルなどをゴミの日に捨てるものではないものを置いていたとしても、損害賠償を検討していると本当に思って書いていようと、
損害賠償請求など検討していないのに形だけ書いていようと、ほとんどの人ならこういうこと書かなさそうだが、同じ物事が起きてもみんなが同じことなど思わないということだ。あいさつにおいてもおなじことで、
あいさつ返されたいのに返されないことにみんなが不満を持ったり、嫌がらせしたり、あいさつ返さなかった人を見下したり、嫌ったりはしない。

このゴミ捨て場にはゴミ捨て場の鍵を開け閉めする決まりがあるが、私はこの決まりは要らないと思っているのだが、他の人もゴミ捨て場は開けていてもいいと思っている人もいるだろう。
ゴミ捨て場の開け閉めをしろという決まりで嫌がっている人がいることを損害と言うのならば、ゴミ捨て場の決まりを嫌がっている人は、損害を被っているとも言えるのだ。
人に不満を言う人は、自分や自分と同じことで不満を持っている人の不満の言い分だけを持ち出して、いかに自分や自分たちが被害者で
損害を被っているのかを言いやすいが、その不満を言っている人たちに不満を言われた人や、それ以外の人が不満を言っている人に同じことや別のことで不満を持っていたりするものだ。

多くの人は大勢からは嫌われたくないだろうし、大勢が信じていることや、大勢がやっていることを正しいと信じているだろうから、
もし、ゴミ捨て場を開け閉めしなければいけないゴミ当番を大勢が嫌がっていたり、大勢がおかしいと思っていて、そのことをゴミ捨て場を管理している人が知ったらゴミ捨て場を開け閉めする当番をなくす可能性が高いと思う。
メディア、マスコミの影響力は大きいので、テレビのワイドショーや、視聴者が多い時間帯のテレビ番組でゴミ捨て場の開け閉めをする当番を大勢が嫌がっていたり、おかしいと思っていると放送すれば、ゴミ捨て場を管理している人や、町内会の人がそのテレビを見ていたり、誰かからその話を聞いたらゴミ捨て場を開け閉めする決まりをなくす可能性が高いだろう。
あいさつでも同じことで、あいさつを返させたいがために初めにあいさつしてくる人の多くは悪気もないし、悪意がない人が多いだろうけど、
みんながあいさつすることを正しいとは信じていないとか、知らない人にはあいさつしなくてもいいというあいさつの決まり(ルール)を信じている人がいるとか、知らない人と喋ることに抵抗がある人がいることなどを知らない無知だが、みんながあいさつしたいなどとは思っていないことを知ったら、知らない人にあいさつしたり、知っている人に対してもあいさつをする人は減るだろう。

お歳暮や土産物や食べ物を誰かにあげている人も、あげた相手から、ありがとうと言われたとか、いらないと言われていないから嫌がっていない、
迷惑していないと思っている人もいるのだろうが、嫌がっていたりする人もいるのだ。嫌がっている本心を聞いたことがないから分からないのだろう。
もし、何かをあげた相手が嫌がっていたり、迷惑しているのが分かったら、ほとんどの人はあげないだろうが、嫌がっていることに気づいていないからあげるのだ。

私が大阪に住んでいた時にマンションに住んでいたが、そこにはゴミ当番などなくて、いつでもごみは捨てれた。
同じ日本でも、同じではないところはたくさんあって、ゴミ捨て場がいつも開いているところもあれば、閉まっているところもあり、
ゴミ当番があるところもあれば、ないところもあるのだ。

私が大阪にいた時は、回覧板を回すなどなかったが、今住んでいる所では回覧板を回さなければいけないのだが、回覧板を持ってくる相手や、持って行く相手が嫌いな人なら地獄の回覧板回しみたいな人もいるだろう。
回覧板に書いていることも大した内容が書かれているとも思わない。
回覧板ではなくて、メールに回覧板に書かれている内容を送るようにしたらどうかと私は思うが、メールアドレスを持っていない人や、メールアドレスを町内会の人に教えたくない人もいるだろうから、
回覧板を回すことは今後もやったらいいと思う人もいるだろうし、メールアドレスの方がいいと思う人もいるだろう。
回覧板を回すのを嫌がっている人がいることを知らない人もたくさんいるだろうし、回覧板を回すことを嫌がっていることを、回覧板回しの犠牲者や被害者とは、ほとんどの人は言わないだろう。
何かを嫌がっている人がいても、ほとんどのことは被害者や犠牲者とは言われないくて、ほとんどのことでは嫌がっていることを損害という言葉では言い表さないのだ。
人間にしろ、人間以外の生物にしろ、誰かが嫌がっていることをしている人を、罪と言うと定義付ければ、みんな罪人であり、犯罪者だ。
同じことを言い表すのでも、言葉の言い方で印象が変わる。人が嫌がることを罪と呼んだり、それをやっている人を罪人や犯罪者と呼べば印象が悪くなりやすい。
自分のことを棚に上げて、人のことは非難して悪く言いやすい人が多いのだろう。
一部の人だけを犯罪者や罪人などと呼び、自分たちが不正をやっていたり、誰かが嫌がることをやっていることは許したり悪く言わないのを差別や、
えこひいきという言葉で言い表すとすれば、差別罪や、えこひいき罪だ。

ゴミ捨て場の決まりを守っている人をきっちりしていて、真面目などと良く言う人もいるだろうが、ゴミ捨て場の開け閉めする決まりを作っている人も、正しいと信じて守っている人もどちらもバカであるとも言えるのだ。
自分が正しいと信じている決まりを守っている人を褒め称えていても、同じ決まりを正しいと信じていない人からしたら、その決まりや、決まりを守っている人をおかしいとか、バカだと思われている場合もあるのだ。
多くのあいさつ信者は、仲間ではない人や関わる気もない人にあいさつしたことを褒めていても、みんなが同じことなど思っていない。
ほとんどの決まりなど正しくもなかったり、正しいと信じていなくても見栄体裁などの理由で嫌々守っている場合もあるのだ。
正しくもない決まりをバカのルール、アホのルールとも言えるが、その決まりを守っている人を褒めたい時にはルールを守る、きっちりしていて真面目な人と褒めた
りするだろう。ゴミ当番でカギを開け閉めする決まりも、あいさつしたら返せという決まりもバカのルールだ。
この決まりを守っている人の方が、素晴らしい人などと言われて褒められ得をするところがある。
ゴミ当番が、カギを開けるのを忘れていたり、忘れてはいないけど開けなかったら、開けていないゴミ当番が問題視されやすいだろう。
「あなたがゴミ捨て場を開けていなことで他の人がごみを捨てれなくて迷惑する」などと不満を持たれるだろうが、ゴミ捨て場の鍵の開け閉めをする決まりを決めた人や、その決まりを正しいと信じて守っている人や、
不満を持ってはいるけど決まりを守っている人を問題視する人はあまりいないだろうが、正しくもないうえに、誰かがその決まりを嫌がっていても、決まりを守っている方の人や決まりを作った方は悪く言われにくいだろう。
あいさつもそうで、あいさつを初めにやりだした人や、あいさつを一部の人にだけやることを正しいことだと信じてやっている人は悪く言われにくいが、あいさつ返さない人の方が問題視されて悪く言われやすい。少数派の方が叩かれやすいのだ。
正しいことをしていると思っている人に対して、誰かが不満を言ったり、嫌がらせすると、それをされている人が子どもだとか少数派だと弱い者いじめと言われたりするだろうが、自分が正しいと信じていることをやらない人には、例外あれど、その人たちが子どもであれ、少数派であっても弱い者いじめとは言わずに、自分が正しいと思うことをしなかったことで嫌な気持ちになった自分が被害者、犠牲者だと思って正しいと思うことをしなかった人を叩いてくる。人間は自分が一番かわいいのだ。