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人を裁くって難しい

2009-03-24 | 本・映画
先日CS放送で、見たかった映画『それでもボクはやってない』の放送があったので見てみました。。。見終わった後、なんとも腑に落ちない気持ちで一杯になりました。

いや別に映画そのものの出来に腑に落ちなかった、と言ってるわけではないんですよ。逆に素晴らしい出来栄えだったと思います!では何に腑に落ちなかったのかというと、それは描かれていた物語の結末に、です。
この映画を見ると『真理とは何だ!正義とは何なんだ!』という思いが込み上げ、裁判に対して激しい怒りを覚えてしまいますね。

物語は簡単に言うと、電車内で痴漢に間違われた青年がその無実の罪を晴らすために、裁判を行っていくというものですが、ドキュメンタリー映画かと思えるほど、そのほとんどがリアルな裁判シーンで展開していきます。
しかしこの裁判シーン、普段見慣れないせいか、ヒジョーに興味をそそり惹きつけられる。。。裁判官、検察官、弁護士などが専門用語をポンポンと口にし、実に事務的に冷淡に裁判を進めていく様子に、また当の本人である被告人が置いてけぼりにされたまま進行していく感じには徐々に違和感を覚え始め、被告人の気持ちと同調し、さらに感情移入してしまう。
もう途中から完全に、自分が被告人であるかのように『何でわかってくれないんだよ!(怒)』という気持ちになってしまいました。(^^;

裁判所、裁判官って必ずしも正しい判断を下してくれるわけではないのですね。作中の言葉を借りるならば『とりあえず集められた証拠で、とりあえず有罪か無罪かを決める場所』。
この『とりあえず』という言葉がなんとも状況をうまく言い表しているようにも思いますが、必ずしも『正しい判断』が下されるわけではない。そのことは今までのニュースを見ていても感じることはありましたが、改めて思い知らされましたねぇ。

作中では、人違いであるが故に痴漢被害を受けたと訴える女子高生の言い分も間違っちゃいないし、ボクはやってない!と訴える青年の主張も間違ってはいない。でも裁判である以上、どちらかの意見が正しくて、どちらかの意見は間違っていると判断され、有罪無罪の判定が下ってしまう。
裁判官の下した判定、そこに真実はないのに、あたかもそれが真実であるかのように述べられる。では『やっていない』と訴える青年の真実はどこへ行ってしまうのか?そもそも真実ではなくなってしまうのか?それが確かに真実であるはずなのに。
でも裁判では証拠で示せない限り、その真実もないことになってしまう。なんという矛盾。なんというヘタレな正義。。。も~見終わった後、ハラワタ煮えくり返りましたね。(爆)
冤罪って怖い。でもこういう冤罪で苦しんだ人って、きっと今までにもいるんだろうな。

この映画には今の日本の司法制度の問題点が描かれているようにも思います。なのに今年の5月にはもう始まってしまう裁判員制度。こんなにも問題点を感じるのに、それを今度は国民がやらなきゃいけないってんですからね。不安は募りますよ。
高校時代、倫理の先生が授業中に見せてくれた映画『12人の怒れる男』で陪審員制度を知り、その議論の素晴らしさに感銘を受けましたが、ああいうのって日本人の気質には無理なような気もします。
誰もが『有罪!』と口を揃える中、周りの状況に流されず、ただ一人でも信念を持って『無罪だ!』と主張することなんて出来るのだろうか?。。。自分だったらどうだろうな、とちょっと考えてしまう。

人が人を裁くのって難しい。このことを強く感じさせられた映画でした。


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