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怪我の記録

2011年12月30日 23時10分11秒 | LIGA SAGRES ZON 11-12
昨日は練習がお休みだったので、特にニュースもないです。ただ、ルーベン・アモリムの移籍先に、ベシクタシュが消えて、サラゴサが浮上とのニュース。それは、アモリム的には絶対に止めたほうがいいと思います。サラゴサが小さいクラブだからというわけではなくて、メディカル部門が最悪だから。アモリムはわりと怪我が多い選手なのに、サラゴサなんかに行ったら恐ろしいことになると思います。

さて、話題もないので、この前のO Jogoの記事から思い立って、パブロのベンフィカ1年目の怪我の様子を自分のブログで調べてみました。

2008年
8月31日 2節ポルト戦 後半開始直後に大腿の筋肉断裂
    (全治4週間)
9月28日 4節スポルティング戦 怪我からの復帰戦で、交代出場後すぐに筋肉の怪我
    (筋肉の断裂はなかったはずなのに、結局全治5週間!)
11月2日 7節ギマランエス戦で復帰。スアソへの伝説(笑)のラボーナ・パス
11月23日 9節アカデミカ戦で交代出場しようとアップ中に筋肉の怪我
     (全治2週間)
12月7日 11節マリティモ戦で復帰
12月22日 12節ナシオナル戦で、アップ中に筋肉の怪我
     (そのままクリスマス休暇に突入)

2008年の8月から12月までの間に4回の筋肉の怪我。延べ12週間(3ヶ月間)ぐらい怪我をしていたわけで、8月半ばから12月22日まで4ヶ月と少ししかありませんから、4分の3の期間を怪我をしていた計算に・・・。今から思うと、よくパブロ、欝っぽくならなかったなあ。最初から3ヶ月の怪我ならまだしも、復帰をしたと思ったら怪我、というのが辛かったんですよねぇ。12月1日のブログに「双六の『スタートに戻る』を引いてしまったみたいに、何度も何度も一からやり直しをするのって、精神的に厳しいだろうなあ・・・。」とありますが、本当に。そして12月20日にあのルイ・コスタの発言:「私がここに戻ってきたとき、私も怪我をした。彼が偉大な選手であることを議論しないが、全てに説明はある。私たちは彼がサラゴサで多くの怪我をしていたことを知っていた。恥骨炎の問題があり、筋肉の負傷があったことを。目を塞いでいたわけでも、幻惑されていたわけでもない、なぜなら私たちは自分たちの手中にある選手を知っていて、筋肉の問題が起こることを知っていたのだから。難しいことになるだろうと考えていたが、アイマールを4ヶ月のために買ったわけではない。4年のためなのだ。」
選手だった人(しかも10番のRegend)がスポーツ・ディレクターというのは本当に有難いです。パブロも、この言葉を聞いて自信を取り戻すことができた、と言っていましたよね。

2009年に入ってからは、4月下旬に一度怪我をしただけで、シーズンを終了。その後キケ監督解任→ジェスス監督就任という流れになるわけですが、今から考えると、前半戦にパブロがまともに働けなかったこともベンフィカの成績不振の理由でしょうし(前半戦の順位は悪くなかったのですが)、キケ監督には申し訳なかったなあと思います。
パブロがこんなに怪我につぐ怪我に見舞われたのは、恥骨炎でまともに試合も練習もできない1年を過ごした後で、いきなり皆と同じ練習をしたせいなのでしょう。

でも、こうして書きながらも、怪我というのはいつまたするかわからないし、膝の状態も心配だし、どうかこのままプレーが続けられますようにと、毎日祈るような気持ちです。恥骨炎も・・・また、なったらどうしよう?!とときどきすごく心配になります。プレー時間が長くなると、負担がかかってくるのではないか、なんて。

そういえば、最近ロッベンが恥骨炎のことを話しているのを読みました:「これまでに何度もケガと戦ってきたけど、これほどの痛みを経験したことはなかった。僕の人生でワーストのケガだね。これほど悪いとは、まったく思っていなかった。とにかく痛かったし、復帰の過程もハードだった。」
やっぱりそんなに痛いんですね・・・。いつも同じ痛さではなかったでしょうけれど、それを4年間も我慢していたパブロって、我慢強すぎ。でもこの場合は、我慢強かったのはきっと大間違いだったんでしょうね。もっと早く音を上げて手術に踏み切っていたら、違うサッカー人生だったでしょう。(パブロが「恥骨炎が痛かった」と言ったのは、この前のA Bolaのインタが初めてだったような。手術から3年半も経ってます。髄膜炎のことも「そんなに酷くはなかった」とか言い張っていたし、ほんと弱音を吐くのが嫌いなんですね。)




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