婆さんは「今日は休養日」と言うので、以前から気になっていた「石清水八幡宮」に行くことにしました。今年、国宝に指定された神社です。
京阪電鉄の祇園四条駅から電車に乗り、八幡市駅で下車しました。資料を持って来ていませんでしたので、駅前の観光案内所に寄って観光イラストマップを貰いました。石清水八幡宮や八幡市の観光資料も貰うことができますし、神社までの行き方も説明してくれます。
石清水八幡宮は、「男山」と呼ばれる山頂に有りますので、ケーブルカーでも登ることが出来ます。山と言っても低い里山ですので、信州育ちの上、散歩で鍛えている私としては、当然、歩いて登ることにしました。
一ノ鳥居は、駅から5分程です。鳥居をくぐり、静かな参道を歩きます。
その先には、朱塗りの回廊に囲まれた「頓宮殿」があります。年に一度、勅祭石清水祭において山上の御本殿より御神霊が遷される場所だそうです。
そこを出て二ノ鳥居に進んでいきます。
ここから山上の本殿までは、結構な坂道や石段が続いていました。途中で息が切れて、立ち止まりながら進んでいきます。「ケーブルカーに乗ったほうが良かったかも」などと後悔しながら。
20分程でようやく三ノ鳥居に到着です。ここまで来ると、正直、「ホッ」としました。鳥居をくぐり、本殿に続く参道を歩きます。気持ちの良い空気を感ずることが出来ました。
トイレに行くため、参道の途中から左手に下がると「エジソン記念碑」等がある広場に出ました。エジソンが発明した「白熱電球」に、八幡の竹が使われたことを記念して建立されたものです。良く整備された広場です。
参道に戻り本殿を目指します。巫女さんなども歩いていて、良い雰囲気です。
手水舎で、手を清め南総門から境内に入ります。
朱色の立派な社殿が、爽やかな秋空を背景に広がっていました。
八幡造りの社殿は、同形式の社殿としては、国内で最古・最大規模とのことです。織田信長や、豊臣秀頼、徳川家光により修復等がされています。「弓矢の神」「将戦の神」として、武士から篤く信仰されていました。ここのお祭りは、上賀茂・下鴨神社の「葵祭」が「北祭」と呼ばれるのに対し、「南祭」と呼ばれています。
ぐるっと社殿の周りを歩いてきました。江戸時代に造営された「若宮社」等が並んでいます。織田信長が寄進したと伝わる「信長塀」も見られます。
境内の様子です。今日は、お参りの方も疎らですが、初詣などは混雑するようです。静かな良い時間を過ごせました。
帰りは、南総門を出てから左手に折れ、坂道を下っていきました。途中にある史跡を見るためです。こちらも結構な下り坂をひたすら下がっていきます。「エジソンが使ったんだな~」等と竹林を眺めながら。
途中には、「冬は凍らず、夏は枯れない」霊泉「岩清水」が湧き出る「岩清水井・石清水社」に寄りました。水は、あまり綺麗とは言えませんが湧き出ていました。
更に下がると「松花堂弁当」の名の由来となった社僧「松花堂昭乗」の草庵跡地もあります。「寛永の三筆」の一人で書の名手でもあります。
そのまま下がると、登ってきた表参道に出ました。下り坂は、膝に負担がかかります。ニノ鳥居をくぐると、右手の先に面白い形の橋が見えました。「安居橋(あんごばし)」で、八幡八景の一つになっているそうです。その先に「らくがき寺」とも呼ばれる「単伝庵」があるので行ってきました。
橋を渡って真っ直ぐ歩いていきます。途中には、大阪の「淀屋橋」を作ったと言われる豪商の五代目、「淀屋辰五郎」の屋敷跡が有りました。
単伝庵は、境内の大黒堂の白壁に願いを書くと叶うとされたことから、通称「らくがき寺」と呼ばれるようです。毎週土曜日しか参拝できないようです。
石清水八幡宮の参道まで戻り、頓宮殿の手前にある「高良神社」に寄ってきました。名前が「宝くじ」の良い結果に繋がると思ったわけですが。徒然草にも出てくる神社だそうです。面白い形の木が有りました。
一ノ鳥居まで戻り左に進んで行くと、「淀屋辰五郎」の墓もある「神応寺」が有りました。坂道を登る必要があるので悩んだのですが、覚悟を決めて行ってきました。紅葉の頃は見ごたえが有りそうです。
寺から降りて来て、元の道に出ると、大きな五輪塔が見えました。鎌倉時代に作られた「航海記念塔」です。石造りでは国内第一の大きさのようです。
その先には「杉山谷不動尊」があるようでしたが、かなり足が参っていましたので、一ノ鳥居前のお店で名物の「走井餅」をお土産に買って帰ってきました。
風も気持ちよく、良い散歩ができましたが、散歩にしてはかなりハードなものになりました。足腰が痛い!
今日の歩数は、14,152歩。
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