神楽岡通と今出川通や志賀越道をつなぎ、吉田山の北側をの縁に沿うように走る細道に続く住宅街の軒先で、プランターに植えられたオミナエシ(女郎花)が花を咲かせていました。
オミナエシの花(2021年9月撮影)
万葉集の巻八の一五三七と一五三八にあたる山上憶良が詠んだ二首の歌より「秋の七草」のひとつとして知られていますが、花は7月頃から咲き始めますので秋の花だけでなく夏の花という印象もあるかもしれません。でも、立秋前後が旧暦では秋が始まる頃(旧暦は7月〜9月が秋で、新暦の8月上旬から10月上旬に相当)になるので、早すぎるということもないでしょう。
オミナエシという和名ですが、歴史的仮名遣いで書けば「をみなへし」となりますが、読みだけ聞いても意味がわかりにくいとおり、語源は詳しくわかっていないそうですが、由来は諸説あるようですね。
由来としては、オミナエシより少し大きいオトコエシ(男郎花)と対比して、オトコエシよりも小さくて咲き姿が女性らしく見えること(をみな良し:えし=良しの読みの古形)からという説や、若い女性(をみな=若い女性)も恥じらい、圧倒する(へし=圧し)ほどの美しい花であることからという説があるでしょうか。
ちなみに岡崎疏水の熊野橋近くで咲いていたオトコエシの花はこちら。このオトコエシは、ちょっとオミナエシより花序が小さいようにも感じますが、草丈は高いようです。
オトコエシの花(2021年9月撮影)
オトコエシの花に脱線してしまいましたが、他には、餅米を炊いた強飯を「男飯」と呼ぶのに対し、アワ(粟)を炊いた粟飯のことを「女飯」とも呼ぶそうですが、小さな黄色い花がもこもこと咲く姿が粟飯に似ているということから女飯が転訛してオミナエシとなったという説もあるそうです。そう見えるかな?
オミナエシは女飯?
オトコエシは男飯?
なお、女郎花と書いて「おみなめし」と読むこともあるそうで、この読み方で有名なのは、能の演目のひとつである「女郎花」でしょうか。
京都府八幡市の石清水八幡宮や放生川を舞台にして、野原に咲くオミナエシの逸話として架空の人物である小野頼風と京のみやこの女との情欲や恋慕を描いた作品です。
じつは、この演目に出てくる男塚(頼風塚)と女塚(女郎花塚)は実存し、男塚(頼風塚)は八幡市民図書館近くの和菓子店の裏にある石でできた小さな五輪塔がそれで、女塚(女郎花塚)は松花堂庭園の西隅にあるこちらも石でできた小さな五輪塔がそれです。
この「女郎花」という能の演目は、オミナエシの花言葉のひとつである「約束を守る」の由来だとする説もあるそうです。
能の演目以外にも、この「女郎花」は重ね着の色目である「襲色目」のひとつになっており、表に経青緯黄が、裏に青が施された色合わせで、秋の色とされています。