今日は雪のためあまり仕事にもならず、一時間ほど本を読む事ができた。本と言っても土門拳さんの写真とエッセイが書かれているものなので楽ぅ~に読み始めたのだが・・・最後のほうは涙目になってしまっていた。
悲しいからではなく、現実を切り取り、先を見通す力を持っているという事に感動し、切り取られた現実があまりに生々しく、パワフルであったが為である。
土門拳さんと言う写真家の存在を知ったのはかなり古く、一番最初に本を開いたのは、多分中学生くらいの時だったと思う。その時、空手に熱中していた私は、土門拳と言う、未だ知らない流派の一つだと思って開いたのだが、写真集であったためそのまま閉じた。だから何を見たのか、なんの写真だったのか、さえも憶えていない。それから大分たって古寺巡礼とかってのが週刊誌で連載されており、その時にはもう車椅子かなんかに乗っていたもんで、「随分と酔狂なおっさんやなぁ」っくらいにしか思わなかった。
その後いろいろな縁で写真と言う面白さを教わり、報道写真と呼ばれるものに接し感動、落胆し・・・ってこれは写真そのものではなく、人の愚かさってとこなんだけれども・・・林忠彦さんと言う写真家に出会った。この人は太宰治の写真で有名なのだが、戦後の昭和と言う時代を切り取っていた事にいたく感動した。つい半世紀ほど前の日本の普通の人達、このパワーが写真のなかから、ビンビンと伝わってくるのだ。しかし、それは悲しいほどの現実であり、少しだけ悲しい出合いでもあった。
そしてこの『腕白小僧がいた』なのである。土門拳さんをよく知らなかった私は、やはり昭和と言う時代を生きて、撮り続けた有名な写真家なんでしょう、なんて認識で読み始めたのだが、私がすっとこどっこいだった。すごいんだ。何がって上手く説明できないのだがとにかくすごい。子供たちを見る眼差し、その愛情のかけかたと問題提起の仕方、そこに持ってきての先を見通す力。半世紀も前に今の時代の子供のありよう、そしてその時大人になっているであろうその時代の子供の未来、それに対する希望や失望、そんなこんなが渾然一体となって写真から何かを発散させている。ただ単に、戦争に負けて貧乏なだけではない、今から来るであろう社会に対する警鐘みたいなものを子供を撮る事によって訴えかけてくるのだ。
巻中にある、群ようこさんのエッセイにも、巻末にかかれた柳田邦男さんの解説なんかには特に詳しく書かれているのだが、子供の表情を真っ白なキャンパスにみたて、無垢であるがゆえにそこに映る時代すべてを伝え、残そうとした。子供はやはり大人の所業を映し出す鏡なのだと・・・
最近はどっちでもいいような、暗いニュースばっかりの世の中だからこそ、もう一度自分を見直すってのか、世間に在る自分自身の再確認にいいんじゃないだろうか。
私が思った事、最先端で新しい情報が溢れ、日々新しい価値観が生まれているように錯覚する現代のなかでこそ、やっぱり伝え残さなければいけないものが存在してるんだよなぁ。例えそんなの古いよって言われたとしても・・・よっしゃ~今日は頑張るぞ。
悲しいからではなく、現実を切り取り、先を見通す力を持っているという事に感動し、切り取られた現実があまりに生々しく、パワフルであったが為である。
土門拳さんと言う写真家の存在を知ったのはかなり古く、一番最初に本を開いたのは、多分中学生くらいの時だったと思う。その時、空手に熱中していた私は、土門拳と言う、未だ知らない流派の一つだと思って開いたのだが、写真集であったためそのまま閉じた。だから何を見たのか、なんの写真だったのか、さえも憶えていない。それから大分たって古寺巡礼とかってのが週刊誌で連載されており、その時にはもう車椅子かなんかに乗っていたもんで、「随分と酔狂なおっさんやなぁ」っくらいにしか思わなかった。
その後いろいろな縁で写真と言う面白さを教わり、報道写真と呼ばれるものに接し感動、落胆し・・・ってこれは写真そのものではなく、人の愚かさってとこなんだけれども・・・林忠彦さんと言う写真家に出会った。この人は太宰治の写真で有名なのだが、戦後の昭和と言う時代を切り取っていた事にいたく感動した。つい半世紀ほど前の日本の普通の人達、このパワーが写真のなかから、ビンビンと伝わってくるのだ。しかし、それは悲しいほどの現実であり、少しだけ悲しい出合いでもあった。
そしてこの『腕白小僧がいた』なのである。土門拳さんをよく知らなかった私は、やはり昭和と言う時代を生きて、撮り続けた有名な写真家なんでしょう、なんて認識で読み始めたのだが、私がすっとこどっこいだった。すごいんだ。何がって上手く説明できないのだがとにかくすごい。子供たちを見る眼差し、その愛情のかけかたと問題提起の仕方、そこに持ってきての先を見通す力。半世紀も前に今の時代の子供のありよう、そしてその時大人になっているであろうその時代の子供の未来、それに対する希望や失望、そんなこんなが渾然一体となって写真から何かを発散させている。ただ単に、戦争に負けて貧乏なだけではない、今から来るであろう社会に対する警鐘みたいなものを子供を撮る事によって訴えかけてくるのだ。
巻中にある、群ようこさんのエッセイにも、巻末にかかれた柳田邦男さんの解説なんかには特に詳しく書かれているのだが、子供の表情を真っ白なキャンパスにみたて、無垢であるがゆえにそこに映る時代すべてを伝え、残そうとした。子供はやはり大人の所業を映し出す鏡なのだと・・・
最近はどっちでもいいような、暗いニュースばっかりの世の中だからこそ、もう一度自分を見直すってのか、世間に在る自分自身の再確認にいいんじゃないだろうか。
私が思った事、最先端で新しい情報が溢れ、日々新しい価値観が生まれているように錯覚する現代のなかでこそ、やっぱり伝え残さなければいけないものが存在してるんだよなぁ。例えそんなの古いよって言われたとしても・・・よっしゃ~今日は頑張るぞ。
子供の顔は素直に物語を反映しているように思います。
雪解け早そうでよかったですね。
関係ありませんが「やすやすの日記」のリンク集プチ変更しました。PCから見てやってください。
ほんと雪解けは早くてよかった。でもね、夕べって正確には16日未明にですか、私は一人雪のモンテカルロラリーに出場しまして見事、優勝でした。初めて新聞配達ぶっちぎってです・・・
ちょっと楽しかった。