ラ・プロンジェ深海工学会

深海に関する学術技芸を考究し、海中観測・作業や機器開発などを推進する学会の活動を紹介します。

大洋丸探索プロジェクトにご寄付いただいた方々

2018-09-17 21:48:40 | 大洋丸探索プロジェクト
大洋丸探索プロジェクトにご寄付いただいた方々
(クラウドファンディング経由ではなく学会に直接ご寄付いただいた方々)
(2019年7月13日現在)

お名前をここにお書きし、心より御礼申し上げます。

団体の寄付者(敬称略 順不同)
(株)オーシャンウィングス
(株)タム・タム



個人の寄付者(敬称略、順不同)
001H 012U
014O 
広長伸一 伊藤紘一
007O 太宰章吾
006X 008N 011X
池田 要
002S 003I 004U 平田 敬
013K 015O 016T 018S 
019H 伊東 莞 加藤康宏 新矢喜義
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

大洋丸探査日記

2018-08-23 06:03:17 | 大洋丸探索プロジェクト
Twitter(現X)に投稿した記事を日記としてまとめました

9月5日10時
西新橋にある航空会館地下の会議場にて『大洋丸探索プロジェクト』の潜航調査についての記者会見をしました。朝日新聞、読売新聞、NHKに取り上げられました。上部客室の右舷側先方部分をモザイクし、窓の配置を大洋丸の写真と比較しました。


8月31日
ACADEMISTのクラウドファンディングは、目標値を達成して無事に終了しました。ご支援いただいた皆様ありがとうございます。

8月28日7時半
無事に門司港田野浦に着岸。調査航海を終了しました。ROVの前で集合写真を撮影しました。


8月26日21時半
大1は、貨物船であろうと見受けられます。形から、「豊浦丸(日本郵船)」ではないかと思われます。これにて調査は終了しました。



8月26日9時
大2は漁船であると判断しました。写真はROVに取り付けられているスキャニングソナーの映像です。レンジは80m。35m長さの全体のうち、右舷側が見えています。左が艫で、漁船特有の艫の形が見えます。すなわち、この位置で切れた中型船の前半部でないことが分かり、戦時徴用船ではありませんでした。徴用された漁船の可能性もありますが、爆破された様子がないので、事故で沈んだ漁船と思われます。網が沢山かかっていましたので、左舷がわに入るのは危険でした。


8月25日19時
大3は、舳先の部分は見えましたが、網がかかって調査は困難。プロペラに網を巻き込んだので、これをカッターで切り、ROVを揚収しました。

8月25日12時
大4は、80m×35m、厚さ数mの平たい構造物が二つあることが分かりました。いったい何なのでしょう。

8月25日5時
大5は大洋丸であると判断しました。やりました。ご支援ご協力を賜りました皆様、有り難うございました。
大洋丸は左舷を下にして横たわっていました。写真は右舷側後部のC甲板とD甲板の手すりの部分です。

ROVは写真上側に位置取りをして、船底方向を見ています。見やすいように、撮影写真を上下逆にしています。
ドイツのハンブルグ海事博物館から手に入れたGAの対応する部分は




8月24日19時半
夕焼けがとても美しい。現場到着は20時45分ごろになりそうです。


8月24日16時
波もおさまり、絶好の調査日よりになりつつあります。現場到着は20時ごろになりそうです。
昨日、関門海峡を西に進む我らがKPLの勇姿を昨年に引き続き、汽っけいさんに撮影していただきました。素敵な写真を有り難うございます。一枚目は、これから関門大橋をくぐろうとしているKPLです。ブリッジから出て陸を見ている二人がいますが、後ろ側が私です。

二枚目は、関門大橋の下を通過中です。どこにいらっしゃるのか分からない汽っけいさんに向かって手を振る私とKCSの皆様です。右上のデッキ上にはニコニコ生放送をしているドワンゴメンバーが写っています。 手足の長い私が手をふると、まるでゴリラです。私のことを「ゴリラさん」と呼ぶ人がいるのですが、これを見るとなるほどと思います。

三枚目は西に向かって進むKPL。「私はケーブル敷設船である」と船尾が主張しています。


8月24日13時
船内と機器類を紹介するために、録画をしました。電波が届かないところがあるので、同時中継をするのは無理なのです。KCSの藤森さんと藤田さんに説明をしてもらいました。船倉の中は暑く、藤森さんは汗だくです。

8月23日13時
宗像沖合に来ました。遠くに沖ノ島が見えます。沖津宮に向かって、航海の安全と探索の成功を祈願しました。

デッキ上で、ドリル(退船訓練)をしました。NICTさんのアンテナの見えるところで点呼を受け、イマーションスーツの着方を習い、救命艇の振り出しを見学しました。

大洋丸では5月8日14時からドリルがおこなわれています。1300人以上が乗船していたにかかわらず1000人弱の分の救命艇があるにすぎませんでした。

8月23日06時
おはようございます。昨夜は、出港前の揺れない船室にて、越後村上の大洋酒造から取り寄せた純米吟醸「大洋盛」で団結力を高めました。7時15分から朝食、8時半に田野浦を出港して関門大橋をくぐり、西にいきます。下関の街に向かってチームの皆が手を振ります!見つけたら手を振って下さい。


8月22日13時
大洋丸 調査のために、門司田野浦港に停泊する「KDDI PACIFIC LINK」に乗り込みました。23日朝8時半の出港です。今夜は揺れませんが、出港すれば五島列島沖合までは、楽しい揺れが待っています。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

大洋丸とは

2018-08-15 12:09:26 | 大洋丸探索プロジェクト


(1)略歴
1911年11月18日:竣工(ブローム・ウント・フォス)船名「カップフィンスター」
1921年:日本政府への引き渡し、「大洋丸」と改名、東洋汽船運航サンフランシスコ航路就航
1926年:日本郵船運航
1929年:日本郵船所属
1932年:ロスアンジェルスオリンピック選手団乗船
1934年:白洲次郎、辰巳栄一米国航路に乗船
1939年:東亜海運へ移管、上海航路就航
1942年5月5日19時半:宇品港出港
1942年5月8日19時45分ごろ:米国潜水艦グレナディアーより雷撃を受ける
1942年5月8日20時40分ごろ:東シナ海戦没、817人が死亡・行方不明
1978年6月8日:大洋丸会発足
1982年5月8日:大洋丸遭難殉職者慰霊祭(長崎市本蓮寺)
1985年12月8日:大洋丸誌発行


(2)主要目
総トン数:14,457トン
長さ  :170.99m
幅   :19.89m
深さ  :10.58m
主機  :レシプロ2機、最大10,711馬力
速力  :14ノット

参考資料

「日本郵船戦時船史」、日本郵船、1971年、pp.68-79
「日本郵船戦時船史資料」、日本郵船、1971年、pp.288-299
「大洋丸誌」、大洋丸会、1984年12月
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

東シナ海に手向けます

2018-08-13 12:50:20 | 大洋丸探索プロジェクト
東シナ海に花束とともに捧げる

大洋丸、りま丸、富生丸、錫蘭丸関係者の皆様

私たちは、ボランティアと多くの方々からのご寄付により、8月22日から東シナ海に沈む5隻の船の確認に参ります。現場にて、慰霊の心をこめて花束とお酒を捧げたいと思っています。
現場は東シナ海の中心部です。現場にいくことがほとんど不可能な関係者の方々に代わって、個人的に海に捧げたい品がございましたら、浦が代理にて捧げようと考えています。
ご希望の方は、まことに急ではございますが、

1)船との関係
2)お品の内容
3)連絡先(お名前、住所、電話番号とEメールアドレス)

のメモを添えて、ラ・プロンジェ深海工学会事務局

808-0135
福岡県北九州市若松区ひびきの1-22教員宿舎102
一般社団法人ラ・プロンジェ深海工学会
  浦 環

まで、8月20日必着でお送りください。なお、お品の大きさは、片手で持てる程度のものにしてください。また、送ったことの連絡を私のEメールアドレス

uraアットマークiis.u-tokyo.ac.jp (アットマークは@に代えてください)

にお送りください。

なお、海況が悪く航海が実現しなかった場合には、ご返送いたします。また、捧げる場所については、今回発見するであろう沈没位置あるいは既に公表されている沈没位置付近になることをご了解ください。
なお、航海の模様は、ニコニコ生放送で同時中継する予定です。

http://live.nicovideo.jp/gate/lv314822735

プロジェクトの内容は、このブログの他の投稿をご覧下さい。
ご質問などは、上記の私のEメールアドレス宛てにお送りください。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

大洋丸探索プロジェクト趣意書

2018-08-12 10:40:05 | 大洋丸探索プロジェクト
 第二次世界大戦中、多くの艦船が沈没し、多くの人命が失われました。それら艦船のほとんどは沈没位置が確認されないままに放置されています。一般社団法人ラ・プロンジェ深海工学会は、沈没した艦艇や戦時徴用船の正確な位置を特定し、現状を明らかにすることが、歴史的にも、犠牲者の鎮魂のためにも大切なことと考え、最新の技術を利用して、位置の特定と現状の調査を行いっています。

東シナ海に沈没した大洋丸一万四千トンの位置を特定し、沈没から75年たった大洋丸の現状を明らかにする「大洋丸探索プロジェクト」を2018年に開始しました。調査活動は、学会のプロジェクトチームがボランティアでおこないます。



沈没地点と言われている
北緯30度45分、東経127度40分(日本郵船戦時船史)
周辺には、海上保安庁海洋情報部が取得したデータによると5隻の船が沈んでいます。その内の1隻は大洋丸であると考えています。そこに大型の遠隔操縦式無人探査機(ROV)を下ろして5隻の船名を確認します。「戦没した船と海員の資料館」のHPの資料によりますと、その内の3隻は、「りま丸」「富生丸」「錫蘭丸」の可能性が高いと考えられます。また、「錫蘭丸」を沈めた米国潜水艦「Grayback」も近くに沈んでいるはずで、それが第5隻目かもしれません。

大洋丸を含め4隻の船名と正確な位置が判明すれば、その位置で亡くなられた方々の洋上慰霊が出来ると願っています。

1936年8月太平洋航路の大洋丸船上で昭和の二人の風雲児、辰巳栄一氏と白洲次郎氏は初めて出会い、日本の将来を議論し、その後の日本の歴史をともに背負っていきます。戦争が始まり、徴用船となった大洋丸は、1942年5月5日、多くの民間人を乗せてシンガポールに向けて宇品港を出港しました。8日午後8時40分頃、東シナ海の北緯30度45分 東経127度40分の海域でアメリカの潜水艦グレナディアー(SS-210)の雷撃を受け、沈没。1360名の乗員、乗組員の内、817名が殉難しました。

乗員はほとんどが東南アジア各地に赴任途次の経済人でした。台湾烏山頭ダムを建設した八田與一氏もお亡くなりになりました。開戦から半年も立たない時の出来事で、当時はまだ日本全体が全戦全勝と浮かれていたのですが、実際にはすでに日本近海の制海権を奪われていたと云う事です。国民の戦意喪失を恐れた軍部が報道を抑えた為、大事件ながら一般には多くを知らされていませんでした。

私たちは、2018年の八月下旬に4日間にわたって、国際ケーブルシップ(株)のご協力を得て KDDI PACIFIC LINK」(全長:109m、総トン数:7,960トン)を支援船として同社のROV「MARCUS-V」を現場に展開し、調査をおこないます。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする