ラ・プロンジェ深海工学会

深海に関する学術技芸を考究し、海中観測・作業や機器開発などを推進する学会の活動を紹介します。

報告書 第一部~調査までの道のり~

2023-05-16 17:06:53 | アルバコア探索プロジェクト
潜水艦アルバコア探査プロジェクト報告書

本報告書は三部に分かれています。
第一部~調査までの道のり~
第二部~調査と結論~
第三部~終わりに~

目次

第一部~調査までの道のり~
1. はじめに
1.1 一般社団法人 ラ・プロンジェ深海工学会
1.2 アルバコア探索プロジェクト       
1.3 実行委員会と調査チーム
1.4 調査資金
2.USS Albacore(SS-218)について
2.1 艦歴
2.2 主要目
2.3 青図と模型
2.4 1943年のAlbacoreの状況
2.5 艦橋部分の詳細
2.6 沈没位置の推定
2.7 乗組員
2.8 戦績

第二部~調査と結論~
3.調査の概要と結果
3.1 当初計画
3.2 準備
3.3 第一次調査
3.4 第二次調査
3.5 撮影されたAlbacore
3.6 第二次調査を終えて
4.アルバコアであることの確信

第三部~終わりに~
5.米国の対応
6.新聞等報道
7.終わりに
8.サポートを賜った皆様
8.1 第一次調査
8.2 第二次調査


第一部~調査までの道のり~

1.はじめに

1.1 一般社団法人 ラ・プロンジェ深海工学会

 一般社団法人ラ・プロンジェ深海工学会(https://blog.goo.ne.jp/laplonge参照、以下「学会」と書く)は、2017年に設立された非営利団体で、深海に関する学術技芸を考究し、海中観測・作業や機器開発など、深海を含む海中活動に関する普及と振興に関する活動を行い、もって国民の海洋理解の増進に寄与することを目的として、次の事業を行っています。
(1)海中観測・作業の企画と実施および助成
(2)海中工学・技術に関する情報の提供と資料の刊行
(3)海中情報の収集と提供
(4)海中工学イベントの企画と実施
(5)その他、当法人の目的を達成するために必要な事業

これまでの特筆すべきプロジェクトとして
伊58呂50特定プロジェクト(2017年)
呂500探索プロジェクト(2018年)
大洋丸探査プロジェクト(2018年)
東京湾B-29探索プロジェクト(2021年)
をおこない、沈没艦船の発見と特定などに成功しています。

1.2 アルバコア探索プロジェクト

USS Albacore(SS-218)は、1944年11月7日、北海道恵山岬灯台沖合で触雷し、沈没したと考えられ、日本周辺で沈没位置がかなり正確にわかっている米国潜水艦です。目撃情報は、「大湊防衛隊機密第九一号ノ十四、昭和19年11月15日」に「敵潜水艦撃沈確認詳報第一号」(2.6節参照)として報告されています。
学会は、最新鋭の海中技術を用いて、Albacoreを探し出し、その位置と現状を明らかにすることによって、学会の設立の目的である海中調査技術や海中活動の普及と振興を目指し、艦とともに戦没された方々を慰霊します。
本プロジェクトは、2020年に実施する予定でしたが、COVID-19の感染拡大により、三度にわたる延期をしました。2022年5月末に第一次調査を、同年10月初めに第二次調査を実施しました。

1.3 実行委員会と調査チーム

 2019年11月、学会は「潜水艦アルバコア探査プロジェクト」を
立ち上げました。実行委員会のメンバーは、下記の通りです。
 浦環(委員長)、古庄幸一、小原敬史、青柳由里子、稲葉祥梧
 柴田成晴、高島創太郞、西林健一郎、John Tamplin
これまでと同様にボランティアとして参加しています。ただし、John Tamplin氏は、後に述べるUSV(Unmanned Surface Vehicle:無人船 実際は準備の都合上、使われなかった)の提供者として加わっています。
 呂500探索プロジェクトの経験を踏まえ、小型ROVでは、200m深度の沈没艦の調査は、十分な操縦性が確保できずに、困難であると判断していました。そこで、調査を二段階に分け、
 第一次調査:マルチビームソナー(Multi-Beam Echo Sounder 以下MBESと記述)による沈没艦の発見と小型ROVによる確認
 第二次調査:大型(実際に利用したのは中型)ROVによる本格調査
としました。
 また、第一次調査にUSVを利用して調査効率をあげようと企画しましたが、数度にわたる延期の影響を受け、USVの準備が間に合わず、USV利用は断念しました。

第一次調査実施担当者
 浦環、古庄幸一、小原敬史、青柳由里子、稲葉祥梧
 柴田成晴、秋山竜也、石川隆規、竹内俊英
 高島創太郞、西林健一郎、西翔太郎、吉住純也
 宇賀神隆志、松本健心

第二次調査実施担当者
 浦環、古庄幸一、小原敬史、青柳由里子、稲葉祥梧
須藤直太郎
宇賀神隆志、松本健心

なお、当初計画では、第一次調査には株式会社ウインディーネットワーク様のご協力を得る予定でしたが、日程的に都合がつかず、参加していません。

1.4 調査資金

 調査資金は、これまでと同様に、一般の方々からの寄付によっています。クラウドファンディングは、Academistに依頼し、以下のように目標に達しています。

・第一次調査
https://academist-cf.com/projects/252?lang=ja
目標金額:200万円
支援金額:2,101,712円
支援者:226人
募集期間:2022年5月日~同年5月30日

・二次調査
https://academist-cf.com/projects/265?lang=ja
目標金額:200万円
支援金額:2,106,300円
支援者:216人
募集期間:2022年9月14日~同年10月6日

 また、並行してラ・プロンジェ深海工学会への直接寄付をお願いいました。


2.USS Albacore(SS-218)について

 Albacoreは、第二次世界大戦中に太平洋戦域で活躍した米国のガトー級潜水艦です。
Naval History and Heritage Command:
https://www.history.navy.mil/research/library/online-reading-room/title-list-alphabetically/u/united-states-submarine-losses/albacore-ss-218.html


図2.1 1942年5月9日時点のAlbacore
http://navsource.org/archives/08/218/0821802.jpg

ガトー級は、1941年から1943年にかけて77隻が建造され、第二次世界大戦におけるアメリカ初の大量生産型潜水艦のクラスです。戦争で失われた52隻のアメリカ潜水艦のうち20隻がガトー級です。Albacoreはそのうちの1隻で、名前はビンナガマグロから来ています。

2.1 艦歴

1942年
2月17日:進水
6月1日:就役
10月20日:ミッドウェーに帰投。改装。200m機関砲を搭載
12月30日:ブリスベンに帰投。エンジンを修理
1943年
3月11日:ブリスベンに帰投。乾ドックで整備
5月26日:ブリスベンに帰投。
7月31日:ブリスベンに帰投。
9月26日:ブリスベンに帰投
12月5日:ブリスベンに帰投
1944年
2月22日:真珠湾に帰投
2月25日:本国へ回航、メア・アイランド海軍造船所で改修工事
5月13日:真珠湾に到着
7月15日:マジュロに帰投
9月25日:真珠湾に帰投
10月24日:第11次哨戒のため真珠湾を出港
10月28日:ミッドウェーで給油
11月7日:北海道函館沖合にて触雷、沈没
艦長:Lieutenant Commander Hugh Raynor Rimmer
乗員:85名
1945年
3月30日:除籍

2.2 主要目(Wikipediaなどによる、いずれも1944年改装後の情報)
排水量:水上:1,550トン、水中:2,460トン
全長:96.3m、垂線間長:75.02m
全幅:8.31m、喫水:5.2m
最高速力:水上:20.25ノット、水中:8.75ノット
乗員:士官:10名、兵員:70-71名
兵装:4インチ砲1基(艦後部)、20ミリ機銃(艦橋前後部)、
21インチ魚雷発射管10基
https://military-history.fandom.com/wiki/USS_Albacore_(SS-218)

2.3 青図と模型

 建造時の青図の立面図と平面図を図2.3.1に示します。また、艦橋部分(Fr.40~Fr.65)の拡大図を図2.3.2に示します。これらの図は、the National Archives and Records Administration (NARA) at College Park, MDからKatonaらが得たもので、本調査の参考にするために学会に送られたものです。ガトー級潜水艦は、建造後も多くの改造が加えられたために、沈没時の最終形を示すものでないことに注意が必要です。




図2.3.1 1944年、建造時の青図(一般配置図)。





図2.3.2 船橋部分の拡大図。

 調査にあたって、立体模型を参照することができれば、網などがかかって外観の判断が難しい沈没艦を同定するのに大変役にたちます。そこで、従来の活動を通して親しくしている「ねりごま船渠」様に、モデルの製作を依頼し、こころよく引き受けていただきました。図2.3.3は、右舷前方から見たモデルです。調査現場にこれを持ち込み参照しました。


図2.3.3 ねりごま船渠様製作のAlbacoreモデル。2.5節の写真の内容が忠実に再現されています。

2.4 1943年のAlbacoreの状況

本節および次節の多くの部分は、
「Identification Guide USS ALBACORE (SS-218) by Stephen J. Katona Volunteer Researcher, NHHC and DDC(SS/SW) David L. Johnston USN (Ret.)」
より引用し、浦が翻訳しています。このGuideは第二次調査に当たって、「調査の参考に」ということで、浦に送られてきたものです

 建造直後のAlbacoreの写真を図2.4.1に示します。右から2隻目がAlbacoreです。5艦のガトー級潜水艦が並び、艤装工事中です。砲の取り付け作業や艦橋前部の建造をおこなっています。2.3節の青図と比較してください。舷側の孔の位置や形が隣のUSS-277 Scampと違っている点などにご注目ください。


図2.4.1 1943年6月4日から7日の間に撮影されたBrisbane港に並ぶガトー級潜水艦。左側から、Grouper (SS-214)、Peto (SS-265)、Scamp (SS-277)、Albacore (SS-218)、およびDrum (SS-228)。NavSource Online: Submarine Photo Archive:http://www.navsource.org/archives/08/08218.htm より。SJレーダーがよく見えます。

2.5 艦橋部分の詳細

 1944年にMareでおこなわれた改造工事時に撮影された写真を以下に示します。詳細が写っている最後の写真で、この状態が沈没時のものと考えてよいと思われます。Katona氏らが注目すべき場所についてマル印で示しています。その解説も紹介します。


図2.5.1 前方から艦橋を見る。

(1) a newly installed watertight ammunition storage gun tub
(2) stanchion hinges
(3) the bridge fairwater
(4) top of the periscope shears
(5) SJ radar emitter dish
(6) the SJ surface search radar mast
(7) the T-shaped SD air search radar
(8) the loop style LF radio antenna

図2.5.1の写真は、前部甲板から左舷後方を撮影したもので、左端には新たに設置された水密性の弾薬貯蔵ストレージ(1)があります。これは、主砲を乗員の要求に応じて前方と後方とに日常的に交換することを想定して設置されたものです。主砲を前方に向けた場合、このストレージは4インチ砲の即応弾を保管するために使用されます。砲を後方に設置した場合、このストレージは20mm Mk2またはMk4機関砲のドラム弾倉を収納するために使用されたと思われます。この20mm機関砲が前部甲板に設置されていたため、このストレージはそのための弾薬を保管するのに適した場所です。写真の一番下のマル印は、スタンション(手すりの支柱)のヒンジ(2)です。
上の大きな円 (3)は、この船をMod 4構成に変更するためにフェアウォーター(ブリッジと監視塔含む構造体)に加えられた変更を示し、下げられたブリッジ、風洞(wind venturi)、露出したリブ構造示しています。艦橋のフェアウォーターには、乗組員が20mm機関砲に素早くアクセスできるようにドアが設置されています。その左下と右下には、主砲を前方に向けた際に4インチ砲弾を通すための弾薬通過用スカットルが新たに設置されています。潜望鏡の一番上には、変更が加えられたことを示す楕円形(4)がありますが、写真ではそれが何であるかはっきりしません。しかし、レーダー探知機APRシリーズのスタブアンテナであると推測するのが妥当でしょう。また、Mod 4の構成では、SJ海面探索レーダーマスト(6)は潜望鏡の前方に位置し、マストは艦橋部分を貫通していることに注意。実際のSJレーダーエミッターディッシュ(5)はマストの上部にあり(後述のようにROV調査で確認されています)、一部見えなくなっています。T字型のSD対空見張り(7)は潜望鏡の後方にある専用のマスト上にあります。また、潜望鏡の間には、ループ式のLF無線アンテナ(8)があります。


図2.5.2 後方から艦橋を見る。
(1) the 4”/50 caliber Mk 9 gun
(2) the gun crew extra deck space
(3) the lifeline stanchions
(4) the newly installed gun tub
(5) likely that the object is a watertight cable junction box for either communication antennas or for sound-powered phones
(6) the structural beams inside, euphemistically referred to as the “covered wagon ribs”
(7) the round holes to allow the superstructure to vent air faster

図2.5.2の写真は後部甲板の左舷前方から撮影したもので、右側の最初に丸で囲んだものが4インチ/50口径Mk9砲(1)です。以前の写真では、この砲は前方の位置にありましたが、1944年のオーバーホールで船尾の位置に移動させられたと思われます。船尾に移動させることで、砲の近く、乗員食堂の下の主弾薬庫のほぼ真上にある電池後ハッチから弾薬を受け渡すことができ、弾薬受け渡しの経路を短くすることができます。砲の左側の楕円は、砲を操作している間、砲の作業員にデッキのスペースを確保するために、デッキが外側に拡張された(2)ことを示しています。砲の左右にある小さな円は、手すりの支柱が変更されたことを示しています(3)。写真でははっきりしないので、何を強調しているのか完全にはわかりませんが、砲の動作中に支柱を折り畳むためのヒンジだと思われます。これによって砲の俯角を最下角とした際に干渉をなくし、かつある程度の安全性も確保できるため、効果的であったと思われます。司令塔のフェアウォーターの後端には、4インチ砲用の即応弾を収容するために新しく設置されたストレージ(4)が円形で示されています。これにより、弾薬受け渡し用の台車が砲の下に設置されている間、乗組員は最初の数発の弾薬にすぐにアクセスすることができるようになりました。
次の前方の円(5)は、これが何であるかを正確に伝えるほど明確ではありませんが、この物体は、通信アンテナの接続箱か、港にいる間の砲兵隊と上層部の監視との間で使用する音波式電話用の防水ケーブルの接続箱であると思われます。その上には、フェアウォーター自体の変更点を強調する楕円が描かれています。この改造で、AlbacoreはMod 4構成になりました。これは、ガトー級潜水艦の戦争後期の構成で、艦のシルエットを目立たなくするための最後の試みでした。フェアウォーターの前部と後部が切り取られ、フェアウォーター上縁の鉄板が取り除かれ、内部の梁が見えている状態となって、艦橋の高さが低くなっています。これらは「幌馬車リブ」と呼ばれたものです(6)。また、図2.5.1と図2.5.2の両写真で注目すべきは、上部構造の上縁に開けられた丸い穴です(図2.5.2の7)。これは潜水時に上部構造の空気を早く抜くために開けられたものです。

このような特徴を持つ船は多くないので、高画質の調査ビデオが入手できれば、Albacoreの同定に役立つと思われます。

図2.5.2の(4)の部分の詳細な写真を、図2.5.3に示します。また、艦橋の上部構造の詳細な写真を、図2.5.4に示します。


図2.5.3 the newly installed gun tub。下の二つの丸はスタンションのヒンジ


図2.5.4 艦橋上部構造。後に述べるROV調査で、この部分の左舷側から見た映像が取得されています。

2.6 沈没位置の推定

図2.6.1にAlbacoreの推定沈没位置を示します。1.2節で述べたようにAlbacoreの沈没は 「敵潜水艦撃沈確認詳報第一号(図2.6.2~2.6.4)」に記述されています。図2.6.2はその2~4ページを統合したものです。図2.6.3は、機雷敷設図と推定される触雷位置です。図2.6.4は浮上した物品のリストの一部です。これらの資料は、アジア歴史資料センターから入手したもので、一般に公開されている情報です。

図2.6.2の記述は読みづらいところがあるので、下記に転記します。字が判読できないものについては「?」を付してあります。また、一部カナ使いを現代風に書き直してもあります。カタカナ表記はすべてひらがな表記にしました。

―――――――――――――――――――――――――――――――――――
敵潜水艦撃沈確認詳報(昭和19年11月7日恵山機雷礁に於ける潜水艦触雷撃沈)

1. 敵潜触雷撃沈状況
 昭和19年11月7日東口隊の一艇は哨戒中恵山機雷礁南付近に於いて敵潜の触雷撃沈を確認せり。其の状況は次の如し
(1)第七福栄丸(第28掃海隊)は北哨区に在り、半速力7節基準航(?)路南
之字運動を以て捜索聴音を行いつつ対潜哨戒中1235恵山灯台の105度3.5浬に於いて左170度2500mに水中爆発音を聴知すると同時に遠距離に於ける爆雷の爆発音の如き衝撃を船体に感知せり
(2)水中爆発音と同時に約10mの高さに水柱の昇沸(?)するを認め、更に0.5秒の間隔を以て大なる二発の爆発音と船体の振動とを感知せり。この時水中より黒色の飛行機翼状のもの(潜水艦潜舵又は横舵)出現せるを認めたるも瞬時にして全没せり。
(3)是より先約一時間前、恵山岬の20度6浬付近に於いて見張員は左前方に潜望鏡らしきものを認めたるも、確認せざるに見失いたるを以て報告するに至らず、その後30分にして船体に軽度の?衝を感じたるを以て水面を注視したるも何らの浮遊物等をも認め得ざりき。
(4)第七福栄丸は爆発音を聴知するや直ちに面舵に反転、現場に急行し直上付近に至り、約一時間漂泊し水中聴音をおこないつつ監視警戒を続行せり。
(5)爆発後役5分間は気泡の噴出最も盛にして、漸次現象するも重油の噴出は7分後より認められ(海深260m)梅干大油泡無数浮上し、之に混じりて甲板木片「コルク」、寝台「ベッド」書籍煙草被覆類糧食等多数浮上し来るを以て之が参考品としてその一部を?収せり。
(6)敵潜の触雷爆発するや桑畑防衛所に於いては水中聴音機にて二発の水中爆発音を52度40㎞に聴測すると同時に見張り員は黒煙の上昇を認め、恵山見張り所に在りては機雷の爆発音を聴知せり。又、大空哨戒機は現場に重油及多数の浮遊物を認めたり。
(7)当時天候曇、視界15km北西の風8m波浪3、「ウネリ」南東5、海中雑音ありて水中聴音には異音を聴知せしれざるも、前述の状況により敵潜の触雷轟沈を確認し得たるを以てその後爆発点を中心とする5浬?付近を索敵警戒監視せり。
(8)翌8日0700頃、沈没地点を見るに重油の湧出尚盛なり。飛行機偵察に依れば油帯は長さ1200m幅300mに達す。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――

 目撃情報は、数値が書かれ、具体的です。この位置情報を基にして、沈没位置(触雷位置)を
北緯41度49分05秒、東経141度16分05秒、水深233m
と推定しました。


図2.6.1 沈没位置の推定。海図は「海底地形図第6372号恵山岬」
日本測地系であることに注意

 なお、各種資料によれば、沈没位置は、「北緯41度49分、東経141度11分」となっています。これは、ほぼ恵山岬灯台の位置です。

 浮上物揚収品リストの内、次の二つの記述は注目すべきものです
・ジャンパー背部の「ALB-5」の記載
・白短袴(白のショートパンツ)にASKの記名
前者のALBは明らかにAlbacoreの略称です。また、2.7節の乗組員名簿中のArthur Star Kruger二等水兵 19歳のイニシャルと一致します。

このことから、触雷して沈んだのはAlbacoreに間違いないといえます。

なお、米軍の関係者は、私たちの調査以前に、図2.6.2の記述は知っていたものの、図2.6.4の揚収品についての情報は得ていないようでした。そのため、当初は、私たちの発見したものがAlbacoreであることに懐疑的でした。その後、私たちが送った図2.6.4により、確証を得たようでした。


図2.6.2 「敵潜水艦撃沈確認詳報第一号」の記述。アジア歴史資料センター提供


図2.6.3 「敵潜水艦撃沈確認詳報第一号」に記載されている機雷敷設位置と触雷推定位置


図2.6.4 「敵潜水艦撃沈確認詳報第一号」に記載されている浮上した物品で回収したもののリスト

2.7 乗組員

 沈没時の艦長は、1944年10月3日より任についた図2.7.1の
Hugh Raynor Rimmer少佐
没年30歳です。

乗組員は、総勢85名。全員が行方不明です。乗組員全員の名簿を図2.7.2に掲載します。職責の構成を図2.7.3に、また、年齢分布を図2.7.4に掲載します。

 ショートパンツが発見されたArthur Star Kruger二等水兵の写真を図2.7.5に掲載します。このように、米国潜水艦の乗組員の写真はほぼ全員についてWebsiteに公開されています。残念ながら、日本海軍の潜水艦についてはそのようなデータベースは見当たりません。


図2.7.1 艦長Hugh Raynor Rimmer
https://www.findagrave.com/memorial/30368243/hugh-raynor-rimmer


図2.7.2(1) 乗組員リスト


図2.7.2(2) 乗組員リスト


図2.7.2(3) 乗組員リスト


図2.7.3 乗組員の職位/階級の分布


図2.7.4 乗組員の年齢の分布


図2.7.5 二等水兵 Arthur Star Kruger
https://www.oneternalpatrol.com/kruger-a-s.htm


2.8 戦績

 以下の情報は「uboat.net」からのデータに基づいています。タイトルはドイツの潜水艦U-Boatですが、連合軍の艦艇を広く扱っています。Albacoreの記述については、以下のURLを参照してください。
 https://uboat.net/allies/warships/ship/2964.html

Albacoreが撃沈した日本海軍関係艦船は、以下の11艦です。

・20 Feb 1943
USS Albacore (Lt.Cdr. Richard Cross Lake) attacked Japanese warships, torpedoing and sinking the Japanese destroyer Oshio (offsite link) (駆逐艦大潮)about 140 nautical miles north-north-west of Manus, Admiralty Islands in position 00°50'S, 146°06'E.
・4 Sep 1943
USS Albacore (Lt.Cdr. O.E. Hagberg) torpedoed and sank the Japanese auxiliary gunboat Heijo Maru (2677 GRT)(特設砲艦平壌丸) south-west of Ponape, Caroline Islands in position 05°25'N, 156°37'E.
・25 Nov 1943
USS Albacore (Lt.Cdr. O.E. Hagberg) torpedoed and sank the Japanese transport ship Kenzan Maru (4704 GRT) (陸軍輸送船乾山丸)north-east of Manus in position 00°46'N, 144°50'E.
・12 Jan 1944
USS Albacore (Lt.Cdr. J.W. Blanchard) torpedoed and sank the Japanese auxiliary gunboat Choko Maru No.2 (2629 GRT) (特設砲艦第二号長江丸)about 350 nautical miles south-west of Truk in position 03°30'N, 147°27'E. Albacore also damaged the motor gunboat Hayabusa-Tei No.4 (25 GRT) (魚雷艇隼艇)under tow of the Choko Maru No.12 so badly that the smaller craft has to be scuttled in position 03°37'N, 147°27'E.
・14 Jan 1944
USS Albacore (Lt.Cdr. J.W. Blanchard) torpedoed and sank the Japanese destroyer Sazanami(駆逐艦漣)about 300 nautical miles south-east of Yap in position 05°30'N, 141°34'E.
・19 Jun 1944
USS Albacore (Cdr. J.W. Blanchard) torpedoed and sank the Japanese aircraft carrier Taiho (29,300 tons)(航空母艦大鳳), about 180 nautical miles north-north-west of Yap in position 12°22'N, 137°04'E.
The carrier was flying the Flag of Adm. Ozawa, Commander of the Kido Butai, heading for the Battle of the Philippine Sea. Her sinking was catastrophic for the Japanese in that communications between the Admiral and the rest of the Fleet were delayed for hours, and the strikes to be launched against the US support forces located off Saipan were uncoordinated and lacking the planes lost with Taiho, which was a major factor in the decisive defeat of Japanese air power in what became known as "The Marianas Turkey shoot" the following day.
・3 Jul 1944
USS Albacore (Cdr. J.W. Blanchard) makes a deck gun attack in position 08°10'N, 136°18'E, sinking the small Japanese merchant Taiei Maru (130 GRT) (木製機帆船大栄丸)en route from Yap to Palau. 5 survivors were picked up after the sinking but other survivors refused to be rescued.
・5 Sep 1944
USS Albacore (Cdr. J.W. Blanchard) torpedoed and sank the Japanese merchant Shingetsu Maru (880 GRT)(輸送船新月丸) north of Muroto Saki in position 32°24'N, 134°15'E.
・6 Sep 1944
USS Albacore (Cdr. J.W. Blanchard) torpedoed and sank the Japanese auxiliary minesweeper Eguchi Maru No.3 (198 GRT) (特設掃海艇第三江口丸)at entrance to Kii Suido, Japan in position 33°29'N, 135°32'E.
・11 Sep 1944
USS Albacore (Cdr. J.W. Blanchard) torpedoed and sank the Japanese auxiliary submarine chaser Cha-165 (130 tons) (第165号駆潜特務艇)off Kyushu, Japan in position 32°20'N, 131°50'E.

Albacoreの戦果の中で特に著名なのが、当時新鋭だった日本海軍の航空母艦「大鳳」(図2.8.1)の撃沈です。


図2.8.1 航空母艦大鳳。計画基準排水量 29,300トン、全長261m

Albacoreは6本の魚雷を発射し、その内の一本が大鳳の艦尾に命中します。被害は大きくはなかったのですが、航空燃料が漏れ、6時間後に大爆発を起こして沈没します。重装甲を施された新鋭航空母艦の撃沈は、日本海軍に大きな衝撃を与えました。大鳳沈没については、現在に至るまで、設計上の問題点や、被雷後のダメージコントロールの観点等、様々な形で分析がなされています。船舶構造解析の第一人者であった山本善之東京大学名誉教授は、関西造船学会誌に長文の考察を掲げています。また、後に、畑村洋太郎東京大学教授は「失敗学のすすめ」にて、大鳳沈没を山本教授のデータをもとに取り上げています。

参考文献
山本善之:「航空母艦大鳳の大爆発1」、らん、関西造船協会、46巻、1999、pp.58-65
山本善之:「航空母艦大鳳の大爆発2」、らん、関西造船協会、47巻、2000、pp.67-74
畑村洋太郎:「失敗学のすすめ」講談社文庫、2005

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