ラ・プロンジェ深海工学会

深海に関する学術技芸を考究し、海中観測・作業や機器開発などを推進する学会の活動を紹介します。

「小笠原丸」と「泰東丸」の調査結果(制作中)

2024-08-21 06:42:06 | 小笠原丸・泰東丸調査
調査結果の一部を速報でお知らせします。

小笠原丸

右側が船首。アップライトに海底に鎮座しています。


上が北の平面図です。右下が船首。船首から全長の1/4の部分が抜けていて海底が見えています。そこの船底に魚雷が当たり、沈没したのではないかと考えられます。



泰東丸
砂に埋もれています。




不明の貨物船(?)

船長から知らされた沈没船。船長の祖父様が発見している。全長約75m。



沈没位置

 船名  緯度(北緯)      経度(東経)    水深   全長
小笠原丸  43度54分16.4秒   141度24分42.8秒   57m   83m
泰東丸   44度05分16.8秒   141度28分22.1秒   58m   52m
不明船   43度45分53.2秒   141度16分18.8秒  103m  75m



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「小笠原丸」と「泰東丸」の調査

2024-07-25 09:14:03 | 小笠原丸・泰東丸調査
2024年8月、新たな調査プロジェクトをおこないます。1945年8月22日に北海道留萌沖で起こった「三船殉難事件」で犠牲になった「小笠原丸」と「泰東丸」を、マルチビームソナーで計測し、立体図を作成し、海底でどのような状況にあるのかを明らかにし、犠牲者の慰霊をおこないたいと考えています。 また、調査を通じでマルチビームソナー調査技術の詳細や海底調査活動の実態を紹介します。
海況にもよりますが、調査実施予定日は8月20日です。

クラウドファンディングを開始しましたので、よろしくご支援ください。
https://academist-cf.com/projects/353?lang=ja
なお、従前通り、ニコニコ生放送およびYouTubeで実況中継する予定です。
【8月3日(土)14:00-】
北海道沖で撃沈された「三船殉難事件」の沈没船を追う
〜なぜこの調査が必要なのか 解説&プロジェクト紹介〜
https://youtube.com/live/p_oBQaUuqms
【8月20日(火)朝6:30-(予定)】
北海道沖で撃沈された「三船殉難事件」の沈没船を追う
〜船上からマルチビームソナー調査の全工程をライブ配信〜
https://live.nicovideo.jp/watch/lv345479660


写真は三船殉難の碑です



碑文には次のように書かれています


沈没した2船は過去に潜水調査がおこなわれ水中写真が撮影されてはいるものの、海底にどのような状態で横たわっているのか、その全体像は明らかになっていません。海洋調査の基本は、マルチビームソナー(MultiBeam EchoSounder:MBES)を使って地形図を作ることですが、戦後の潜水調査ではそれはおこなわれておらず、潮がきつく、透明度も悪いことから、船名確認を含め、十分な調査はできていないのが現状です。



そこで私たちは、最新鋭のマルチビームソナーを用いて沈没した小笠原丸と泰東丸の三次元計測をおこない、立体図を作成し、2船が現在、海底でどのような状況にあるのかを明らかにし、犠牲者の慰霊をおこないたいと考えています。 また、調査を通じでマルチビームソナー調査技術の詳細や海底調査活動の実態を紹介します。 MBESの計測方法は



深さが浅いので、私たちがおこなった呂500の調査結果のような詳細な三次元データが取得されるはずです。地元の遊漁船「第二紀宝丸」んい装置を取り付けて調査をおこないます。




調査予定は
2024年8月19日 留萌港にて調査通信機器を艤装
2024年8月20日 調査
2024年8月21日 予備日
2024年8月22日 予備日、殉難の日

・小笠原丸
 逓信省海底電線敷設船
  総トン数:1,403トン、
  長さ:74.1m、幅:10.4m、深さ:6.8m、喫水4.97m  2軸
  竣工:1906年8月15日、建造:三菱合資会社三菱造船所



・泰東丸
 特設砲艦(戦時標準船2E型) 所有者:東亜海運(株)
  総トン数:880トン、垂線間長:60m
  竣工:1944年7月4日、建造:東京造船所(豊洲)
  泰東丸に関しては適当な写真がありません。

小笠原丸は、日本が初めて建造したケーブル敷設船です。小笠原丸を含め、日本のケーブル敷設についての簡単な歴史を紹介します。
・明治5年(1872)8月 関門海峡・前田~雨ケ窪間(1.1km)に本邦最初の1心GP海底電信ケーブル布設(担当、独人シェーファおよびジョンス)
・明治7年(1874)10月 津軽海峡、福島~今別間(40.2km)にストアノルデスケ号により海底電信ケーブル2条布設
・明治8年(1875)2月 明治丸、英国グラスゴーより横浜へ回航
・明治10年(1877)7月 津軽海峡海底ケーブル修理、(大北電信会社へ委託)完了(本邦初の修理工事)
・明治26年(1893)7月 長崎平畑~五島田部手間(96.7km)に1心GP海底電信ケーブル布設
・明治29年(1896)4月 布設船沖縄丸竣工(英国グラスゴー・ロブニッツ会社)
・明治29年(1896)6月 沖縄丸英国より長崎へ到着
・明治37年(1904)2月 卒土浜(対馬)~巨済島~漆原半島間(147.4km)に1心GP電信海底ケーブル布設
・明治39年(1906)8月 布設船小笠原丸竣工
・明治42年(1909)6月 大連~芝素間(166.1km)に1心GP電信海底ケーブル布設(8.16 一般公衆通信取扱い開始)
・昭和20年(1945)2月 小笠原丸、静岡県下田港にて空撃を受ける
・昭和20年(1945)8月 小笠原丸、北海道増毛沖約4海里で魚雷攻撃を受け沈没



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