日本の神様
少名毘古那神
(すくなびこなのかみ)
日本神話に登場する神
海の彼方からやってきた小人神
大国主神と力を合わせ心ひとつにして天下を経営
別名
少彦名命
(すくなひこなのみこと)
宿奈毘古那命
須久那美迦微
(すくなみかみ)
須久奈比古
(すくなひこ)
少日子根命
(すくなひこねのみこと)
小比古尼命
(すくなひこねのみこと)
小彦命
(すくなひこねのみこと)
小日子命
(すくなひこねのみこと)
小名牟遅神
久斯神
少名彦命
天少彦根命 等
神格
国造りの神
農耕の神
薬の神
禁厭の神
温泉の神
「日本書紀」では
八段一書の六に登場しています。
その大己貴命と、少彦名命が力を合わせ心ひとつにして天下を経営しました。また現世の人民と家畜のための病を治療する方法を定めました。また、鳥獣、昆虫の災いを祓うために、そのまじないの法を定めました。こういうわけで、百姓は、今に至るまで、余すところなく恩恵を受けているのです。
大国主神(おほくにぬしのかみ)が国を平定して、出雲の国の五十狭狭(いささ)の小浜に行き、飲食しようとしたとき、海上に人の声がしました。そして、一人の小さな男が、白蘞(かがみ)の皮を舟とし、鷦鷯(ささき)の羽を衣として、潮のまにまに浮かんでやってきました。
大国主神は、天神に遣いを出して、その者のことを報告しました。それを聞いた高皇産靈尊(たかみむすひのみこと)が、「私の生んだ子は合わせて1500柱だが。その中の一人の子が最悪で、教えに従わず、私の指の間から漏れて落ちて行った。きっとその者に違いない。愛しみ育てなさい」といいました。
そこで、大国主神と少彦名命は、力を合わせ心ひとつにして天下を経営し、現世の人民と家畜のための病を治療する方法を定め、鳥獣、昆虫の災いを祓うために、そのまじないの法を定めました。
その後、少彦名命は、熊野の御崎に行き、ついに常世郷(とこよのくに)に行ってしまいました。または、淡嶋(あわのしま)行き、粟の茎に登ったところ、弾かれて常世郷に行ってしまわれたと、説明されています。
「古事記」では
本文では、このように登場しています。
ヒキガエルの多邇具久がいうには、「これは、カカシの久延毘古なら、きっと知っているでしょう」といいました。久延毘古を呼んで、問いになった時に、久延毘古が答えていうことには、「これは、神産巣日神の御子・小名毗古那神です」といいました。
大国主神が、出雲の美保岬にいた時に、波の高く立った所より、ガガイモの実を割って作った舟、天の羅摩船に乗って、小鳥の羽毛を剥ぎ取って衣服にして、近寄ってくる神がやってきました。
名を尋ねましたが、答えませんでした。そこで従える神々に問いましたが、誰もが知らないと答えました。
そこへ、ヒキガエルの多邇具久がいうには、「これは、カカシの久延毘古なら、きっと知っているでしょう」といいました。久延毘古が答えていうことには、「これは、神産巣日神の御子・小名毗古那神です」と答えました。
大国主神は神産巣日神に申し上げたところ、「これは、実に我が子です。子の中に、私の手の指の間から、もれ落ちた子です。だから、お前は、葦原色許男命と兄弟となって、その国を作り堅めなさい」と言いました。
こういうわけで、大国主神と小名毗古那神と二柱の神は、協力して、この国を作り堅めました。
その後、小名毗古那神は、常世国に渡ってしまいました。
祀る神社
少彦名神社
(大阪府大阪市)
大洗磯前神社
(茨城県東茨城郡)
粟島神社
(鳥取県米子市)
新しい知識を得た場合
随時更新予定です。