次の目的地は、JR大森駅から徒歩2分のところにある、八景天祖神社です。
まずは、この急な階段を登りました。
正直言いますと、参詣した神社の中で一二位を争う恐怖を感じた階段です。色んな意味で怖かった。
階段は遠慮したいと思う方は、八景坂を登られると良いかと思います。
(八景坂は人通りが多かったので写真には撮りませんでした)
八景坂(はっけいさか)
大田区文化財八景坂今でこそゆるやかな坂道であるが、昔は相当な急坂で、あたかも薬草などを刻む薬研の溝のようだったところから、別名薬研坂と呼ばれた。この坂の上からは、かつて大森の海辺より遠く房総まで一望でき、この風景を愛した人たちにより「笠島夜雨、鮫州晴嵐、大森暮雪、羽田帰帆、六郷夕照、大井落雁、袖浦秋月、池上晩鐘」という八景が選ばれ、八景坂というようになったといわれる。かつて坂上には、源義家が鎧をかけたと伝えられる松があり、広重らの浮世絵に描かれ、有名であった。昭和五十一年二月二十五日指定大田区教育委員会
八景天祖神社
八景天祖神社は、東京都大田区にある神社です。
かつては「神明社」という名称でした。
主祭神
天照大御神
八景天祖神社に関しましては、私の別ブログにて詳しく記事にしています。興味のある方は是非ご覧ください。
名所江戸百景・第26景 「八景坂鎧掛松」では、天祖神社の高台から海岸を見下ろした景色を描いています。
今は、大森駅前しか見えません。
第26景 「八景坂鎧掛松」に関しましては、私の別ブログにて詳しく記事にしています。興味のある方は是非ご覧ください。
八景天祖神社を参拝した後は、池上通りを品川方面に向けて歩きました。
ビルの間にあり、発見した時はエッ!こんなところにとビックリしました。
ビルの間を進むと、
(ピンぼけ写真ですみません)
<大森貝墟>碑の由来
<大森貝墟>碑の由来大正14年十二月、大森貝塚を発掘し、江戸・明治期の文化を海外に紹介したエドワード・シルベスタ・モース博士の訃報(ふほう)が伝わると、ただちに博士と関係のあった石川千代松・岩川友太郎・臼井米二郎・佐々木忠次郎・松村暸・宮岡恒治郎の六名が発起人となり、大森貝塚の顕彰(けんしょう)とモース博士の偉大なる功績(こうせき)を後世に伝えるため、調査場所に記念碑をたてることにした。その場所は、発掘に参加した佐々木忠治郎の日記と記憶、ならびに当時の地形、立木、村道の位置、大森駅との距離などにより、小林脳行店主の臼井米二郎の所有地(東京府荏原郡入新井町字新井宿山王下二五五番地・現在の大田区山王一丁目三番一号)とされた。一二名の研究者らが発起人となり建碑を呼びかけたが、昭和二年にアメリカで起きた世界恐慌(きょうこう)が日本にも及び、献金は集まらず、臼井米二郎が土地と資金を提供し、<大森貝墟>碑が完成したと、佐々木忠次郎は語っている。除幕式は、昭和五年四月一三日におこなわれた。碑の材料は仙台石で、高さ六尺、幅三尺、これに、二段の台石を据え、碑の表面には碑名、英文記事、発起人の氏名を刻み、裏面にはモース博士の貝塚発見の由来を彫った。昭和三十年三月二四日<大森貝墟>碑は品川区の大森貝塚遺跡庭園内にある<大森貝塚>碑とともに国の史跡に指定された。史跡<大森貝墟>碑は、日本の歴史に輝きを与えた大森貝塚とその発掘者モース博士をたたええるとともに、師を敬愛する明治期の人々の意気が感じられる。私たちはこの碑を国の文化財の象徴として、末長く保存管理する使命をもっている。東京都大森貝塚保存会会長 関 俊彦
<大森貝墟>碑
<大森貝墟>碑を見学した後は、再び池上通りを品川方面に向かいました。
そして、大森貝塚遺跡庭園を見学
大森貝塚遺跡庭園
モース博士像
写真撮影をしていたら、庭園内に霧が発生。なかなか面白い噴水です。近所の子どもたちが楽しそうに遊んでいました。
庭園内には、
縄文時代についての説明書きが沢山ありました。勉強になりました。
そして、肝心の大森貝塚跡
が〜ん
帰宅後、写真をチェックしていたら、ピンぼけ写真しかありませんでした。ショック。
大森貝塚。気になる方は是非、足を運んでみてください。いい庭園でした。
大森貝塚遺跡庭園を見学した後は、再びJR大森駅へ戻り、帰宅しました。
最後に
今回の散策。大森貝塚遺跡庭園では、縄文時代に関しての説明書きが沢山あり、大変勉強になりました。縄文時代ずきにはたまらない散策となりました。
そして、最近、色々な街を散策させていただいているのですが、その散策で感じたこと。
町の雰囲気と氏神様の雰囲気って似ているなぁ、と感じました。
手入れが行き届き荘厳な神社の周りは、大きな建物、立派なお宅が多く、
逆に、小さな神社で、ちょっと手入れが行き届いていない神社の周りのは、正直、覇気がなく、空き家が多い印象を受けました。
(プチゴミ屋敷も見受けられました)
果たして、
氏神様のパワーによって街が発展していったのか?
氏子さんがパワーがあり、神社が立派になったのか?
氏子さんたちの思いが氏神様をパワーアップさせ街が発展していったのか?
果たして?
引っ越しする機会があったなら、氏神様を参詣して、氏神様の雰囲気を確かめてから、引っ越しするのもありかなぁと思いました。
さて、次回はどの街を散策しようかなぁ。
それでは、また。
読んでいただき
ありがとうございました。
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