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リートリンの覚書

日本書紀 巻第十九 天国排開広庭天皇 六十一 ・河辺瓊缶の失態



日本書紀 巻第十九 天国排開広庭天皇 六十一

・河辺瓊缶の失態



士卒(いくさのひとども)は皆、
心をきめて服し、
つかえました。

河邊臣瓊缶(かわへのおおみにへ)は、
独で進みて転闘しました。

向かうところ皆、
抜き取りました。

新羅は更に白旗を挙げて、
兵(つわもの)を投げて降伏しました。

河邊臣瓊缶は、
元々、兵法をしらず、

対して白旗を挙げて、
いたずらに独り進みました。

新羅の闘将は、
「河邊臣瓊缶は、
今、降ろうとしている」
といい、

すなわち、
軍を進めて迎撃し、
鋭く尽くし、

攻めたものを、
破りました。

前の鋒を破られ、
甚だ多く。

倭国造手彦
(やまとのくにのみやつこてひこ)は、

自ら救うのが難しいと知り、
軍を棄てて、
遁逃(とんちょう)しました。

新羅の闘将は、
手に鉤戟(ほこ)を持ち、
追って城の洫(みぞ)に至り、
鉾を運ばせてこれを撃ちました。

手彦は、
よって、駿馬に騎(の)って、
渡って城の洫を超えて、
わずかに身ひとつでのがれました。

闘将は、
城の洫に臨んで、嘆いて、
「久須尼自利(くすにじり)」
(これは新羅語で、未詳です)
といいました。

ここにおいて、
河邊臣は、
遂に兵を引いて退き、
急ぎ野営しました。

ここにおいて、
士卒(いくさのひとども)は
ともに欺(あざむ)き、
蔑(さげす)み、
遵(したが)わず、
承けいれませんでした。

闘将は、
自ら軍営の中に行き、

河邊臣瓊缶等及びその随っていた婦を
悉く生虜(いけど)りにして、

時に、
父子夫婦は、
たがいにあわれむことができませんでした。

闘将は、
河邊臣に問うて、
「汝は、命と女、とりわけ愛おしいか」
といいました。

答えて、
「なぜ、一女を愛おしんで、
禍を取ろうか。

如何(いかん)、
命に過ぎるものはない」
といいました。

遂に妾とするのを許しました。

闘将は、遂に、
露地(ろじ)でその婦女を犯しました。

婦女は後に還ってきて、
河邊臣は、
行って談(かた)ろうと思いました。

婦人は
甚だ慚恨(ざんこん)をもって随わず、

「昔、君は、軽く妾の身を売りました。
今、何の面目をもって遭えましょう」
といいました。

遂に肯(よしとする)と言いませんでした。

この婦人は、
坂本臣の娘で、
甘美媛(うましひめ)といいます。



・遁逃(とんちょう)
逃げること。のがれること
・洫(みぞ)
田の間の溝。ほり
・露地(ろじ)
屋根などのおおいのない地面
・慚恨(ざんこん)
恥じてうらむこと。恥ずかしい気持ちにさせられたことに対する恨み



(欽明天皇23年7月)

兵士たちは皆、
紀男麻呂宿禰に心をきめて服従し、
仕えました。

河辺臣瓊缶は、
単独で進んで転闘しました。

向かうところ皆、
抜き取りました。

新羅は更に白旗を挙げて、
武器を投げて降伏しました。

河辺臣瓊缶は、
元々、兵法を知らず、

対向して白旗を挙げて、
いたずらに独り進みました。

兵法に詳しくないって、
人の命を預かっているのだから
勉強する義務があるぞ!

誰だ、
こんなアホを副将にしたのは!

新羅の闘将は、
「将軍河辺臣は、
今、降伏しようとしている」
といい、

すなわち、
軍を進めて迎撃し、

鋭く攻撃尽くし、
攻めてきた河辺臣軍を撃破しました。

先陣の兵を破られ、
死傷するものが甚だ多く、

倭国造手彦は、
自ら救うのが難しいと知ると、

軍を棄てて、
逃げ出しました。

新羅の闘将は、
手に鉤戟を持ち、
追って城の堀に到着し、
鉾を振り回しこれを撃ちました。

しかし、
手彦は、駿馬に騎乗し、

渡って城の掘りを超えて、
わずかに身ひとつで逃れました。

闘将は、
城の掘に臨んで、

嘆いて、
「くすにじり」
といいました。

ここにおいて、
河辺臣は、
遂に兵を退却させ、
急ぎ野営しました。

ここにおいて、
兵士たちは、

共に欺(あざむ)き、
蔑(さげす)み、

河辺臣の命令に従わず、
受け入れませんでした。

闘将は、
自ら軍営の中に行き、

河辺臣瓊缶ら及び
その随っていた婦女を
悉く生捕りにして、

時に、
父子夫婦は、
互いに憐れむことができませんでした。

闘将は、
河辺臣に問うて、
「汝は、命と女、
どちらがより愛おしいか」
といいました。

答えて、
「なぜ、一女を惜しんで、
命の禍を取るだろうか。

あいにく、
命に過ぎるものはない」
といいました。

遂に闘将の妾とするのを許しました。

クソだ!

闘将は、遂に、
屋根などのおおいのない地面で
その婦女を犯しました。

闘将もクソ。
クソヤローだらけだな
( *`ω´)

後に、
婦女は還ってきました。

河辺臣は、
行って話し合おうと思いました。

しかし、
婦人は甚だ
恥ずかしい気持ちにさせられたことに
対する恨みをもち
従いませんでした。

「昔、あなたは、
軽々しく私の身を売りました。
今、何の面目をもって遭えましょう」
といいました。

遂に肯(よしとする)と
言いませんでした。

当たり前だ!

この婦人は、
坂本臣の娘で、
甘美媛といいます。

今日のお話は、
胸糞悪い話しでした。

( *`ω´)

明日に続きます。

読んで頂き
ありがとうございました。


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