古事記 中つ巻 現代語訳 十四
古事記 中つ巻
丹塗矢
書き下し文
故日向に坐しし時に、阿多之小椅君の妹、名は阿比良比売を娶ひて、生みたまへる子、多芸志美美命、次に岐須美美命、二柱坐す。然れども更に、大后と為む美人を求ぎたまふ時に、大久米命白さく、「此間に媛女有り。是れを神の御子と謂ふ。其の神の御子と謂ふ所以は、三島湟咋の女、名は勢夜陀多良比売、其の容姿麗美し。故美和の大物主神、見感でて、その美人の大便為る時に、丹塗矢に化り、其の大便為る溝より、流れ下りて、其の美人のほとを突く。尓してその美人驚きて、立ち走りいすすきき。 其の矢を将ち来、床の辺に置く。忽ちに麗しき壮夫に成りぬ。其の美人を娶ひて生める子、名は富登多多良伊須須岐比売命と謂ふ。またの名は比売多多良伊須気余理比売と謂ふ。是は其のほとと云ふ事を悪みて、後に改めつる名ぞ。故是を以ち神の御子と謂ふ」とまをす。
現代語訳
故、日向(ひむか)に坐(いま)した時に、阿多之小椅君(あたのおばしのきみ)の妹(いも)、名は阿比良比売(あひらひめ)を娶いて、お生みになられた子は、多芸志美美命(たぎしみみのみこと)、次に岐須美美命(きすみみのみこと)、二柱が坐(いま)す。然れども更(さら)に、大后(おほきさき)と為(せ)る美人(おとめ)をお求めになられた時に、大久米命(おおくめのみこと)が、申し上げることには、「ここに媛女(おとめ)が有ります。これは神の御子(みこ)と謂われています。その神の御子と謂う所以(ゆえ)は、三島湟咋(みしまみぞくひ)の女(むすめ)、名は勢夜陀多良比売(せやだたらひめ)が、その容姿麗美(かたちうるわ)しく、故に、美和(みわ)の大物主神(おおものぬしのかみ)が、見感(みめ)でて、その美人が大便為(くそま)る時に、丹塗矢(にぬりや)に化(な)り、その大便為る溝(みぞ)より、流れ下り、その美人のほとを突きました。尓して、その美人は驚いて、立ち走りいすすきました。 その矢をもち来て、床(とこ)の辺(へ)に置きました。忽(たちま)ち、麗(うるわ)しい壮夫(おとこ)に成りました。その美人を娶いて生める子は、名は富登多多良伊須須岐比売命(ほとたたらいすすきひめのみこと)と謂います。またの名は比売多多良伊須気余理比売(ひめたたらいすけよりひめ)と謂います。これはそのほとと云(い)う事を悪(にく)みて、後に改めた名です。故、ここを以ちて神の御子と謂うのです」と申しました。
・三嶋(みしま)
大阪府旧三島郡。現・茨木市・高槻市・吹田市辺り
・大便為(くそま)る
大小便を排せつする かなり古い言葉
・丹塗矢(にぬりや)
赤く塗った矢
・いすすく
慌てる。オロオロする
現代語訳(ゆる~っと訳)
天津神の御子孫である神倭伊波礼毘古命は、日向にいらっしゃった時に、阿多之小椅君の妹、名は阿比良比売と結婚して、生まれた子は、多芸志美美命、次に岐須美美命、二柱です。
しかしながら、さらに、大后となさる乙女をお求めになられた時に、大久米命が、
「この地に、良い乙女がいます。この乙女は神の御子といわれています。
その神の御子といわれる理由は、
三島湟咋の娘で、名は勢夜陀多良比売は、その容姿がたいそう美しく、
それを、三輪の大物主神が、気に入り、その乙女が大便をする時に、朱塗りの矢に化けて、その大便する溝の上流から流れ下って、その乙女の陰部を突きました。
すると、その乙女は驚いて、立ち上がりオロオロと走り回りました。
その矢を持ってきて、床の傍に置くと、たちまち、麗しい、立派な若い男性になりました。
その男がその乙女と結婚して生まれた子は、名は富登多多良伊須須岐比売命といいます。またの名は比売多多良伊須気余理比売といいます。
これはそのほとという事を嫌って、後に改めた名です。
こういうわけで、この乙女は神の御子というのです」といいました。
続きます。
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