リートリンの覚書

日本の神様69・櫛玉饒速日命


櫛玉饒速日命
(くしたまにぎはやひ)


物部氏の遠祖

饒速日命は、天津神の御子で、
天孫瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)よりも
先に天降りしたという伝承をもちます。

・別名 
天火明命
櫛玉命
天照国照彦火明櫛玉饒速日命
櫛玉神饒速日命

・神格 
太陽神


「日本書紀」では


本文では、このように登場しています。

“長髓彦は、使者を派遣して、天皇にいいました。「以前、天神の子が天の磐船(いわふね)に乗り、天から降りてこの地に留まりました。名を櫛玉饒速日命(くしたまにぎはやひ)と申します。私の妹・三炊屋媛(みかしきや・またの名を長髓媛、またの名鳥見屋媛)と結婚し、可美真手命(うましまで)という子どもを生みました。私は饒速日命を君とし仕えています。そもそも天神の子に、どうして二種類があるのでしょうか。どうして更に天神の子と称して、他人の地を奪うのでしょうか。私が心に推量すると、本当とは信じられません」
といいました。“

長髓彦が君と仰いでいた者です。
神武天皇より先に大和の地に
飛び降りていました。

饒速日命は、
天神の懇ろな配慮を受けられるのは、
天孫だけが受けられることであることを
知っていました。

そして、
長髓彦は素より反抗的な性質でした。
天孫と人との違いを説いても
理解することは出来ない、
と判断し長髓彦を殺しました。

その後、
軍を率いて神武天皇に帰順しました。
物部氏の遠祖です。


そのほか


・「先代旧事本紀」によりますと、
大和に天降りするとき饒速日命は、
天照大神から
十種の神宝(天璽瑞宝十種・あまつしるしのみずたからとくさ)を授かりました。
その神宝は、瀛都鏡(おきつかがみ)、辺都鏡(へつかがみ)、八握剣(やつかのつるぎ)、生玉(いくたま)、死反玉(まががえしのたま)、足玉(たるたま)、道反玉(ちがえしのたま)、蛇比礼(へびのひれ)、蜂比礼(はちのひれ)、品物比礼(くさぐさのひれ)の十種です。
いずれも古代において
重要な呪具として用いられたものです。

・神武天皇が大和で即位したのち、
この十種の神宝を物部氏の祖神とされる
息子の可美真手命(うましまじのみこと)が
神武天皇に献上し、
神宝の呪力によって
天皇の健康長寿を祈ったといいます。
こうした呪術祭祀の形態が、
のちに宮廷で行われるようになった
鎮魂祭の起源とされています。

・古代の宮廷祭祀の重要な祭具だった
十種の神宝を管理していた、
饒速日命を祖神とする物部氏でした。
物部氏は大和政権の軍事方面において、
軍事を掌握して各地の反抗勢力を
鎮圧して功績をあげた古代の有力氏族です。
同時に宮廷の鎮魂祭・大嘗祭などの
祭祀を管理する司祭的な
職掌も握っていました。

・強力な呪法の道具を支配する饒速日命は、
邪霊を祓う神として
御子神の可美真手命と一緒に祀られています。


神徳

諸願成就
病気治療


主な神社

物部神社(島根県)
石切剣箭神社(大阪府)
矢田坐久志玉比古神社(奈良県


感想

饒速日命は物部氏の遠祖ですね。
初期の日本国を支えていた一族。

それは、
蘇我氏との争いに破れるまで
続きました。

その後は…
もしかすると、
今もなお陰で支えてくれて、
いるかも知れませんね。

饒速日命に関して、

率直な意見を述べると、
長髓彦の件は、

もう少し、
何とかならなかったのか
と思います。

君とあおぎ、
慕っていた義理の弟に殺された
長髓彦。

さぞかし、
無念だったことでしょう…

怨霊になってもおかしく無いレベル。
蘇我氏との争いに破れたのも
もしかして…

さて、本日はこれにて。

明日も日本の神様シリーズ続きます。

最後まで読んで頂き
ありがとうございました。




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