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リートリンの覚書

東京史跡巡り・人物編 志賀直哉居住の跡


東京史跡巡り・人物編

志賀直哉居住の跡



作家・志賀直哉の14歳から29歳まで住んでいた場所です。



志賀直哉居住の跡

 志賀直哉の父 直温が、家族とともにここに移り住んだのは、明治三十年(一八九七)、直哉十四歳の時でした。当時の屋敷は千六百八十二坪(五五五〇・六平方メートル)もあり、雑木林の趣さえうかがえる広大なものでした。
 直哉は、ここで二十九歳まで、人間形成のもっとも重要な青春時代を過ごしました。そして、この間、処女作である「或る朝」をはじめ「網走まで」「正義派」「大津順吉」などの初期の名作を生み出しています。作品の中には当時の父とのいきさつを扱ったものや、「剃刀」「自転車」のようにこの土地にかかわりのあるものがみられます。
 なお、当時の家屋は、昭和二十年の戦災で全焼しました。
 昭和五十三年一月(平成十八年建替)
港区教育委員会


所在地

東京都港区六本木4-3-13


最後に

六本木駅から赤坂氷川神社へ行く途中、マンションの一角に案内板がありました。

何の史跡だろうと近づくと、「志賀直哉居住の跡」とありました。

現在の様子からは、当時どのような家が建っていたのか、どのような風景だったのか、全く想像ができませんが。

案内板によると、敷地が5550㎡もあったと記されています。

この辺り、ほとんど志賀家の敷地だったのか。

びっくりです。

そんな中に建っていた家屋は、大邸宅だったに違いありません。

家屋が、戦災で焼失してしまったのは、実に残念に思います。




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