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リートリンの覚書

東京史跡巡り・人物編 勝海舟居住の地・旗本岡野氏屋敷跡


東京史跡巡り・人物編

勝海舟居住の地・旗本岡野氏屋敷跡


勝海舟が10代後半まで過ごした屋敷跡です。




勝海舟居住の地ー旗本岡野氏屋敷跡ー

所在地 墨田区緑四丁目三十五番六号

 勝海舟(麟太郎)は、文政六年(一八二三)に両国にあった父惟寅の実家、男谷氏の屋敷(現区立両国公園)で生誕しました。その後、父母とともに本所の旗本屋敷を転々としましたが、天保二年(一八三一)頃ここにあった岡野氏の屋敷に落ち着き、十代後半までの多感な時期を過ごしたといわれています。麟太郎は後に幕臣として出世を果たし、激動の時代に活躍の場を広げてゆきます。
 麟太郎が世話になった岡野氏は、後北条氏の旧臣板部岡江雪を祖とする旗本で、文政九年十二月の屋敷替を経て、同十年三月ごろ当地に移住していました。家の経営費を捻出するための屋敷替であったようで、旧知行所に伝わる資料によれば、旧居を担保に数百両の金を用立て、代わりに旧居の半分ほどしかない屋敷に移住していたようです。幕府創業期より続く由緒ある武家とはいえ、岡野氏の家系は大変逼迫していたのです。このため、幕末維新の時代ともなれば家来を召し抱えるのも容易でなく、一人分の給与さえ払えぬ事態に陥ります。
 正月に餅をつく金さえなかったという貧しい下級旗本の家に生まれた麟太郎は、こうした武家凋落の厳しい時代に成長し、大志を抱いて力強く立身していったのです。
 平成二十五年一月
墨田区教育委員会



所在地

東京都墨田区緑4-35-6


最後に

勝海舟の十代後半まで過ごした場所、本所入江町。

本所入江町があった辺り、現・緑四丁目にある、すみだふれあいセンターの一角に、案内板が設置されています。


跡地は、近代的な建物が立ち並び、当時の面影は全くありません。



岡野氏屋敷の近くを流れていた大横川も埋め立てられ、現在は大横川親水公園となっていました。



勝海舟が、幼少時に遊んでいたかもしれないと、公園を感慨深く見つめました。




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