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古事記 上つ巻 現代語訳 四十 系譜


古事記 上つ巻 現代語訳 四十


古事記 上つ巻

系譜


書き下し文


 故此の大国主神、胷形の奥津宮に坐す神、多紀理毘売命に娶ひて生みませる子、阿遅鋤高日子根神。次に妹高比売命。またの名は下光比売命。此の阿遅鋤高日子根神は、今迦毛大御神と謂うぞ。
 大国主神、また神屋楯比売命を娶ひて生みませる子、事代主神。また八島牟遅能神の女、鳥取神を娶ひて生みませる子、鳥鳴海神。此の神、日名照額田毘道男伊許知邇神に娶ひて生める子、国忍富神。此の神、葦那陀迦神またの名は八河江比売に娶ひて生める子は、速甕之多気佐波夜遅奴美神。此の神、天之甕主神の女前玉比売を娶ひて生める子、甕主日子神。此の神、淤迦美神の女比那良志毘売を娶しひて生める子、多比理岐志麻流美神。此の神比々羅木之其花麻豆美神の女活玉前玉比売神を娶ひて生める子、美呂浪神。此の神、敷山主神の女青沼馬沼押比売を娶ひて生める子、布忍富鳥鳴海神。此の神、若尽女神に娶ひて生める子、天日腹大科度美神。此の神、天狭霧神の女遠津待根神を娶ひて生める子、遠津山岬多良斯神。
 右の件、八島士奴美神より以下、遠津山岬帯神より以前を、十七世の神と称ふ。


現代語訳

 
 それゆえに、大国主神(おおくにぬしのかみ)が、胷形(むなかた)の奥津宮 ( おくつみや ) 坐す神、多紀理毘売命(たきりびめのみこと)を娶って生まれた子は、阿遅鉏高日子根神(あじすきたかひこねのかみ)。次に妹高比売命(たかひめのみこと)。またの名は、下光比売命(したでるひめのみこと)。この阿遅鋤高日子根神は、今、迦毛大御神(かものおほみかみ)といっています。

 大国主神が、また、神屋楯比売命(かむやたてひめのみこと)を娶って生まれた子は、事代主神(ことしろぬしのかみ)。また、八島牟遅能神(やしまむぢのかみ)の女、鳥取神(ととりのかみ)を娶って生まれた子は、鳥鳴海神(とりなるみのかみ)。この神が、日名照額田毘道男伊許知邇神(ひなてるぬかたびちおいこちにのかみ)を娶って生まれた子は、国忍富神(くにおしとみのかみ)。この神が、葦那陀迦神(あしなだかのかみ)、またの名は八河江比売(やがはえひめ)を娶って生まれた子は、速甕之多気佐波夜遅奴美神(はやみかのたけさはやぢぬみのかみ)。この神が、天之甕主神(あめのみかぬしのかみ)の女、前玉比売(さきたまひめ)を娶って生まれた子は、甕主日子神(みかぬしひこのかみ)。この神が、淤迦美神(おかみのかみ)の女比那良志毘売(ひならしびめ)を娶って生まれた子は、多比理岐志麻流美神(たひりきしまるみのかみ)。この神が、比々羅木之其花麻豆美神(ひひらぎのそのはなまづみのかみ)の女、活玉前玉比売神(いくたまさきたまひめのかみ)を娶って生まれた子は、美呂浪神(みろなみのかみ)。この神が、敷山主神(しきやまぬしのかみ)の女、青沼馬沼押比売(あをぬうまぬおしひめ)を娶って生まれた子は、布忍富鳥鳴海神(ぬのおしとみとりなるみのかみ)。この神が、若尽女神(わかつくしめのかみ)を娶って生まれた子は、天日腹大科度美神(あめのひはらおほしなどみのかみ)。この神が、天狭霧神(あめのさぎりのかみ)の女、遠津待根神(とほつまちねのかみ)を娶って生まれた子は、遠津山岬多良斯神(とおつやまさきたらしのかみ)。

 右の件(くだり)、八島士奴美神より以下、遠津山岬帯神より以前を、十七世の神といいます。


現代語訳(ゆる~っと訳)


 そのために、
大国主神が、
宗像の奥津宮にいらっしゃる神、
多紀理毘売命と結婚して生まれた子が、


次に妹の高比売命
またの名は、下光比売命。

この阿遅鋤高日子根神は、
今、迦毛大御神(かものおほみかみ)と
いっています。

 大国主神が、また、
神屋楯比売命と結婚して生まれた子は、


また、
結婚して生まれた子は、


この神が、
結婚して生まれた子は、

この神が、
葦那陀迦神、またの名を八河江比売と
結婚して生まれた子は、

この神が、
結婚して生まれた子は、

この神が、
淤迦美神の娘・比那良志毘売
結婚して生まれた子は、

この神が、
活玉前玉比売神と結婚して生まれた子は

この神が、
結婚して生まれた子は、

この神が、
若尽女神と結婚して生まれた子は、

この神が、
天狭霧神の娘、遠津待根神
結婚して生まれた子は、

 右の述べた、
八島士奴美神より以下、
遠津山岬帯神より以前を、
十七世の神といいます。



続きます。

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