リートリンの覚書

日本の神様77・大彦命・稚日本根子彦大日日天皇・伊香色謎命・御間城入彦五十瓊殖天皇・竹野媛・彦坐王


大彦命
(おおひこのみこと)


記紀等に伝わる古代日本の皇族

孝元(こうげん)天皇と
皇后・欝色謎命(うつしこめ)の間に
生まれた第一子です。

四道将軍のひとり

・別名
大毘古命


「日本書紀」では


本文では、このように登場しています。

“后は二男一女を生みました。第一子は、大彦命(おおひこのみこと)といいます。”

孝元天皇と皇后・欝色謎命の間に
生まれた第一子です。

・巻第五 崇神天皇の条では、
大彦命を北陸に派遣するとあり、
「四道将軍」の一人とされています。

大彦命はその途中、
和珥坂(または山背の平坂)
不吉な歌を詠う少女に出会ったため、
引き返し天皇に報告しました。

そして倭迹迹日百襲姫命が占ったところ、
武埴安彦命とその妻の謀反が発覚しました。 

謀反が起こると、
彦命と彦国葺(和珥臣祖)
武埴安彦命を討ち鎮圧しました。


そのほか


大彦命が主祭として祀られている

古四王神社(こしおうじんじゃ)の由来は、

大彦命が蝦夷平定の為、

北陸に派遣された際、

北門の鎮護として、

武甕槌命を齶田浦神(あぎたのうらのかみ)

として祀ったのが始まりとされています。

その後、阿倍比羅夫が秋田地方に来た際、

自らの祖である大彦命を合祀しました。


・伊佐須美神社 の社伝によりますと、

諸国鎮撫の為に派遣された、

大彦命とその子 建沼河別命が

会津にて行き逢い、

天津嶽において

伊弉諾尊と伊弉冉尊の祭祀の礼典を挙げ、

国家鎮護の神として奉斎した事に

始まると伝えられます。


・子の武渟川別(たけぬなかわわけ)
四道将軍のひとりで、
阿倍臣(阿部氏)の祖です。


主な神社


古四王神社(秋田県)
伊佐須美神社(福島県)


稚日本根子彦大日日天皇
(わかやまとねこひこおおひひのすめらみこと)


開化(かいか)天皇

日本の第九代天皇

孝元(こうげん)天皇と
皇后・欝色謎命(うつしこめ)の間に
生まれた第二皇子です。


・別名
若倭根子日子大毘毘命
(わかやまとねこひこおおびびのみこと)


「日本書紀」では


本文では、このように登場しています。

“第二子は稚日本根子彦大日日天皇(わかやまとねこひこおおひひのすめらみこと)といいます。”

孝元(こうげん)天皇と
皇后・欝色謎命(うつしこめ)の間に
生まれた第二子です。

都は春日、率川(いざかわ)の宮。


陵・霊廟


陵の名は
春日率川坂上陵
(かすがのいざかわのさかのえのみささぎ)


主な神社


吉備津彦神社(岡山県)(相殿神)
小幡神社(京都府)
皇居内・皇霊殿(東京都)


伊香色謎命
(いかがしこめのみこと)


孝元(こうげん)天皇の妃です。
開化(かいか)天皇の皇后。

・別名
伊迦賀色許売命
(いかがしこめのみこと)


「日本書紀」では

本文では、このように登場しています。

“妃の伊香色謎命(いかがしこめのみこと)は、彦太忍信命(ひこふとおしまことのみこと)を生みました。“

孝元(こうげん)天皇の妃です。
彦太忍信命を生んでいます。

開化天皇の皇后となり、
崇神天皇、
御真津比売命を生んでいます。


主な神社

伊加加志神社・式内社(徳島県)


御間城入彦五十瓊殖天皇
(みまきいりひこいにえのすめらみこと)


崇神(すじん)天皇
日本の第十代天皇

稚日本根子彦大日日天皇
(わかやまとねこひこおおひひのすめらみこと
開化(かいか))
伊香色謎命(いかがしこめ)の子

・別名
御肇國天皇
(みまきのすめらみこと)
御眞木入日子印恵命
(みまきいりひこいにえのみこと)
所知初國御眞木天皇
(はつくにしらししみまきのすめらみこと)
美萬貴天皇
(みまきのすめらみこと)


「日本書紀」では


本文では、このように登場しています。

“后は、御間城入彦五十瓊殖天皇(みまきいりひこいにえのすめらみこと)を生みました。”

開化天皇と伊香色謎命の間に
生まれました。

都は磯城、瑞籬(みつかき)の宮。


陵・霊廟


陵の名は
山邊道勾岡上陵
(やまのべのみちのまがりのおかのえのみささぎ)


主な神社


吉備津彦神社(岡山県)
出雲大神宮 境内 崇神天皇社(京都府)
皇居内・皇霊殿(東京都)


竹野媛
(たかのひめ)


開化天皇の妃。


「日本書紀」では


本文では、このように登場しています。

“これ以前に、天皇は、丹波(たにわ)の竹野媛(たかの)を妃とし、妃は彦湯産隅命(ひこゆむすみのみこと・またの名を彦蔣簀命(ひこもす)を生みました。”

開化天皇の妃です。
彦湯産隅命を生みました。


そのほか


・竹野神社は開化天皇の妃となった

竹野媛が晩年帰郷した際に、

天照皇大神を祀って

創建したといわれています。



主な神社


竹野神社・摂社(京都府)


彦坐王
(ひこいますのみこと)


開化天皇と姥津媛の子
日下部首氏の祖神


「日本書紀」では


本文では、このように登場しています。

“つぎの妃である、和珥臣(わに)の遠祖の姥津命(ははつのみこと)の妹・姥津媛(ははつひめ)は、彦坐王(ひこいますのみこと)を生みました。”

開化天皇と姥津媛の子

「日本書紀」では
活躍が記載されていません。

また、
彦坐王の子の丹波道主命が
四道将軍の一人として
丹波に派遣されています。

日本書紀巻第六では、
このように登場しています。

“道主王は、日本根子太日日天皇(開化)の子孫、彦坐王(ひこいます)の子です。一伝では、彦湯産隅王(ひこゆむすみ)の子であると伝えています”


主な神社


日部神社(大阪府)


感想

調べてみると、
神社には様々な由来が
事細かに伝わっていますね。

今日、ご紹介した大彦命。
社伝をみたら
絶対実在して居ただろう
思える内容。

記紀やそのほかの文献とも
辻褄が合う。

しかし、
現代歴史家の方々は、
実在したか疑問、とか言っている。

正直、わからない?

何が見つかったら
実在したと認めるのか?

でも、
証拠が見つかってもイチャモンつけて、
封印しそう。
はぁ😩

日本の神様シリーズは、
ここで一旦終了です。

いかがだったでしょうか。

今回は、
社伝を詳しく調べてみたら
思いの外奥が深く面白い。

機会があれば、
神社も詳しく調べてみたいものです。

さて、
明日からは、
日本書紀に登場した人物を
詳しく調べていきたいと思います。

また、お付き合い頂ければ嬉しいです。

最後まで読んで頂き
ありがとうございました。


最後に
最近、アクセスを分析すると
皆さん「天皇」について興味ある様子。

と言うわけで現在、
天皇について再び勉強中です。

まとめたら記事アップしますね。






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