リートリンの覚書

日本の神様76・倭迹迹稚屋姫命・彦狭嶋命・稚武彦命


倭迹迹稚屋姫命
(やまとととわかやひめのみこと)


孝霊(こうれい)天皇と
妃・倭国香媛の子


「日本書紀」では

本文では、このように登場しています。

“妃の倭国香媛は、倭迹迹日百襲姫命(やまとととひももそひめのみこと)と彦五十狭彦命(いさせりびこのみこと・またの名は吉備津彦命(きびつひこのみこと))と倭迹迹稚屋姫命(やまとととわかやひめのみこと)を生みました。”

孝霊(こうれい)天皇と
妃・倭国香媛の子です。

詳しい活躍は記述されていません。


主な神社

吉備津彦神社・相殿神(岡山県)


彦狭嶋命
(ひこさしまのみこと)

孝霊(こうれい)天皇と
緪某弟の子。

・別名
伊予皇子


「日本書紀」では

本文では、このように登場しています。

“もうひとりの妃・緪某弟(はえいろど)は、彦狭嶋命(ひこさしまのみこと)、稚武彦命(わかたけひこのみこと)を生みました。”

孝霊(こうれい)天皇と
妃・緪某弟の子です。

詳しい活躍は記述されていません。


そのほか

・河野氏の系譜を記した
「予章記」には
孝霊天皇の皇子の彦狭島命が
抵抗する民を制圧するために
伊予国に派遣されたとあり、

続けて皇子が現社地に
当たる神崎庄に鎮座し、

このことから社を親王宮と
呼ぶと記しています。

・氏鹿氏、越智氏の祖とされています。



主な神社

伊予神社(愛媛県)


稚武彦命
(わかたけひこのみこと)

孝霊(こうれい)天皇と
妃・緪某弟の子。

吉備臣(きびのおみ)の始祖です。

・別名
若日子建吉備津日子命
(わかひこたけきびつひこのみこと)


「日本書紀」では


本文では、このように登場しています。

“もうひとりの妃・緪某弟(はえいろど)は、彦狭嶋命(ひこさしまのみこと)、稚武彦命(わかたけひこのみこと)を生みました。”

孝霊(こうれい)天皇と
妃・緪某弟の子です。

吉備臣(きびのおみ)の始祖です。


そのほか

・兄・吉備津彦命の吉備平定に

付き従った際の伝承が

各地に残っています。



主な神社

吉備津彦神社(岡山県)

感想

彦五十狭芹彦命も吉備臣の始祖?

稚武彦命も吉備臣の始祖?

どうなっている?

と思い調べてみると。

稚武彦命は、
兄・彦五十狭芹彦命に付き従い、
吉備平定に参加していた伝承が
各地に残っているそうです。

これ以上の詳しい情報は
見つけられませんでした。

兄と共に、
吉備に残ったのかな?
それで吉備臣の始祖と
言われるようになったのかなぁ?

これは、
今後の宿題ということで😅

日本書紀を読んで、
登場する方々を
詳しく知りたいと思い始めた、
神様シリーズ。

調べていると、
様々な文献があることを知りました。

古代に生きた方々のことを
詳しく知るには、
その文献も読んでみないといけませんね。

そのためには、
長生きしないとですね。

さて、本日はこれで。

明日も日本の神様シリーズ続きます。

最後まで読んで頂き
ありがとうございました。





ランキングに参加中。クリックして応援お願いします!

最近の「日本の神様」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事