よこしまな日々

瀞なる妄想と暴言の垂れ流し。
主に古代史、好きなこと、好きなものの話。

備忘録 下駄隠しの歌

2023-08-23 | 忘備録

下駄隠しの歌 
と、いわれる作者不明のわらべ歌に
ついての私の見解、その忘備録。

この歌にあるいくつかの論争について、
20年ほど前からなんとなく思っている
ことを羅列。


下駄隠しチューネンボウ 橋(柱)の下の
ネズミがぞうりを咥えて チュッチュクチュ

チュッチュク饅頭はだれが食た 
だれも食わないわしが食た

表の看板三味線屋 裏から回って三軒目

↑これが私が子供の頃に唄っていた
下駄隠しの歌の歌詞。

この歌にはいろんな争点があるらしく、
下記の①と②がよく言われている

①どっちが正しい歌詞?

「柱の下のねずみ」と「橋の下のねずみ」
どっちなんだという論争?的なもの。

②なにが正しい説?

「チュウレンボウ」は「チョウリンボウ」が
訛ったものだという差別云々という話。


以下がそれらに対する私の見解です。

まず、この歌のメロディーライン→発音が、
関西弁(便宜上そのように呼ぶ)であるということ。

??と思った諸兄方は、今すぐ唄ってみてもらいたい。
音楽として捉えているから分かりにくいけれど、これは
どう考えても、第二音が上がる発音(第二音が上がるのは
関西弁に顕著な例)で占められている。それゆえに、
関西地方が発祥のわらべ歌と思われる。

なので、今では失われてしまったけれど、在りし日に
関西地方を中心に話されていた言葉や観念でもって
作られていると思う。

まずは、①のどっちが正しい歌詞?というものに対する
私の考えは、どっちもブー!です ^^;

柱の下でも橋の下でもなく、多分ね、
「はしりの下」だと思うんですよ。

「はしり」とは、台所のこと。

京都生まれ京都育ちの私の母(70代)や伯母(70代)
伯母(80代)などに聞くと、台所のことをはしり
言ったと言います。

昔、台所のことを関西では、はしりと言ったと聞いた
ことがあるんですけど、どうも、関西だけに限らな
かったようなんですが、はっきりとは分かりません ^^;

私たちの年代(アラフィフ)の京都では言ったり
言わなかったり
ですが、知識として知っている人
も案外多いと思うのですが。。。どうかな??(笑)

さて、歌詞の話に戻りますが・・・。

確かに、柱の下にも橋の下にもねずみは居るかも
しれませんが、歌詞の前後から考えると、
はしりの下=台所の下っていうのが一番
しっくりきませんか?

そして、何よりもこの歌の黒い所=クライマックスは、
「表の看板三味線屋、裏からまわって三軒目」
ってとこなんですよ。

ねずみの天敵=猫!

その猫の天敵が三味線屋な訳ですが、裏から
まわってって所がポイントな気がするんです。

私の歌詞の解釈は、

台所の下に居ついているねずみ達が、草履や
下駄をどっかへ持って行ってしまう→隠してしまう。

草履や下駄を返して欲しいので、代わりに饅頭でも
やろうかなと思ったけれど饅頭は食べられてしまって
or食べてしまってもうない。

だったら、三味線屋になら、まだ三味線になる
前の猫が居るはずだから、裏からまわって猫居
たらちょっと貸しておくれやす→ねずみとりしても
らうから・・・

もしくは、ねずみ対策で猫飼ってるのに草履
隠されたりして役立たずだから三味線屋に
持って行こうかな・・・

もしくは、
チュッチュク饅頭とはネコイラズ(殺鼠剤)
で、「誰も食わない わしが食た」は猫が
自分で食べちゃった→死んでしまった→仕方
がないから三味線屋の裏から持って行って
引き取ってもらおうかな~

なんていう黒い歌なのかな~と・・・。

ここで、

②の何が正しい説?という話ですが、

「チュウレンボウ」は「チョウリンボウ」が訛った
ものだという差別云々という話などは思い
付きから派生しているようです。

なので、私も思い付きで言ってみます。

チュウネンボウとは、ちゅうちゅうと鳴く
ネズミや子ネズミ達のこと=チュウネン坊

なんじゃないでしょうか?

単純に、ネズミたちのことをチュウネン坊って
言うのかなって子供の頃から思ってました。

そんな訳で、これは忘備録。

橋の下でも柱の下でもなく「はしりの下」。
チュウネン坊はねずみのこと。

歌詞の話やチュウネンボウの差別云々よりも、
三味線屋に猫を借りに行くのか、三味線屋に
役立たずな猫を持って行こうとしているのか・・・
それともネコイラズ饅頭食べて死んじゃった
猫を三味線屋へ持って行こうとしているのか・・・
こそ論争するべき問題点ではないだろうか?
というのが、私の争点でございます・・・(笑)