よこしまな日々

瀞なる妄想と暴言の垂れ流し。
主に古代史、好きなこと、好きなものの話。

解析。

2021-10-08 | 歴史・古代史のはなし

最近、日本人のルーツではないか!?
と少しづつ騒がれ出した「遼河流域集団」

最新のゲノム解析は素晴らしいですね。



2021年現在のDNA研究では、現代日本人の祖先は
現在の中国遼寧省に新石器時代に居たとされる
「遼河流域集団」92%と縄文人8%が交じりあって
生まれたと推定されているようです。

それにこの結果は、遺物というか土器の伝播からも
弥生式土器の祖型と言われるものが出土している
辺りでもあって、整合性がある。

それはやはり、ユーラシア大陸全般から見た青銅器の
伝播などからも、整合性が取れる気がします。

日本語の数詞はいくつか、高句麗で話されていたとされる
言葉などの影響もあると言われていますが、地図を見て
もらったらわかるように、この「遼河流域集団」の言葉
だった可能性が高いような気がします。

日本の神話とされる神武東征とアレキサンダー大王の
東征の伝承との類似性はだいぶ昔から云われていま
すし、その他の日本の神話とされる物など、オリエント、
イラン、イラク、インド、他ユーラシアの神話の基層など
から影響を受けていることは昔から指摘されていましたが、
いよいよそういった神話の伝播と言語、そしてゲノムの
結果が一致しているとの結論が出される日も近いのかも
しれませんね。

これはもう笑い話ですけど、高天原(たかまがはら)
西アジアにあるタガーマ・ハランだっていう、、、!?(笑)
それもあったりして!?なんて思ってみたり(笑)

聖書におけるアブラハムの所
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%96%E3%83%A9%E3%83%8F%E3%83%A0

テラは、その息子アブラムと、孫でアブラムの甥に当たる
ロト、およびアブラムの妻でアブラムの異母妹に当たる
サライ(のちのサラ)と共にカナンの地(ヨルダン川西岸。
現在のパレスティナ)に移り住むことを目指し、ウルから
出発した。しかし、途中のハランにテラ一行は住み着いた。

アブラムは父テラの死後、神から啓示を受け、それに従って、
妻サライ、甥ロト、およびハランで加えた人々とともに約束の
地カナン(現在のパレスチナ)へ旅立った。アブラム75歳の時
のことである。

という聖書の伝承の所に描かれている、
約束の地カナンの一つ前に居た場所、
それが、タガーマのハランだった=高天原
そこを後にして約束の地カナン=地上へと
降り立った所に類似性があると強引に
結びつけられているんですが。。。
こじつけではありますが面白いですよね( *´艸`)

なんか、日本語とヘブライ語との共通性も、古い祖語が
そういう所からの伝播で、日本という辺境の島嶼(とうしょ)
に島封され残ってる説もあるかもあるかも!!??(笑)
YapのD系統が島封され日本に多く残ってるように。
(チベットのD系統は山奥という立地ゆえに山封された)

ま、これらは妄想ですよ~~( *´艸`)

そしてこれも最近、SNSで見かけただけで、何の検証も
していませんが、ある、中国の研究者が遺伝子の系統
として、日本で多く見られる父系の遺伝子は、中国で
言うところの"姫姓"系統と合致するらしいのです。

私自身は、何の検証もしてませんので、今の所
夢物語と変わらない話ではありますが、古代史好き
としては「胸熱」以外のなにものでもないですよね(笑)

ほんまかーーーい!!

って疑ってても、ほんまやったら面白過ぎるでしょ!?(笑)
伝聞に過ぎない様な言い伝えとかが、
「やっぱりホンマやったかもよ」ですよ!

(句)呉の太白の??、、、って感じでしょ(笑) 
呉と言いつつも、太白は周王朝の系譜ですからね~( *´艸`)
(周王朝の国姓は"姫")

南宋の金履祥(号は仁山)によって編まれた歴史書
「通鑑前編」には「日本から来た使者が、我々は呉の
太伯(紀元前11世紀)
の後裔だと云う。呉は亡び
(BC473年)、その子孫が海を渡り、
倭国(日本)
を造った」
とあります。

類似の記事は多くあり、魏略・晋書東夷伝・梁書東夷伝
などにも「自謂太伯之後(自ら太伯の後裔と云う)」
記されているので、中国では交易に来る倭人(日本人)
は、(揚子江)江南の呉王の子孫と見ていたっぽい。

まぁそんな感じで、太伯の後裔と称しているのは、
ちょっと勝手に盛って言ってる、伝説の域を出ない
と日本では概ね考えられていますが、無い話では
ないのかもしれません。

それに、古事記などに書かれている神話とされる物
なども、デタラメだと言い切るような人も多いですが、
口伝されてきた、遠い記憶の伝承を日本の歴史に
当てはめているのではないかとも考えられる色んな
ファクトが出始めています。

こうなって来たら、シュリーマンのトロイの木馬の様に
言い伝えが本当だったとゲノム解析と言語の分析と
風習、土器などの伝播、などが合致するかもですよ。

あぁワクワクする( *´艸`)

そんなシュリーマンの、シュリーマン旅行記~清国・日本
を読んだ事のない方は是非とも読んで下さいな。

ことさら日本スゲーって言いたい訳ではないけれど、
褒めすぎなくらい日本のことを褒めてくれてます。

もうね、日本は犬さえもおとなしくてお利口さん
やって言うてくれてますよ(笑)

古代への情熱を秘めた稀有の人であるシュリーマン
の、かの時代の人にしては差別心の少ない素直な
眼差しには一目置いていいと思います。

まぁそんな訳で。。。

姫姓の話に戻ると~~(笑)

太伯・虞仲
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%AA%E4%BC%AF%E3%83%BB%E8%99%9E%E4%BB%B2

思うに弥生早期くらいの黄海沿岸民(山東・遼河集団)かもかも。

山東省あたりは周建国の功臣太公望が
立てた国、斉があった所でもあるし~~~。

それに東アジアの海人(あまびと)の
分布には遺伝子に共通性があるとか。

やっぱりゲノムの解析は強いな~(*´艸`*)

大きな流入の目安としては、

縄文前期~縄文中期 → 遼河集団の流入
縄文晩期~弥生早期 → 黄海沿岸民(山東集団・遼河集団)の流入
弥生中期~弥生晩期 → 朝鮮半島青銅器文化を持った集団の流入
古墳時代~     → 今来(いまき←最近来た人という意味)の渡来人・帰化人

みたいな感じでしょうか。

飢餓や戦乱ゆえに上記の様な大きな流入何度も
あったと思うのですが、それ以外でも断続的に
大陸、半島、沿海州などからの流入はあったと
思うのですよ。

外見だけの話で申し訳ないですが、沿海州や
モンゴルの方の外見って、朝鮮、韓国、中国
の方達よりもよっぽど日本人にそっくりなん
ですよねぇ。

こういった方達との比較も知りたい所です。

シニ・ガイ文化
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%8B%E3%83%BB%E3%82%AC%E3%82%A4%E6%96%87%E5%8C%96

そのwikiより
 ↓
櫛目文土器はハプログループN (Y染色体)が担い手である。
沿海州南西部も古くは遼河文明圏であり、遼河人(北部モンゴロイド)
由来のハプログループN(Y染色体)が高頻度であったと考えられるが、
中国江南より無文土器を携えたハプログループO1b2 (Y染色体)がやって
くるなり、父系(Y染色体)がNからO1b2に置き換わったと考えられる。

一方の母系(mtDNA)(およびおそらく殆どの核DNA)は遼河人起源の
まま保たれ、江南起源Y染色体O1b2-遼河人起源のmtDNA・核DNAの
セットが沿海州南西部から主に西日本の日本海側に弥生人として渡来
したと考えられる。これが土井ヶ浜遺跡などの弥生人が北方系の形態
を持つにもかかわらず、Y染色体のみが南方系である所以である。

今までもにも分かっていたことは多いけれど、
その点と点が科学が発達したことで最近になって
面白いくらいに繋がっていって、東アジアの歴史を
俯瞰的に見られる者たちには、感動というか、胸が
熱いとうよりは痛いって思うくらいの結果が出て
来だして嬉しい限りです。

信用出来そうな参考文献
  
日本人のルーツ3集団 小竹貝塚(富山)など6遺跡で人骨ゲノム解析
https://webun.jp/item/7791147

新学術領域研究 ヤポネシアゲノム 季刊誌 第3巻はる号 2021年
http://www.yaponesian.jp/cmsdesigner/dlfile.php?entryname=kikan&entryid=00012&fileid=00000001&/Yaponesian_%E7%AC%AC3%E5%B7%BB%E3%81%AF%E3%82%8B%E5%8F%B7_final_online.pdf&disp=inline


興味は尽きない、、、。
だから!立ち止まってなんかいられないんだよ。

何事にも遅いなんてないから。
これからも死ぬまでこういう思考を止めないでいたい。
心の内の情熱は誰にも侵せないから。

後は、人に優しく生きて行こう。
そう自分に言い聞かせる秋です、、、。