https://jvcmusic.lnk.to/rotten_hello
ロットンの新曲、「秋桜」が私の心に
グッサリと突き刺さりましたよー(笑)
昨日は、802聞きながら、19時台になる
のを心待ちにしながら夕食作ってました(笑)
メロディの良さもさることながら、MVの
中のJKが体現する青春の1ページ感
やアオハルゆえの純粋な感覚とかそう
いうのがもう、ほら、何ていうか、泣く(笑)
彼女達の幼さと純粋さ、大人になってゆくに
つれ失くしてゆく"何か"のその儚さがね、、、
秋桜の持つ「"純さ"と"雑さ"」がピッタリ
合っている気がする。
秋桜って綺麗なんだけれど、花瓶に飾る
花ではないって感じわかりますかね?
(もちろん、飾ってもいいけど)
美しいけど野趣あふれる花なんですよ。
蓮華と同じ、やはり、野に咲いたままが
一番美しい花なんですよね。
純な美しさと雑さが入り混じる飼い
ならせない美しさなんだと思います。
そういうのもあって本当に秋桜好きなんですよね。
なので、綺麗な場所があると聞くと近畿
一円なら結構見に行ってるんですよ。
体力に余力があれば、今年は由良川橋梁の
秋桜見に行きたいとか考えております。
我が心のオアシス、北山の植物園の
秋桜はいつも必ず見に行きます。
他にも奈良の般若寺の秋桜が大好きです。
斑鳩寺周辺の秋桜も藤原京の秋桜も好き。
結局綺麗な花を見るのが好きなんだと思う(笑)
そんな訳で、ロットンの新しいアルバム、
楽しみです~( *´艸`)
どうぞ、皆様、ご贔屓に♪
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ここからは、私の秋桜の想い出です。
まぁ、忘備録として書いておきたいだけ
なので、読まなくてもいいですからね~(笑)
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私は秋桜に思い入れがある。
単純に、子供の頃から、艶やかな色で咲き誇る
秋桜の美しさがとても好きだったからというのもある。
けれど、強い思い入れがある理由は、今も私の心に
残る幻の様な風景があって、それが忘れられないから
だと思う。
その風景を見たのは高1の時のことだったと記憶している。
上手く伝えられないけれど、その風景とは、狂い咲き
しているかのような大群の秋桜の土手と、逢魔が時
の絶妙な色彩が絡み合った山奥の忘れられたよう
な集落の夕暮れの景色。
恐ろしいほど美しく、魔に魅入られたかのような心地で、
気が付くと夜の帳が降りてきているのに立ち尽くしていた。
その風景が胸に焼き付いて今も離れない。
あれから一度もその里へは行っていない。
もしかしたら、その山奥の里へは二度と
辿り着けないのではないかとさえ思っている。
いや、もう一度辿り着いてしまったら帰って
来れなくなるんじゃないかという不穏なこと
さえ考えてしまうような幽玄の美しさだった。
あの高1の秋の日、日曜だったのか、祝祭日だった
のかもう覚えていないけれど、免許取り立ての大学生
の従兄弟がドライブに連れて行ってくれた日の想い出。
一緒に行った免許取り立ての従兄弟ともうひとりの
従兄弟はドライブに行ったことは覚えてるけれど、
秋桜なんて咲いてた?って感じなのに、私と一緒
に行った従姉妹は、ちょっと怖いくらいの大群の
美しい秋桜を今も忘れられずにいる。
その従姉妹があの情景を覚えてくれているから、
あれが私が見た幻ではないと証明されていると
思うくらいに儚さと恐ろしさが入り混じった記憶。
インターネットなどが発達し、どんな山奥のお店や
隠れた名所でさえ網羅され、人が知らない所など
地上には無いのではないかと思うような時代だけれど、
あの場所が秋桜の名所であるといった情報はあれから
30年以上経ってもどこにも載っていない。
けれど、人伝てに時々聞くことがある。
本当にここ〇〇(有名な山奥のお寺)へ抜けて行ける道
なのかな?と不安になりながら結構長い間山道を往くと、
ふわっと視界が開ける場所に出て来て、大きな湖かと思
う様な池があって、心が晴れるような心地になり、必ず
先を急がない者達は車を降りてその景色を愉しむという。
堪能した後、先へと進むと、地図には
乗らない集落に出会う。
そして農作業をしているその村の村人に、
「この先抜けていくと〇〇寺へ行けますよね?」
と聞くと、
「この先は抜けていけないよ、暫く戻って池も通り
過ぎて、△△っていう辻を右へ曲がるとそのお寺
に着けるよ」
と云われると。
今も誰かが30年以上前の私達と同様にそのお寺へ
行こうと同じ道を辿り、同じ様に村人に道を尋ね、
間違ってるよと言われ引き返しているらしい。
そして、秋にはあの大群の秋桜を見かけるん
だと聞いては少しホッとしている。
異界ではなかったんだと、、、。
あの日、私達は、もう日も暮れていたのでそのお寺へは
行かずに帰ってきたのだけれど、今もそのお寺へも行くの
を躊躇うこの気持ち、わかって貰えるだろうか?
異界ではなかったんだ、他にもそうやって見かけた人が
居るんだとホッとしているのに、それでも、やっぱり
あの里へもあのお寺へもどうしても行く気になれないのだ。
そう、何かに手招きされている様なそんな気がするから...。
そんなことを思い出した、2022年の秋の覚書きです。