FLAIR CLOSSOVER/Tenere700/XLR250R/TRICITY125の11輪生活と雑感たれ流し。
迂回亭新館




救難飛行艇US-1A
いきなりこんな名前を書いても、何のことやら分からない人も多いだろうなぁ。

そもそも飛行艇って存在自体が、フツーの人にとってなじみの少ないものに違いない。

字面から想像できるように、海で遭難した人の救助や離島からの患者搬送を行うために活躍する飛行機のことで、その最大の特徴は「海面に離着水することができる」ことにある。滑走路などの必要なしに、海から飛び立ち、海に降りることができるわけだ。

で、なんでいきなりこんな特殊な飛行機について書いているかというと、つい先日(2/22)、この飛行機の最終号機が海上自衛隊に納入され、それがニュースとなったからなんである。

昭和49年の初飛行からおよそ30年。合計20機が海自に納入され、これまで700回に及ぶ出動を経て、700人以上の人命を救ってきた。

波高3mの海上で、短距離離着水が可能なこの飛行機の性能は世界に冠たるもの。にもかかわらず、開発時の想定用途が対潜哨戒活動(潜水艦を探知捕捉する活動)にあったこともあって、武器輸出三原則の壁に阻まれ、海外への輸出が果たせなかった悲運の機体でもあったりする。サンダーバードよろしく、たくさんの人を救える可能性をもった飛行機なのにね。
(※ちなみに、US-1が対潜哨戒に使われることがなかった背景には、哨戒技術の進歩がある。かつてはわざわざ海面に降りて活動する必要があったものが、上空から直接海中を探査することができるようになったからとの由。かのロッキード事件絡みで日本に導入されたP3C対潜哨戒機もそうした技術を投入して開発されたものだった)

今回、その生産を終えることになったUS-1Aだけど、実はすでにその後継機「US-1A改」の開発が進められていて、現在防衛庁が実用試験中。名前からすると単なるマイナーチェンジに思われそうだが、実際には全くの新開発機だという。それほどに「US-1」の名に重みがあるということなんだろうなぁ。

ところで、このUS-1A、登場時には「PS-1」という名称が付けられていた。それが後にUS-1と改められたんだけど、この「U」は開発責任者のイニシャルだと言われている。宇野さんというこの技術者は、実はボクの伯父だったりするのだ。

戦時中には川西航空機という会社にいて、旧海軍の二式大艇という飛行艇の開発に携わったというこの伯父さんは、子どもの頃からボクの自慢であり、憧れでもあった。

絶対に理系の大学に進学して、自分も飛行機を作りたいというのが夢だった時期もある。ま、それは自分の出来が悪くて挫折するわけなんだけど(苦笑)。

すでに故人となった伯父さんの思い出が、今回のニュースで鮮やかに蘇ると共に、後継新型機の開発というニュースが、受け継がれていく技術ってものを思わせてくれて嬉しかったのだった。

ああ、ボクも昔は夢見る少年だったんだなぁ(笑)

断っておくと、ボクは現行憲法と平和を愛する人だ。その上で、自衛隊は国際救助隊に改組してビシバシ海外派遣すべし、と思ってる。そのためにもUS-1AならびにUS-1A改に期待したいっすね。

ちなみに写真はその伯父からもらったUS-1完成記念の下敷き。
これってひょっとして価値ある?(^^;)

コメント ( 3 ) | Trackback ( 0 )



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コメント
 
 
 
宝物だと思いますよ (akix)
2005-03-01 02:26:21
飛行機作ってた方から直々にいただいたのですから。



子供の頃、博物館でおじさんに「チケットを貸してごらん」と呼び止められて、表にゼロ戦のようなものが印刷されたチケットの裏にびっしりと何やら書いて渡されたことがありました。その時ちょうど展示されていたゼロ戦らしきもののスペックだというのが分かったのはずいぶん後のことでした。



おそらく製造に関わった方だったのでしょう。使用目的は望んでいなかったと思いますが、できるだけの愛情を注いで、誇りを持っていたのが伝わってきて、飛行機自体にあまり興味のなかった私ですが、そのチケットはなんだか気になって、ずっと捨てずに今もどこかの引き出しに眠っているはずです。



それから30年余、なぜか行きがかりでちょっとだけ飛行機を操縦する機会がありました。最初ですから高翼のセスナと思いきや、ゼロ戦と同じ低翼のパイパーでした。結構気に入ってしまい、たくさんいた子供の中で、自分に声を掛けたおじさんの目は確かだったと思いました。



災害時なんかに臨時で飛ばせるパイロットがいると役に立つなら、免許取っても良いかもと思ってみたりするこの頃です。
 
 
 
ありがとうございます(^^) (単二)
2005-03-01 21:40:36
akixさん、ようこそいらっしゃい。

宝物ですか、そうですよね。

お宝鑑定団よろしくいくらになるか、なんて話より、この下敷きを未だにボクが持ち続けていること自体が「宝物」の証明だと思ってます。



それにしてもバイパーの操縦桿を握られたんですか? すごいなぁ。



航空大学とかに行きたいなと思った時期もありましたが、今みたいに目が悪くなっちゃうと、行かなくて正解だったとも思います。でも操縦って、気持ちいいんだろうなぁ……。
 
 
 
今は (akix)
2005-03-10 02:37:04
裸眼視力の制限がなくなりましたよ。



空に昇っていく感じは気持ち良いです。

段がない加速感も(えっと、これは紹介が

遅れているベリーサからのリクエスト^^;)
 
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