この問題のアウトラインについては、既に報じられ、語られ尽くしている感もあるので割愛。
その遠因が学校週休2日制にあり、進学実績という成果が強く求められる学校現場において指導要領の逸脱があったという話は、まあその通りなんだろう。
このニュースを耳目にして思ったこと2つ。
1つ目は「偽装」というある種今日の流行りにも似た行為について。「本音と建前」の使い分けは古今を問わず存在するものだけれど、それが意味を持つのは、正しく建前は建前として尊重されるからだ。それがいつしか建前の「格」がグングン低下し、本音こそがイイものなんだ。建前なんて胡散臭いぜ、ってな世の中になってきたように思う。
極端な例えになるけど、イラク戦争支援にしたって、建前としての民主主義に従えば、あれは明らかに現憲法下の日本ができない、やってはいけないことをやっている。建前としての法やその精神、そして民主的な手続きをなし崩し的形骸化させてきたのは、他ならぬ国であり政府なのだ。迂遠であっても筋を通すという建前を軽んずるのは、結果の如何を問わず間違っている。
よしんば国が危急存亡のとき、時の為政者がそうした手続きを無視した「超法規的措置」によって国民を救ったとしても、その為政者は結果を讃えられることとは別に、手続きの誤りについては潔くその責めを負わなくてはならない。本来そういう覚悟を持ってはじめて許されるのが、まつりごとってモノなんじゃないだろうか。
イラク戦争については、手続きどころかその開戦判断から結果までもが誤謬に満ちていることがすでに明白なのに、誰一人その責任を取ろうともしない。これがこの国の今の姿なのだ。
……話が飛びすぎた。
要はこの「偽装」流行り、下々(しもじも)が腐って為した行いなどでは決してなく、その主因は本来自らが依って立つ「建前」をないがしろにしてきた国自身にある、と思うのだ。国なんてものは「建前」という妄想の具象物であるのに、それを自らボロボロにしてきてしまったのだから、こういう社会になってしまうのも当然の話だろう。
つまるところ耐震「偽装」にせよ、履修「偽装」にせよ、それらは個別の現象ではなく、一つの根を持つできごととして見なくてはならないんじゃないだろうか。
もちろん、「国が悪い」の一言では何も解決しない。営々とそういう為政者を選び続け、国を傷つけてきたのは、他ならぬボク達有権者なんだから。
思ったことその2。
履修偽装問題に戻るけど、この問題の「原因」が生徒でなく学校側にあることは確かだ。だけれども「今さら受験に関係ない科目をやらされるなんて面倒だし迷惑だ」と言ってのける高校生にも、不快感を覚えた人は多かったのじゃないだろうか。
責任追求とは別に、こうした学校のあり方が「受験科目以外はムダ」と言い切るような価値観を持った高校生を大量に生み出し育てているという「結果」を、しっかり認識して改めていくことを考えなくてはならないと思う。
本当に重要なのは、未履修科目の補習による数字合わせそのものよりも、実はそうした性根を矯め直すことなのじゃないだろうか。願わくば、今般行われる補習授業が、受験などという狭隘な価値観を越えた学問の素晴らしさ楽しさを学生たちに知らしめてくれることを期待したい……けど、無理だろうな。多くの先生自身がそんな「大切さ」を実感していないんだから。
最後になったけど、恥ずかしながら我が母校でもこの履修偽装が行われていたとの由。隠蔽を意図してわざわざ教科書まで買わせていたという偽装工作は姑息そのもの。自分が在学していたのどかな時代にはあり得なかったことで、タメイキが出るばかり。
救いようがないのは、露見前日の取材に答えたという同校の副校長コメントだ。
「必履修課程については、都教育庁が毎年、各校を細かくチェックしており、東京都では(履修漏れは)ない。当然ながら本校でもない。~中略~ コース制や単位制で選択科目を絞ると悩みがあるかもしれないが、(履修漏れの)問題は見識を疑ってしまう。結局、子どもが被害者で気の毒だ」
気の毒なのはアンタのオツムだよ。
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学校名が新聞に載ってたりして吃驚でした。
でも良く見たら本校の方だったのでありました(゜o゜)
プロセスを無視して結果だけを求めるようになったってのは、武士道や任侠道の廃れがここに来て露見したってことでしょうか。なんちて。
そういや今の子たちにとって保健室が最後の砦だそうですが、僕も高校3年間の夏休みの登校日は、3年連続で二日酔いのため保健室で寝かせて貰いました。「すんませーん、二日酔いなんで寝かせて下さーい」って。確かに最後の砦でした(ぉ
清風南海なんて中学の体育の授業は夏休みに3日か4日ほど集中してやるテニスだけ
技術はどっかの農家に手伝いに行ってそれで代用
美術もなんかわけの判らん名目で代用して済ませています
で、まぁ中高セットなもんで、中学のうちにある程度高校レベルまで済ませてるから、高校では受験対策だけに的を絞ってくるわけで
そういう進学専門私学の攻勢にビビったというか、金はかけたくないわ国公立目指したいわというセコい親の要望に後押しされたというのか、そういう公立高校の先生どもが私学のやり口を真似てしまったというのが真相でしょう。
学校側ばっかり叩いていますが、なるべく学校だけで受験勉強を済ませようとする、そしてそういう教育を学校(特に公立校)に要望してきた親にこそ問題はあったと私は考えています。