FLAIR CLOSSOVER/Tenere700/XLR250R/TRICITY125の11輪生活と雑感たれ流し。
迂回亭新館




遅すぎた降板だと感じる。
というか、そもそも彼はソニーのトップになるべき人物ではなかった。

ソニーの創業理念が「理想工場」の建設にあったことはよく知られているが、この会社はあくまで「もの作り」の会社なのだ。

しかるに彼は欧米型の経営手法をはじめとする「戦略」のみを語り、ついぞ持ち駒たる「製品」について語る自分のことばを持たなかった。
そうした出井氏のキャラクターは就任当時から明白であり、ボクはこの人の下でのソニー再生は絶対にあり得ないと踏んでいた。それが現実のものとなったのである。

出井氏は退任にあたって「自分は間違ったことはしていない。環境が厳しかったのだ」と述べたと言うが、確かに彼は正しかった。ただそれは彼を選んだ前任トップが彼に期待したこと(つまりは純然たる出納管理だ)を行うにあたっては、という条件付きでの話だ。

出井氏をして「理想の経営者」だとこぞって持ち上げたのがかつてのマスコミだが、すべての企業に当てはまる「理想の経営者」などあろうはずもないし、あると考えた時点で、今日あることは約束されていたと言えるのである。彼はグローバルスタンダードという未だ仮想の環境下で、何の色もなく無印の「企業」を運営する上では理想の人材だったかもしれないが、あいにくとそうした企業は世界のどこを探してもないものなのだ。

ソニーショック以降の低迷を受けて、大賀名誉会長が落胆の心境を述べたことが報じられたが、それはあなた、出井さんを指名した側の責任ですよ、と言いたい。

現在のソニーの企業ドメインは、ハードとソフトの融合にあり、それは今回のトップ交代においても変わらない。というより一層その方向が強化されようとしている。理想的ともてはやされたこのビジョンだが、iPodに先を越された音楽プレーヤービジネスを例に取るまでもなく、すでにそのほころびは明白だろう。どんなにバランスの取れたアスリートにも「軸足」が存在するように、複数ドメインを持つ企業にも、明確な「軸足」が必要なのだ。ソニーの場合それはハードであって、決してソフトではない。顧客に届く製品というパッケージをいかに魅力的なものにするかという視点を最優先にしたソフトビジネスの舵取りが欠かせないのに、そうしたプライオリティが示されることはついぞなかった。

iPodを大ヒットさせたアップルコンピュータは、確かにミュージックプレーヤーと音楽配信サービスという「ハードとソフトの融合」を成し遂げたように見えるが、顧客にとってそれを手にするのは、やはり「iPod」というハードウエア製品を通じてなのだ。そのことを見逃してはならないと思う。

そうした意味で、ソニーの今回のトップ人事は、ソフト部門出身の人材をCEOに据えたという時点で、ほぼ成功の目はないとボクはあえて断言する。万一それが業績面での「よい結果」を生むことがあるとすれば、そのときソニーは、ボクらの愛したソニーではなくなっていることだろう。


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