ミッシェル

毎日の出来事をつぶやく、日記のようなブログです。

病状経過②

2021-08-11 15:35:00 | 日記
6/18に退院してから7月中旬まで、義母の食事量は少なく、食後たまに吐いた。
そして、7/23の訪問看護の際、酸素量の値が悪くなり、その日からでかい酸素装置がベッド脇に設置された。ボンベではなく、空気から酸素を作り出してくれる優れもの。デイサービスへ行く時は、ボンベを背負って行く。 
そして、1番気になるのが足の浮腫。両足の甲がおまんじゅうみたいに浮腫んだ。足湯をしたり、マッサージをしたりしたが、なかなか浮腫は治らなかった。義母はC型肝炎を患っているからか、顔色もなんとなく黒かった。この頃には、おしめをつけるようになった。トイレの床をびっしょり濡らしたり、ある夜は、パットをトイレに流し、トイレがあふれそうになったこともありました。
せん妄なのか、誰もいないに、ここにいた皆さんはどこに行った?おチビちゃんは?とか、ちょっとおかしなことをいうことがありました。
日中は、ほとんど寝ていましたが、夜中はポータブルは嫌だと言って、トイレにおきていました。

病状経過①

2021-08-11 14:25:00 | 日記
6/18に退院。退院したばかりの義母は、トイレも自分で行き、調子の良い時は居間の机で毎日新聞に載るクロスワードや、数独を解き、翌日答え合わせをしていた。食事量は、かなり少なかった。
でも、気持ちは前向き。初めてのデイサービスから帰ると、とても綺麗にしていたお婆さんがいたらしく、自分もファンデーションが欲しいと言って、近所のナリスさんへ、ファンデーションと口紅を買いに行った。でも、つけていったのは2回くらいかな、最近は全く構わない、気持ちにゆとりがないのだろう。
週2日のデイサービスと訪問看護、2週に一度の通院がこのころの日常でした。
退院2日目の明け方、1階でガタンと音がして見に行くと、義母が玄関に倒れていました。トイレに行く時、固定されていないポールハンガーにつかまり、それごと玄関に倒れ込んでいました。幸い骨折もなく、頭も打った様子もなく、大事には至りませんでしたが、この日から夜間の当直が始まりました。この頃は、夜中に2〜3回、トイレまでは約2m、歩行器で行きます。まだオムツは使わずに失敗もあまりありませんでした。
義母のトイレ送迎は、まるで大名行列のようです。

母の容態

2021-08-11 04:28:00 | 日記
在宅介護が始まり、ブログを始めました。ストレスを書くことで発散できています。
ブログありがとう、応援してくださる方々、ありがとうございます。
ここからは、義母の容態の変化の記録を残したい。悪くなるのではなく、良くなることを信じて。

母は心不全でここ2〜3年、冬になると入院
することが多くなりました。今年も入院して、春に退院しましたが一月もたたないうちに、再入院しました。肺に水が溜まり、その中からがん細胞がみつかりました。詳しく検査した結果、腹膜がんステージ4、手術、放射線もできない状態。腹膜がんて、とても珍しく発見しにくい癌だそうです。
この先、だんだん出来ることが出来なくなり、寝ているようになって最期を迎える。医師は義母のいる席で、話したそうです。なんか、残酷。
母は、リハビリをして、歩けるようになり、退院前日は、自分でシャワーを浴び、自信をつけて、我が家にやって来ました。

全身全霊

2021-08-11 03:54:00 | 日記
今日ふと口から出た言葉、全身全霊。ダンナが義母を介護する様子はまさしく、全身全霊である。お金も、時間も厭わない。
足りないものはすぐに購入、たとえ高価でも構わない。必要なら用意する。
トイレのセンサーライト、手すり、高価なサプリ、酸素チェッカーなどなど。
お茶が欲しいと言えば、あったかいの?冷たいの?、氷は夜中にかき氷を作って与えている、飲み物を養ってるいる姿には、恐れ入った。マザコンではなく、母親想いと言うらしいです。義母は、息子を産んでよかったと、言っています。お母さん、幸せね。

ダンナさま、大切なお母さんを心残りのないように介護してあげてください。決して、嫉妬ではないから、そこのところ、よろしく。