江戸末期から明治の日本に『神の世界』につながった女性がいました。
この『神の世界』は霊的な世界と言いかえることもできます。
その人は中山みきといいます。
1798年、現在の奈良県天理市に生まれました。
その頃の日本には現代にもつながる強力な支配思想がありました。
人間を厳しい上下関係に分断する思想です。
当時の宗教とあいまって社会の規範として信じられていました。
たとえば女性の模範的な生き方は、
『幼いときは父兄に従い、嫁に入っては夫に従い、老いては子に従う』
というようなものでした。
そのようなことが教育としても行われていて、
手本となる生き方として当然だと考えられていたのです。
みきさんの生家は裕福な家だったそうです。
それでも自由に生きられるわけではなかった。
嫁入りすることが当然で、
嫁入りした上はその家の働き手であって、
夫や夫の親に仕えて生きることが女性の理想の姿と考えられていました。
みきさんは自身の結婚の話が出た折に、
「私は出家して尼になりたい」
と言ったそうですが希望は聞き入れられませんでした。
13歳の時のことです。
親や世間に逆らって生きることは大変に困難だったんですね。
そのみきさんが40歳を迎えるというころ、この世を越えた存在とつながるようになりました。
神の啓示、と言われていますが実態は少し異なるようです。
彼女自身の霊が彼女に降りてきたのです。
みきさんはその自分自身の霊の導きに沿って生きるようになったのです。
そして長い間苦労して自らを霊的に開き、教えを学び、人々に神の教えとして伝えていきました。
その教えの本質とは、
『人間は神に望まれた存在』
であるということ。
それを理解することが救いだということ。
なぜ人間は苦しみ生きているのか。
それは人間は神に望まれて生まれてきたということを知らずに生きているから。
この無知が苦しみの根源。
私たちが生きる世界は神の身体であり人間はその中に抱かれるように生きている。
人間は平等であり、身分制度に代表される”人を分断する思想”は神の意思に反する。
神の意思を理解することによる目覚めを人々に求めたのです。
神の意思とは、宇宙の法則と置き換えることもできます。
当時の日本では、難しい病気などは神のたたりだとか狐憑きだとか考えられていました。
お祈りしたりお祓いしたりということで癒やそうとしていたんです。
だがそれではやはり治りません。
病気や痛みはたたりや狐の仕業ではないから。
では何か。
それは神の意思を理解していないから。
その法則から外れて行くから。
だから不調となって現れる。
『正しく宇宙の法則、すなわち神の愛を理解せよ』
これがみきさんの教えの根幹です。
人間の身体は仮の物でありその本質が霊であることも語りました。
最高の価値ある世界は神の世界であり、かたちあるこの世は汚れやすく、この世の人の目は曇っている。
万物は平等であり、神につながる霊である。
これを聞いた人たちの中には、見えない目が見えるようになったり、何年も立たなかった足が立つようになったりした人たちが少なからずいました。
霊的に目覚めることによって身体が正常に機能するようになったんですね。
人間の本質は霊であることの証明だと言えます。
中山みきはこうした霊的に開かれる道を示した人です。
しかし残念ながらその教えを記録から確かめることは困難になっています。
彼女が語ったことはあまり記録として残されておらず、今に語り継ぐ教えは出典が限られているからです。
教えをまとめた本は日本の縦社会の倫理を強く反映していますし、社会通念が混ざった部分もあり
純粋な教えを伝えているとは言えません。
時代背景や当時の社会や思想を考慮に入れ、普遍的な解釈や言葉で改めて伝える必要があります。
真実の解明と真の実践はこれからです。
本質を理解している人がいればきっと真実は解明され教えに基づく本当の霊的営みが行われることでしょう。
この教えを知る人は、みきさんによってあらわされた霊的世界への道につながる人です。
このつながりのことを『いんねん』と彼女は教えました。
私たちはこの世界ではそれぞれ在るように見えますが、もとは神という究極の存在につながる大いなる存在なのです。
人生を捧げ、その身を削って人間の覚醒に尽くした人『中山みき』
彼女はお釈迦様やイエス・キリストと同じく”霊的な教え”を伝える人であり、この教えにつながる人は親しみを込めて『おやさま』と呼びます。
おやさまは1887年、90歳で中山みきとしての生涯を終えました。
天理教は、おやさまの教えを理解したいと望み、広めようと志した人たちによって組織され今日に至る教団です。