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藤野一友『抽象的な龍』(1964)。この絵を知ったのは、サンリオSF文庫のある一冊の表紙絵として使われたため。フィリップ・K・ディックの「VALIS」。1982年5月刊行。サンリオSF文庫はすでに廃刊になっているので古本屋にでもいかないと入手できないだろう。
この本が新聞の広告欄に出たとき、表紙絵に惹かれてすぐに買った。それまで海外のSF小説は呼んだことがなく、どんなものなのだろうと読み始めたのだが、正直な感想は「わけがわからない…」。わけのわからないものは、どうしても解明したくなるので、ディックの作品を買いあさり、同時に海外SFの乱読が始まった。
当時、私は大学入試に失敗し、予備校と図書館と自宅の三つを行ったりきたり。最初は受験勉強とやらに励んでいたけれど、それ以来、予備校に行くフリをして、図書館にこもり、開館時間めいっぱい読書をしていた。SFだけではなく、フロイト全集をはじめ心理学全般。明治期の文学。かつてこれほど読書しただろうかと思うほど、活字に埋没した。もちろん受験勉強は放り出していた。
その頃から、飲酒がひどくなる。小遣いはすべて酒。参考書代も全部酒。一番安いジンを毎日一本あける。立場は浪人。していることは飲酒と読書。それと、もうひとつ問題があった。高校の終わり頃から始まったトルエン吸引。俗にいうシンナーってやつ。これは友人から安く手に入った。そりゃそうだ。工業用途の揮発性有機物だもの。何もかも苦しかった。目標はあっても何も手に着かない。そこから酒とシンナーの酔いに逃げ、読書はそんな自己嫌悪をほんの少しだけ慰めてくれた。
思い出すととても苦い感触が蘇るが、私には必要なことだったと思う。あの絵に惹かれ、そしてディックに耽溺し、現実を放り出し、その苦しさから酔いに逃げ、ずたぼろになっていった。きっと、自分の心や身体に「生きたい」という力が覚悟を決めてくれたのだろう、ある決断をした。まったく違うことに生きてみようと。とことんまで落ちてみるのも、転機を自分に迎え入れる一つの方法かもしれない。
最近、手に入れた藤野一友の作品集の「抽象的な龍」を改めて見ながら思い出す。決断から23年。紆余曲折がありながらも、なんとか今を迎えた。私はこの「今」をとても気に入っている。自殺を考えている人へ思う。生きる道を捨てちゃうよりも、知らずに背負った荷物を捨てちゃった方がいい。なんとかなるもんだって。
この本が新聞の広告欄に出たとき、表紙絵に惹かれてすぐに買った。それまで海外のSF小説は呼んだことがなく、どんなものなのだろうと読み始めたのだが、正直な感想は「わけがわからない…」。わけのわからないものは、どうしても解明したくなるので、ディックの作品を買いあさり、同時に海外SFの乱読が始まった。
当時、私は大学入試に失敗し、予備校と図書館と自宅の三つを行ったりきたり。最初は受験勉強とやらに励んでいたけれど、それ以来、予備校に行くフリをして、図書館にこもり、開館時間めいっぱい読書をしていた。SFだけではなく、フロイト全集をはじめ心理学全般。明治期の文学。かつてこれほど読書しただろうかと思うほど、活字に埋没した。もちろん受験勉強は放り出していた。
その頃から、飲酒がひどくなる。小遣いはすべて酒。参考書代も全部酒。一番安いジンを毎日一本あける。立場は浪人。していることは飲酒と読書。それと、もうひとつ問題があった。高校の終わり頃から始まったトルエン吸引。俗にいうシンナーってやつ。これは友人から安く手に入った。そりゃそうだ。工業用途の揮発性有機物だもの。何もかも苦しかった。目標はあっても何も手に着かない。そこから酒とシンナーの酔いに逃げ、読書はそんな自己嫌悪をほんの少しだけ慰めてくれた。
思い出すととても苦い感触が蘇るが、私には必要なことだったと思う。あの絵に惹かれ、そしてディックに耽溺し、現実を放り出し、その苦しさから酔いに逃げ、ずたぼろになっていった。きっと、自分の心や身体に「生きたい」という力が覚悟を決めてくれたのだろう、ある決断をした。まったく違うことに生きてみようと。とことんまで落ちてみるのも、転機を自分に迎え入れる一つの方法かもしれない。
最近、手に入れた藤野一友の作品集の「抽象的な龍」を改めて見ながら思い出す。決断から23年。紆余曲折がありながらも、なんとか今を迎えた。私はこの「今」をとても気に入っている。自殺を考えている人へ思う。生きる道を捨てちゃうよりも、知らずに背負った荷物を捨てちゃった方がいい。なんとかなるもんだって。
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