もう、どうしたらいいのかわかりません…
このフレーズを今まで何度聞いただろうか。人間関係のこと、自分の心の状態、訳はいろいろだが、必ず「どうしたらいいかわからない」と行き詰まり。これが悩み。行き詰まっているのだから、とても苦しい。どうにかしたいのだが、どうにもならない。
「あなたにはいくらでもチャンスはあると思いますが?」
「確かにそうですが、でも、私は何の技術ももっていません」
「どうしたらいいかわからない」と行き詰まっている人は、すでにさまざまな選択肢を考えている。考えたからこそ行き詰まる。考えきった末なのだ。どんな選択肢にもリスクがある。やってみなければわからない、結果の吉凶がつかめないという意味のリスク。そのリスクを引き受けようとする力を失い「でも」という接続詞で、しない理由をくっつけ始めるのだ。
そんな時、自分に問うてみてほしい。心の中によぎり、そして捨て去った選択肢を思い出してほしい。「できない理由」を「でも」を接続して捨て去ったものを、もう一度見直してほしい。「できない理由」があったから選択を捨てたのか、それとも「できない理由」を常にくっつけようとする「でも(でもでも君とでも呼びましょう)」の活躍が原因ではなかったか。
誰の心の中にも「でもでも君」は住んでいる。そして、こいつには確かに目的がある。どうも、自分を危険な目にあわさないようにと、守ってくれていることは明らかだ。守ってくれているならば、もっと自分の為になる守り方を教えてあげた方が良さそうさ。
「確かにそうですが、でも、私は何の技術ももっていません」
↓
「今までチャンスは逃したけれど、でも、やってみます」
という「でもでも君」に調教できたら、これほどいいことはない。皆さんの「でもでも君」はどんな働き方をして、どんな力を持ち、そして何を背景にその力を発揮しているだろうか。ちなみに私の「でもでも君」はかなり強力で、18年ほど前に私を自殺未遂にまで追い込んでくれたほどに強い。こいつは「人に嫌われてはいけない」「迷惑をかけてはいけない」「世話になった人に逆らうのはとんでもないこと」「Noと言ってはいけない。それは弱いこと」という性質をもっていた。私が弱ってくると、むくむくと起きあがり、へこたれないようにしてくれようとするのはいいが、いかんせん智恵と知識が足りなかった。私の選択肢をどんどん奪っていった。
私は今でも「でもでも君」と一緒にいる。こいつの言いたいことは、実は「寂しかったよ。ホントはもっと愛されたかったよ」だ。たまに扱いに手こずることもあるけれど、とても頑張ってきたよく仲間だと思ってる。「どうしていいかわからない」の「したら」は「する」という行為。何かをするとき、人は必ず「どうあるか」を決める。これがなくなったとき「でもでも君」は、「私」という仲間を失って暴走しはじめる。暴走といえども、失われた「私」という仲間の代わりに、なんとか主役をやりとげようとしてくれるのだった。愛すればいい。きっと上手い関係が築ける。
怖いよ。「でも」やってみよう。
このフレーズを今まで何度聞いただろうか。人間関係のこと、自分の心の状態、訳はいろいろだが、必ず「どうしたらいいかわからない」と行き詰まり。これが悩み。行き詰まっているのだから、とても苦しい。どうにかしたいのだが、どうにもならない。
「あなたにはいくらでもチャンスはあると思いますが?」
「確かにそうですが、でも、私は何の技術ももっていません」
「どうしたらいいかわからない」と行き詰まっている人は、すでにさまざまな選択肢を考えている。考えたからこそ行き詰まる。考えきった末なのだ。どんな選択肢にもリスクがある。やってみなければわからない、結果の吉凶がつかめないという意味のリスク。そのリスクを引き受けようとする力を失い「でも」という接続詞で、しない理由をくっつけ始めるのだ。
そんな時、自分に問うてみてほしい。心の中によぎり、そして捨て去った選択肢を思い出してほしい。「できない理由」を「でも」を接続して捨て去ったものを、もう一度見直してほしい。「できない理由」があったから選択を捨てたのか、それとも「できない理由」を常にくっつけようとする「でも(でもでも君とでも呼びましょう)」の活躍が原因ではなかったか。
誰の心の中にも「でもでも君」は住んでいる。そして、こいつには確かに目的がある。どうも、自分を危険な目にあわさないようにと、守ってくれていることは明らかだ。守ってくれているならば、もっと自分の為になる守り方を教えてあげた方が良さそうさ。
「確かにそうですが、でも、私は何の技術ももっていません」
↓
「今までチャンスは逃したけれど、でも、やってみます」
という「でもでも君」に調教できたら、これほどいいことはない。皆さんの「でもでも君」はどんな働き方をして、どんな力を持ち、そして何を背景にその力を発揮しているだろうか。ちなみに私の「でもでも君」はかなり強力で、18年ほど前に私を自殺未遂にまで追い込んでくれたほどに強い。こいつは「人に嫌われてはいけない」「迷惑をかけてはいけない」「世話になった人に逆らうのはとんでもないこと」「Noと言ってはいけない。それは弱いこと」という性質をもっていた。私が弱ってくると、むくむくと起きあがり、へこたれないようにしてくれようとするのはいいが、いかんせん智恵と知識が足りなかった。私の選択肢をどんどん奪っていった。
私は今でも「でもでも君」と一緒にいる。こいつの言いたいことは、実は「寂しかったよ。ホントはもっと愛されたかったよ」だ。たまに扱いに手こずることもあるけれど、とても頑張ってきたよく仲間だと思ってる。「どうしていいかわからない」の「したら」は「する」という行為。何かをするとき、人は必ず「どうあるか」を決める。これがなくなったとき「でもでも君」は、「私」という仲間を失って暴走しはじめる。暴走といえども、失われた「私」という仲間の代わりに、なんとか主役をやりとげようとしてくれるのだった。愛すればいい。きっと上手い関係が築ける。
怖いよ。「でも」やってみよう。