泥から咲いた蓮の花

現在、リハビリ中なブログです。長い目で見守ってくだせ~

「でもでも君」を味方につけろ!

2005-07-31 00:40:29 | どろな話
もう、どうしたらいいのかわかりません…

このフレーズを今まで何度聞いただろうか。人間関係のこと、自分の心の状態、訳はいろいろだが、必ず「どうしたらいいかわからない」と行き詰まり。これが悩み。行き詰まっているのだから、とても苦しい。どうにかしたいのだが、どうにもならない。

「あなたにはいくらでもチャンスはあると思いますが?」
「確かにそうですが、でも、私は何の技術ももっていません」

「どうしたらいいかわからない」と行き詰まっている人は、すでにさまざまな選択肢を考えている。考えたからこそ行き詰まる。考えきった末なのだ。どんな選択肢にもリスクがある。やってみなければわからない、結果の吉凶がつかめないという意味のリスク。そのリスクを引き受けようとする力を失い「でも」という接続詞で、しない理由をくっつけ始めるのだ。

そんな時、自分に問うてみてほしい。心の中によぎり、そして捨て去った選択肢を思い出してほしい。「できない理由」を「でも」を接続して捨て去ったものを、もう一度見直してほしい。「できない理由」があったから選択を捨てたのか、それとも「できない理由」を常にくっつけようとする「でも(でもでも君とでも呼びましょう)」の活躍が原因ではなかったか。

誰の心の中にも「でもでも君」は住んでいる。そして、こいつには確かに目的がある。どうも、自分を危険な目にあわさないようにと、守ってくれていることは明らかだ。守ってくれているならば、もっと自分の為になる守り方を教えてあげた方が良さそうさ。

「確かにそうですが、でも、私は何の技術ももっていません」
            ↓
「今までチャンスは逃したけれど、でも、やってみます」

という「でもでも君」に調教できたら、これほどいいことはない。皆さんの「でもでも君」はどんな働き方をして、どんな力を持ち、そして何を背景にその力を発揮しているだろうか。ちなみに私の「でもでも君」はかなり強力で、18年ほど前に私を自殺未遂にまで追い込んでくれたほどに強い。こいつは「人に嫌われてはいけない」「迷惑をかけてはいけない」「世話になった人に逆らうのはとんでもないこと」「Noと言ってはいけない。それは弱いこと」という性質をもっていた。私が弱ってくると、むくむくと起きあがり、へこたれないようにしてくれようとするのはいいが、いかんせん智恵と知識が足りなかった。私の選択肢をどんどん奪っていった。

私は今でも「でもでも君」と一緒にいる。こいつの言いたいことは、実は「寂しかったよ。ホントはもっと愛されたかったよ」だ。たまに扱いに手こずることもあるけれど、とても頑張ってきたよく仲間だと思ってる。「どうしていいかわからない」の「したら」は「する」という行為。何かをするとき、人は必ず「どうあるか」を決める。これがなくなったとき「でもでも君」は、「私」という仲間を失って暴走しはじめる。暴走といえども、失われた「私」という仲間の代わりに、なんとか主役をやりとげようとしてくれるのだった。愛すればいい。きっと上手い関係が築ける。

怖いよ。「でも」やってみよう。

『坊ちゃん』夏目漱石

2005-07-28 22:31:05 | どろな話
夏目漱石が好きで、作品の大半は読んだのだが、なんと『坊ちゃん』を読んでなかった。漱石の中ではもっともポピュラーな作品だと思うし、『坊っちゃん』だけは知っている人も多かろうが、つい読みそびれて「今さら…」をずーっと重ねてきてしまった。

『坊っちゃん』は主人公の一人称で語られる。すべて主人公の目を通した出来事、そして主人公の内面の語りによって構成される。客観的視点はない。「坊っちゃん」という呼び名は、主人公の家に下女として働いていた「清」が主人公に使う呼称だ。

「親譲りの無鉄砲」「乱暴者」。だけども人情厚く「おれは何が嫌いだと云って人に隠れて自分だけ得をするほど嫌いな事はない」なんて江戸っ子が、四国の中学校に数学教師として赴任。校長をはじめ他の教師、生徒たちとの間で、坊っちゃんの直情型の怒りを滑稽風味な味付けで炸裂しまくるのが、とても愉快だ。登場人物たちへのあだ名の付け方が粋で、彼たちへの毎度ながらのこき下ろし評が笑える。どかーんと学校をやめて東京に帰ってくるまでを描く。情け深い頑固な正義漢の八つ当たりかんしゃく物語。

「一緒に読もう!」運動を持ちかけ、その通りに応じてくれた親愛なるAyako女が、読み進めている中で主人公の行動を「ているのでなんだか腑に落ちない。というか、心配になる。もうちょっと考えて動けよーなんて突っ込みながら読んでいた。それが坊ちゃんなのに」と書いている。そう、ハラハラするのだ。つい「そこまでするか…」「おいおい、それはないだろ」「そのへんでやめておこうよ」なんて声が心に響き、主人公の一挙手一投足に心を砕いてしまう。そんな主人公にも、ほっとする存在がある。東京に残してきた「清」。唯一自分を可愛がってくれた、認めてくれていた母親のような存在。ことあるごとに「清」を思い出すところが、とても人間くさい。

漱石がこの作品を書いた当時、文芸の世界は「近代小説理論」とやらの時流によって、大きくその姿を変えていった頃。漱石はその流れに逆らい、それ以前の江戸期の価値観への復古(近代化への反発)をしたと言われる。この作品を読んで、ハラハラしてしまいながらも、なんとなく爽やかな痛快を感じるのは、私たちもまた世間や時代になんとか乗り遅れまいとあがく一方、本音の自分が坊っちゃん風に言うならば「大嫌いだ」とかんしゃく起こしながら生きている部分があるからだ。これが時代を越えてもなお、人々に親しまれる理由だと思う。

そんな主人公だけど、作品の一人称の語りは極めて冷静かつ滑稽。長年読みつけている座右の書『吾輩は猫である』の猫の視点と語りにそっくりで、私にとってとても親しみやすい漱石がここにいる。と、つらつら書いてきたけれど、この作品はコメディーだね。だって、かなり笑えるもの。この勢いで自分の生き様も笑い飛ばせるならば、きっと幸せだろうな。

さようなら

2005-07-28 13:36:48 | どろな話
預かっていたオカメインコが別の場所に移ることになった。一ヶ月半ほどいただろうか。日中の大半は私の肩の上にいるか、周囲をうろうろして、離れることはなかった。別れ際にはぴぃぴぃ鳴いてすがってきた。車に乗せられ、走りだそうとするときも、懸命にこちら側に来ようとカゴに張り付いていた。

よくなついた。慣れぬ場所に連れてこられて頼りが欲しかったのだろう。それが私だった。別れはずいぶん寂しいものだ。自然に生きることはもうできないオカメインコ。人と一緒にしか生きることができない命。あいつには選択ができないのだ。それを思うと、さらに侘びしく感じた。

幸あれ。また、いつか会おう。

「プク」と名づけられた子猫

2005-07-26 00:13:17 | どろな話
「お父さん、子猫がケガしてる」

台所で洗い物をしていた私に窓越しに息子が話しかけてきた。庭をうろついていた明るい茶縞の子猫を息子とその友達たちが保護した。脇腹に大きな擦り傷、そして前足を引きずっている。傷は乾いていたので、たった今負ったものではない。そして曲がった足をさわっても痛がらない。箱に入れてエサを与え、一晩保護した。娘が「猫が心配なんだよ」と何度も見に行った。

傷を負い、よたよた歩く子猫を哀れみ、朝から「可愛そうだ」と涙を流す娘。病院に連れて行った。前足、後ろ足の二本を骨折。脇腹の傷はカラスか他の猫にやられたものではないかと推定。骨折したのも、すでに三週間くらいは経過しており、折れたままくっついているとのこと。小さく成長期なので手術も難しいという。保護しなければ、たぶん生きてはいけなかった。

入院のために名前が必要とのこと。娘は「ええと、ええと、プク」と命名。二本の足を骨折したまま、よく頑張った。さぞ痛かったことだろう。うちの4匹目の猫プク。足が治るといいね。しかし…手術代が10万近くかかるとよ…

もてない暮らし その2

2005-07-25 15:58:09 | どろな話
23日(土)、お世話になっているサイト「心の癒し」のユーザーさんたちの集まりに参加した。なんとか仕事を終わらせ、急いで電車に乗り込む。車中、初対面の人々とコミュニケーションに臨むときに感じる心地よい緊張を抱きながら、自分と話をする。

「今日はどんな人たちがいるのかな」
「今までネットでたくさんの人と会ってきたけど、みんな人間だったじゃん」
「そりゃそうだよね。何を話そうか」
「話したいこと話せばいいんじゃない?」
「嫌われたらどうする?」
「嫌うかどうかは人のすることだよ。心配してもしかたないじゃない」
「そうだね、まあ、今日もきっと楽しめるさ」

なんて物語が心の中を流れる。一人で遅れて会場に到着。

「ほーら、やっぱりみんな人間じゃーん」
「みなさん、今日はオレのために集まってくれてありがとう!」
「違うって」
「さあ、まずは雰囲気作りだ!」

オフの参加者の皆さんに申し訳ないが、心の中はこんなもの。とはいえ、昔からこうだったわけではない。かつてはこうだった。

「緊張するなぁ」
「なに緊張してんだよ。弱えこと言ってるんじゃないよ」
「…はい」
「お前が楽しむんじゃねえぞ。人様を楽しませるんだぞ。そうしないと嫌われるぞ」
「うっ…はい。誰か気さくに話しかけてくれるといいなぁ」
「バカ言ってるんじゃねえよ。甘えてんじゃねえぞ、コラ」
「うっ…はい」

こんな物語を心の中に流していますと、そりゃガチガチになって無口になっちまいますね。というわけで、かつては無口で人見知りでシャイな少年だった。「そんな自分が嫌だった」というオチまで見事についていた。しかし、しかしだ。所詮、すべては心の中の物語!私がきっと自由にできるはずだ!と気づいた。心の中に流れる物語が、自分の行動を決定し、それが現実を作る。自分を縛る心の声はなんだろう。いったいどこからやってくるのだろう。そういったことに着手してから2年。この2年は、30年くらいの月日に思えるほど、自分に変化をもたらした。ようは、

「自分を許していない」

ということに尽きる。私たちに「思えない」「できない」はない。あるのは「思わない」「しない」を選んでいるだけ。思えない、できないも、実は外部からの命令に隷属することを「選んでいる」。だから「許せない」はない。「許さない」を選んでいる。「私は自分の思いを伝えていい」と許してみよう。そして、その場を与えられたことに感謝しよう。オフを企画してくれた不眠の番人さん、参加してくれた人、私の話を聞いてくれた人、私に思いを伝えてくれた人、ありがとう。皆さんの力を分けてもらいましたよ。ありがとうございます。

It is not your fault.

2005-07-19 01:50:34 | どろな話
4日間お休み。仕事らしきことは何もしていない。町の神社のお祭りにでかけ、スーパーにでかけ、コンビニにでかけ、外食にでかけた。私の大の苦手は「何もしないこと」。いっつも「何かせねば」と心がせわしない。親愛なる恩師、水澤都加佐氏に「何かしなきゃいられないってのは病気です」とお墨付きをいただいているからな…この数年は努めて「な・に・も・し・な・い」練習を積み重ねている。なんとか4日間くらいは何もしないでいられるようになった。

もう一つ、苦手がある。以前にも書いた「部屋の掃除」。部屋と言っても「自分の部屋」。取りかかろうとすると、理由のわからない苦痛に襲われる。例えるならば、責め立てられる中を必死に「ぐぬぬぬ」と黙して耐えているといった感覚。今まで、そういった感覚に陥っても、さしておかしいとは思わず、そういう性格なのだと切って捨てていた。当然、めったに掃除しない部屋は足の踏み場がない。自分の部屋以外の掃除はむしろ好きなくらい、きれいになるのが気持ちいい。おかしい。ヘンだ。自分の心に耳をすませてみる。どうも「机」に何か関係があるらしいことがわかってきた。「自分の机」そういえば、会社勤めをしていたときもそうだった。デスクの上を片付けるのは、常に後回しであった。どうも「机」にまつわる思い通りにならない怒り、悲しみの体験をかつてしたらしい。

自分の中の小さな子供の声を聴いてみる。そう、初めての勉強机は、亡き父の机であった。常に異常なほど綺麗に整頓されていた机。父の死後、私の勉強机となった。その机を使うのはとても嫌だった。ずっと嫌だった。そして、何かでしかられたあとは「机の上を綺麗にしなさい」という言葉がくっついていた。机の上を片付けることは「罰」だった。いつしか、机の掃除は、私の罪悪感の象徴となっていたのだ。

今日は朝から「のんびり」と掃除をする。なぜ「のんびり」か。自分の部屋の掃除をしようとすると、背中から何か得たいのしれないモノが追い立てる。「早くしろ!」「そんなこともできないのか!」と。そう、いつもこの声に苛まれ、必死に耐えていたのだ。今日はその声に「また来てくれたね。気遣ってくれて、ありがとう。いつもすまんね。一つお願いがある。心配してくれるのは感謝しているから、暴れないでくれないかい?」と声をかけた。そして、小さな泣いている子に「あなたは何も間違っていない。何も悪くないよ」と声をかけた。気づくと肩が軽くなっていた。

もてない暮らし

2005-07-17 21:43:41 | どろな話
先日、小学校以来の同級生と飲んでいて、こんな話になった。勤務先の営業不振を訴える友人、今夏はボーナスがたぶんないだろうとのこと。現場仕事から、今までしなかった営業まで携わるようになったという。

彼「営業ってしたことないんだよねぇ」
私「おめーの現場は顧客とのやりとりに尽きるのだからよー営業スキルは自然と身に付いているべ?」
彼「それはそうなんだけど、難しい」
私「営業ってよーようするに相手に好かれるってことだよな」
彼「そうそう」
私「つまり、おめーがもてればいいってことじゃんかよ」

なんてやりとり。そこまでどまりで、よもや話に散じてしまったが、そんなことがあった後日、楽祥さんのはからいで、カツさん(ライブワン代表取締役)にお会いし「モテルための3原則」を示唆たまわる。

●相手の喜ぶことをしてあげる
●反応は誰よりも早く!
●「ありがとう」とにっこり笑顔!

「モテル=人気者になる=仕事が出来る!!」まさにこれ。仕事を上手く進めるってことは人気者になるということに他ならない。大切なポイントは「もてたい人にもてる」ということだ。最近気づいたことは、私たちは人生を支える「五つの足」を駆使しており、そのどれかが傷ついたまま放置すると、人でカバーしようとしだすことだ。それが、もてなくてもいい人にもてたい希求を生み出す。この行動はパターン化し、気づかぬうちに「問題」として人にとりつく。とりつかれていたのは、紛れもない私であった。私の「モテル」は「人から必要とされる必要」だった。必要とされるなら何でもよかった。どんな状況でもよかった。ふりかえれば、そこには傷つき渇き、何をしても満たされない私の姿があった。

もてない暮らしを始めて二年。自分を癒せば、もてたい人、もてるべき人がわかるようになる。もし、わからなければ「もてること」を一度手放して、自らを愛し感謝することから始めて、一からやり直せばいい。愛想笑いはやめて「私の笑顔」を取り戻せばいい。それは「できる」というスキルではなくて、誰もが持って生まれた能力。できないのではなく、自らくじいているだけ。

ぼろぼろの車に乗せられ、悪路に大きく揺れながら、行き先もわからない不安の中で、振り落とされないように必死にしがみついてきた。それしか選びようがなかった。いつまでも、そこにいることはない。実はもう降りているのだ。今度は自分の快適な車に乗り換えよう。フロントガラスが割れたら新しいのに取り替えよう。バンクしたら直そう。ドアが壊れたら修理しよう。いつでもそれを選んでいい。泣いている自分を怒鳴り散らすのはやめよう。寂しがっている自分を踏みつけるのはやめよう。

それをくぐり抜け、今、生きていることへ。ありがとうを言おう。

ハバネロ

2005-07-17 13:20:19 | どろな話


親愛なる、いい人だけどいい人どまりのびり氏からいただいたハバネロ栽培キット。小鉢でちっこく栽培するのも何なので、農協のご指導を得てプランターで育ててみる。で、こんなんなっちまっただ。一時はアブラムシの被害にあっていたが、地道な駆除作業で元気に育っている。そしてようやく実をつけ始めた。



これから赤くなっていくのだろうが、世界で最も辛いといわれるこの実はどうすればいいのだろうか。昨年、ししとうを育て、想像以上にたくさんの実をつけ、たまに収穫してはバター醤油でいためて子供たちとおいしくいただいた。しかし、その近くで、娘が栽培する唐辛子の花粉で受粉したのだろう、そのうちめちゃくちゃ実が辛くなり、ししとうを食すことは修練に近い作業になってしまった。それよりも辛いんだよねぇ…

ま、それはいいとして、なんでも手塩にかければ、育つもの。私たちも生き物だから、ちゃんと自分を手塩にかけて育てましょう。水をあげなければしおれる、光をあてなければ枯れる。「育てる」と称して踏んづけたりしてませんか?

THE BLUE HEARTS

2005-07-16 20:52:13 | どろな話
仕事の帰り。車の中で久しぶりにFMラジオを聞く。ブルーハーツの「TRAIN-TRAIN」が流れていた。涙がぽろぽろと流れた。こういうことがよくあって、昔なじんだ曲のいくつか、耳にすると、じーんとして動けなくなる。きっと、つらくて自暴自棄になっていた時、悔しくて悔しくてどうにもならなかった時、助けてもらっていたんだなと思う。倉庫の中から探し出してきたブルーハーツのベストアルバムを聴きながら、感謝感謝。

花火が上がった。夏祭りの夜の恒例。庭から見える風景のあちこちで打ち上げ花火がみえる。ここで生まれ育つ子供たちは、夏の夜に花火を見上げながら、友と交わり、恋に戸惑ったりするんだろう。コンビニに行く途次、花火をみながら娘が

「祭は楽しいなぁ」
「おう!楽しいよな!」

「楽しい」と思えること、言えること。大切に大切に。

あぁぁ…体が…

2005-07-16 14:35:00 | どろな話
ちょいと前の話。梅雨に入り始め、天気がすぐれないので、いっちょう雨雲通り越して、雲海でも見下ろすか!と思いつき、子供たちをつれて富士山新五合目へ。そこから6合目に上り、宝永火山の火口を見ながら新五合目まで戻るコースがある。約1時間の道のり。子供はさっさか富士山のガレ場を上っていく。ひぃ~なんと足が、体が、ついていかない。



もう少し体力あると踏んでいたが、運動不足もあるし、加齢の衰えもあるだろうし。少し歩きましょうかねぇ。親愛なる友人・松本竜弥氏が管理するブログでこんなことを紹介している。「健康のために歩くのではなく、美しくキレイに歩いたことが、健康につながる」これは至言だ。何かの為に生きるのではない、意味を探す為に生きるのではない、生きたことが意味になる。生きたことが「自分」になる。「幸せになる道などない。道こそが幸せだ」と同じだねぇ。