16歳の高校一年生の少年が、老年になっている。
それが、40年という歳月…
しかし、当時購入したレコード盤は全く劣化することなく、
オーディオ・システム構築が上手になったせいで、むしろ40年前より美麗なサウンドを奏でている。
1984年は、私がUKに傾倒していくきっかけとなった年。
というよりも、UKロックが好きなのだと気づきはじめた年。
いまや世界的ビッグ・アーティスト扱いのU2も、この頃好きだと言っていたら学校の少数派。
話して通じる友人はクラスで数名、部活で1名のみだった。
U2/ Pride
ラジオで聴いて気に入るヒット音楽も実は英国産が多かったのだけれど、
それまで全米ビルボード・チャートTOPランキングで名前も聞いたことないグループを知るきっかけになったのは、
深夜に放送されていた(少なくとも山口県では)MTVの地上波放送だ。
イギリスのみでヒットしていてアメリカでリアクション皆無のバンドも、分け隔てなく放送されていた。
FM山口では決してクローズアップされることのない、UKインディーズバンドの数々…
そんな中で、あまりに奇妙で惹きつけられたPVがThe Cure!
The Cure / The Caterpillar
そんな1984年の中で、忘れられないアルバムがこのDepeche Mode「Some Great Reward」。
このサウンドと彼らのビジュアルのかっこよさが、ファッションも含めてUKインディーズに傾倒していくきっかけとなる。
1985年のあのアルバムの登場までUKロックに偏りすぎることはなかったのだけれど、英国産サウンドを明らかに意識し始めたのはこのアルバムくらいから。
U2あたりはイギリス(正確にはアイルランド)だから聴くというよりも、USヒットチャートや日本のラジオでも普通にピックアップされていた。
しかし、デペッシュ・モードやキュアーは、クラスで通じるのはたったのひとり!
Depeche Mode / Blasphemous Rumours
そして1984年で忘れてはいけないアルバムが、
このEcho & The Bunnymenの「Ocean Rain」。
ポーキュパインという前作アルバムからの「The Cutter」が大ヒットしていたので、知ってはいたのだけれど、
「The Killing Moon」の素晴らしさにしてやられて、一気に彼らのファンになった。
Echo & The Bunnymen / The Killing Moon
で、クラスで多くの人が聞いていたのが尾崎豊とか浜田省吾とかサザンオールスターズとか中島みゆきとかハウンド・ドッグとか…
洋楽だと、ボン・ジョヴィ!笑
超ど田舎者ではございましたが、センスが「ダサすぎ」て、全く受け付けられませんでした。
煮干しの匂いがするというか、異臭がするというか…
(翌1985年発売の「Kamakura」で、異臭飛び越えてサザン好きになりました)
そんな、音楽に好みと偏見が生まれ始めたのが40年前…
そして、そのうち33年間は日本の音楽シーンを変えてやろうと音楽業界に身を置いているわけだけれど、
日本人オーディエンスのセンスは全く変わらなかったという無力感は感じております。