私は、「宇宙スーパーマリオ理論」を提唱したい。笑
多世界解釈やエントロピック重力理論を内包した考え方で、一番腑に落ちている。
それは、宇宙の構造はスーパーマリオブラザーズと同じだという考え方。
私は、マリオである。
宇宙は、プログラムされたデータがその時々にモニターに映し出す画面。
画面を詳細に見ていくと、最後は3原色の光の粒になって実体はなくなる。これは、素粒子の性質と同じだ。
なぜ実体がなくなるかといえば、その画面を構成するキノコや土管や空や雲は、単にカセットに保存されたプログラムデータの投影に過ぎないからだ。
つまり、この宇宙もどこかに元になるプログラムデータが保存されていて、それが投影されているだけに過ぎないのではないだろうか。
プログラムしたのは、神とも言うべき存在。
この宇宙をデザインした宇宙クリエイター!
違いは、スーパーマリオブラザーズより遥かに高度で複雑なプログラムってことくらい。
基本原理は同じ。
私は、そのプログラムの中で動き回るマリオ。
クッパを倒す未来もキノコに殺される未来も、数多くの未来のパターンが用意されていて、どの未来が訪れるかは私の選択次第。
無限とも思える未来世界の可能性が並行して存在していて、自由意志でそのいずれかを選択しているように錯覚して生きている。
が、所詮、プログラムはあらかじめ決められている。
自由意志によって訪れた未来も、元来プログラムされていた内容の範疇からは1mmも外れることはない。
プログラムの中には、あらゆる過去も未来も内包されているからだ。
これぞ、私の生きる世界の本質ではないだろうか?
では、私もあなたもプログラムなのだろうか?
それは違う。
画面上を動き回るマリオを動かしているのは、画面の外にいて、いやプログラムの外側にいる私であるからだ。
マリオ、つまり肉体はプログラムでも、動かしている私、つまり意識は別の世界に厳然として存在している。
となると、この世界において私の肉体を操っている意識も、宇宙プログラムの外側に厳然として存在しているはずだ。
スーパーマリオブラザーズとの最大の違いは、ゲーム中のマリオを動かしている私の存在は認識できるが、現実世界の私の肉体を動かしている存在は認識出来ない点である。
意識は、宇宙の外側のどこにあるのだろう?
それは、スーパーマリオブラザーズという2次元世界の高次元にあたる3次元に私の肉体が存在しているように、さらに高次元の4次元世界にあるはずだ。
4次元世界の私は、3次元世界の私を客観的に観察して動かしているに違いない。
3次元世界のマリオである私に、4次元世界のそいつの存在は認識できない。
まあ、悔しい。