何日ぶりかわからないブログを綴ってみる
良い事も悪い事も 大体どの瞬間ですら起こっているものだから
ここ最近は、ブログに書くような事があまり起こっていないような気がする
仕事仕事の毎日。所謂繁忙期ってやつなのかもしれない
仕事だけで言えば書く事なんていくらでもあるのだけれど
変わった事というと、平日の朝に余裕があまりなくなったから
このブログを書く時間が無くなったと言う事
仕事の合間に書いていた この1000文字に満たないブログなのだけれど
会社での業務に少し変化があっただけで、余裕という物が
全体的に少しずつ減ってしまって 心のゆとりすら持てなくなる昨今だったりする
若い人材がまた一人職場から居なくなった
3年目の事だと思われる
他人事みたいな言い方をするようだけれど 今は出向先の職場だから
同じ仕事をする仲間でもあり、他社の人でもあるのだ
人間には色々な事情というものがあって
他人には計り知れないものも多々ある。 だから人が減ったからと言って
その業務がただ、停滞するわけでもない
実際私にもその業務のしわ寄せが今現在やってきてる真っ只中でもあるのだけれど
とても忙しくなった この2月からは特にね
私個人の心の変化というものも確かにある
この歳になって また人を好きになったと言う事
好きになるのは簡単で、でも色々な事情から 近くには居ないけれど
それでも言葉や声では繋がっている
現代の出会いや 関係性というのは 少しだけついていけない部分もあると思う
人は”姿を見なくても、恋ができるのであろうか?”と度々思う事がある
その声や話し方、文字の端々に性格が出るのはわかるけれど
自分としてはやはり 見た目やその雰囲気から恋が始まる事が多かったのもあって
人間としての心境の変化に 日々自分が戸惑っている状況でもある
姿を晒すことは簡単で それでもその気持ちに揺らぎはないのだろうか?
なんて事を考えていると きっと現代では恋すらできなくなってしまうんだろうなって
自信が無いのが正直なところではある
身体醜形障害 というものがある。
私自身はとても人間に思えない顔をしてる と自分で思ってしまう病気で
自分の顔が愛せない そんな病なのだけれど
写真が好きなのに 自分を撮影すると言う事はないし
何万枚もの写真を残してあるパソコンにですら 自分が写っている写真は
わずか3枚だと言う事も解ったりして
やはりこの病は根深いのだと 思わざるを得ないと思う
昔、両親が残してくれた 子供の頃のアルバム
これが唯一の自分の記録なのだろうと思う
よく葬式で使われる本人の肖像として若い頃の写真を使ったりもするのだけれど
私の場合は免許の写真がせいぜい 5年ごとに撮るくらいで
残っているものなんてほとんどない
話を戻すけれど
声で繋がっている相手に対して 自分の姿形が好きになれない人間は
ちゃんとした恋愛が出来るのだろうか?
について色々考えては見たけれど
答えはきっとNO何だろうと思う
自分から可能性を否定していくタイプ
やはり自分すら愛せない人に 他人など愛せないのだと
その結論に達してしまうのだ
それでも私自身の内面だけで言えば 正直に生きていると言う意味では
悪くはないと思っているし 愛せる部分でもあるのだから
そこを見てもらえる人が居るのだとしたら
私の恋愛はきっと成就するんだろうな なんて
ただの理想論をつらつらと述べるだけのブログに成り下がってしまうような
そんなつまらない文を 誰が読むのだろうと
久しぶりのブログに 少し落胆する書き終わりなのかもしれない
いくつになっても恋愛するっていうのは やはり楽しくて 素敵で
苦しくて 悲しくて 切ないものなんだなって そう思う
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