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史実とそれを元にしたフィクション

2021-06-20 06:36:00 | 日記

 
これはジョゼフ・メリックが奇形していなかったらのモンタージュグラフィック。

YouTubeを見ていたら今ではもう殆ど見られない見世物小屋について描かれていた。

ゆっくり魔理沙が「感動の涙が止まらないのぜ」と言った映画は1980年に制作された『エレファント・マン』(日本では81年上映)であった
観に行った記憶はあるが、演出の見せ方がひたすら怖かった記憶がある。

まあ、ゲテモノ好きのデビット・リンチ(1946-)が依頼を受けて監督した映画で、元になった話はバーナード・ポメランスの戯曲からである。

極度の奇形で見世物小屋でこき使われるジョン・メリックの数奇に満ちた人生を描いている
演じたのは今は亡きジョン・ハート(1940-2017)である。

担当医のトリーヴスがアンソニー・ホプキンス(1937-)が演じ、興行主のバイツをフレディ・ジョーンズ(1927-2019)、舞台女優のケンドール夫人をアン・バンクロフト(1931-2005)が演じた。

まあ、ざっとあらすじを描くと産業革命で繁栄していたイギリスは当時は世界の中心的都市ではあったが、闇も多く存在した。

貧乏人の下に更に貧乏人、その更に下に最低階級の貧乏人がいた。

最低階級の貧乏人の男たちは犬の糞を集めて回り、靴磨きの材料として売っていた。

女たちは娼婦として街に立っていた、そんな時代背景があの『切り裂きジャック事件』が起きる温床となっていた。

その階級の中にはあまりの貧しさに見世物小屋で働く者もいた、勿論エレファント・マンとして、ジョンも働いていた。

トリーヴスはそのあまりの奇形の酷さに興行主のバイツに少し貸してくれないか?と談合し、とりあえずは医学の学会でジョンを発表した。

あまりの酷い奇形ぶりに医師たちは信じられないと言う反応が返って来た。

最初はすぐに返す予定だったが、興味を持ったトリーヴスはジョンに知識がないと思っていた

まだこの時点で顔は見せていない、漸く顔を見せたのは、ジョンが食すためのオートミールを運んで行くのを看護婦が「私が行きます」と言ってトリーヴスが驚かないようにと言う前に看護婦は部屋に入った途端に悲鳴を上げて漸くジョンの醜く奇形した顔が判明する。

後年演じたジョン・ハートが、「メイクが重く不自然な姿勢をしなければならないのが堪えた」と述懐していたが、まあ、むりかなんことである。

その後にジョンに驚異すべき知識があったのを
トリーヴスが知り、院長のカーゴムに、どうにかしてやれないかとイギリス王室や貴族に働きかける運動をする。

そしてケンドール夫人がジョンの心の美しさに感動して「あなたこそロミオよ!」と感激して自分の演劇の舞台に招待することを約束する。

暫くはジョンに穏やかな日が訪れたが、厳格な看護婦長はトリーヴスに「あなたのやっていることは興行主と大して変わりはない、見せ物にしているのは同じ」と言う厳しくも真理をついた発言が見られる。

しかし元の持ち主のバイツは何とか取り戻す手段をかんがえていたが、病院の夜警が、バーで金を募って好きものや娼婦たちに見せ物にする企みにバイツも参加し、やがては夜警が金で集めた好きものや娼婦たちをジョンの部屋に連れて来て乱痴気騒ぎを起こすのであるが、夜警は最後にジョンの顔に鏡を押し付け醜く奇形した自分の顔を見たジョンが悲鳴を上げると言う胸糞悪い演出も付いている。

そのどさくさにバイツはジョンを病院から連れ出し、イギリスでは興行出来ないのでベルギーに渡るも、ジョンは前みたいに言うことを聞かなくなるし、興行は禁止されるわで、バイツはジョンに商品価値がないとして、持ち物を全部捨てる。

見世物小屋の仲間たちがジョンをベルギーからイギリスに逃がすための準備をして、何とか船に乗りロンドン駅に辿り着くが、普段はマスクを付けて外出しているジョンに子供達が興味本位で近づくも、ジョンは逃げる。

逃げる最中故意ではないにしろ少女を突き飛ばした形になったジョンはその母親が「その男を追って!」とジョンをロンドン駅のトイレまで追い詰めてマスクを剥ぎ取る。

するとジョンの醜い顔が現れ、ジョンは「私は人間だ!動物ではない!」と叫ぶ。

その騒ぎを聞きつけたトリーヴスが何とかジョンを保護する。

その後、ジョンはケンドール夫人の舞台劇に招待されて紹介され、劇を見る。

その夜にカテドラルの模型を完成させたジョンは、普段は三角座り(体育座りに近い)で普段は寝るが、普通の人間のように仰向けで寝るのを試みる。しかしそれは異様に頭が肥大したジョンには自殺行為であった。

ラストにジョンは今は亡き母が夢に出て来て終わりとなる。

まあ、これが映画のエレファント・マンの内容である。

史実を元にしたのもあるにはあるが、やりすぎな演出は中々ジョンの顔を見せないとか、虐待とも取れる描写が為されていたりとか、あんな乱痴気騒ぎなかっただろ?と言う所と、群衆が追い詰めてマスクを剥ぎ取ると言う演出は流石にやりすぎ描写であった。

知らない人から見たら事実と勘違いしそうである。

とりあえず史実を描くと、エレファント・マンことジョン・メリックは本来はジョゼフ・メリックと言う。

イングランドのレスターにジョゼフ・ロックリー・メリックとメアリー・ジェーン・ポタートン・メリックとの間の長男として生まれる。
四人兄弟妹の長男だが、弟二人は早くに夭折していて、妹のマリアン・イライザもジョゼフが亡くなった翌年に24歳で逝去している。

産まれた頃は何の奇形もなかったが、2歳頃から口の近くに硬い腫瘍が出来てそれが右頬全体に現れ口からは骨の突起が現れ唇が裏返り、頭に瘤のようなものが出来て来てやがては右腕は使い物にならなくなり、転倒して腰を痛めた後は背骨が曲がってしまい終生歩行困難になった。

11歳の際には母メアリー・ジェーンが働き過ぎのために病死し、父ロックリーが再婚したが、その継母がジョゼフの無残な奇形を嫌い、家から出る羽目になった。

叔父に当たるチャーチル・バーナバス・メリックが行商で身を立てさせようとするが、ジョゼフの醜い容姿でみんながドン引きし、靴磨きをしていたら子供達から石を投げつけられるわで、まともに商売すら出来ず、救貧院に入る羽目になった。

しかしそこでの暮らしは酷かったらしく、22歳の際に見世物小屋の興行師兼コメディアンのサム・トーに手紙を贈り、
やがて、トーがメリックを見ると「これは金になる」と踏んで、実業家のサム・ローパーや、J・エリス、トム・ノーマン、ジョージ・ヒッチコックなどがジョゼフの売り出し方法を考えて半人半象の『エレファント・マン』として売り出した。

口上はジョゼフの母親が彼を妊娠中に象の足元に転倒して恐怖経験をしたためにあのような姿で生まれて来たと言う口上がなされていた。
(無論嘘だが)

そんなある日に見世物小屋に偶々来たトレヴェス医師(トリーヴスではない)がジョゼフを見て「貸してくれないか?」と興行主に許可を得て貸してもらい診察、そして病理学会でジョゼフを発表して医師の関心を引いた。(これに関しては史実も映画も同じ)

その後、イギリスでは見世物小屋が禁止になると、興行師がベルギーの興行師にジョゼフを譲渡したがベルギーの興行師はすぐにジョゼフの商品価値を見限り蓄えを奪い、ブリュッセルで見捨ててしまい、ジョゼフは持ち物を質に入れたりで何とか旅費を捻出し、苦難の末にリバプールまで来た。

そこでトレベス医師の名刺を見せてトレベスに保護されてホワイトチャペル病院に保護された
しかし、院長のカー・ゴムは最初はいい顔をしなかった「治らない病人を入れておくのはどうか?」と言う最もな意見であったが、やがてはジョゼフに知識があるのを知り、イギリス王室や貴族を動かして資金を集めてジョゼフが終生暮らせるように計らった。

来た際はかなり苛立ったり落ちつなかい様子であったジョゼフもやがては徐々に心を開いてゆき、昔の話はあまりしたがらなかったが興行師の悪口は決して言わなかった。しかし救貧院の話になると怒りをあらわにしたと言う。

医師から見たジョゼフはやたらと自分の容姿を神経質に気にしたり、唯一まともな左手を誇りに言ったり、派手なものや美しいものに興味を示したりと、まあ、やりにくい患者だったらしい。(辛酸を舐め尽くしているのもあるが)

実際にケンドール夫人に呼ばれたのは事実らしく、上流階級に紹介されたり、田舎暮らしを経験したり、トレベスの知り合いの女性との付き合いや手紙のやりとりなども見られる。

最期の死に関してだが、映画のように仰向けに眠ってみるのを試みたわけでなく、普段通りに
体育座りして首を支えて寝ようとしたら重過ぎる頭が後ろに傾き頸椎を脱臼して突然死したのが真相である。

現在ではジョゼフの骨格標本や生前完成させたカテドラルの模型や、例のマスクなどが残されている。

皮膚なども残されていたのだが、第二次世界大戦のナチスの空襲で失われた。

まあ、かなりWikipediaなどの情報や様々なものでジョゼフ・メリックを分析している。

まあ、奇形人間なんてアメリカにはロイ・デニス(1962-1978、ライオティニス)や
ロバート・メルヴィン(1920-1995)などもいる。

まあメルヴィンに関しては結婚もしており、子供は奇形ではなかったことなどを見ると本人曰く「神の悪戯さ」なんだろうが。まあ、メルヴィンは顔だけ異様に奇形で体は普通であった。

ドキュメント映画だけでなくホラー映画にも出演しているとは、半分ネタにしていたフシもある。

まあ、キリスト教への信仰心が篤く、趣味は子供達とピクニックなどが楽しみだったらしい
75歳と割と奇形人間としては長く生きている。

ロイ・デニスは1984年に『マスク』と言う映画になり、(劇中ではロッキー・デニス)エリック・ストルツ演じるデニスが青春している感じの映画であり、最期はデニスは死んでしまうのだが、エレファント・マンのような暗さはない
やはり描き方にもよるのか。

まあ、今回は映画と史実は違うという話を奇形人間でしてみたがどうか?

まあ、日本にもいたのだろうが歴史の闇に葬り去られて記録にはない。

まあ、あえて言うなら豊臣秀吉に仕え、石田三成の親友だった大谷吉継(1559-1600)が近いかもだが、吉継も若くしてハンセン病に罹り、顔が見れたものではなかったので常に頭巾をつけていたとされている。

奇形ではなく疾患だが、そんな外見でも秀吉の評価は高く、武将としても優秀な部類の武将で人気が高い。

日本ではあまり資料がないので具体的な奇形は分かっていないのが現実である。
いたのだろうが資料に残さなかったのだろうな。

その辺がヨーロッパやアメリカとは違うのだろうな、研究するのと隠蔽する違いがある。