三枝成彰さんのオペラ「KAMIKAZE-神風-」を東京文化会館にて拝見してきました。
特攻隊員の話です。 胸にぐっと来るものがあり、鼻をグスグスさせてしまいました。
春頃からこのオペラを作られていることを知っておりました。 実は昨年の「ふくしま・みんなの・・・」でお世話になったの方が三枝先生の下で働いていらっしゃったからです。それで楽しみにしておりました。
映像と照明もかなり凝っていました。
もちろん音楽は素晴らしかったです。配役の方々も頑張っていらっしゃいました。(そうそう、以前私どものコンサートで歌って頂いた方がプログラムに写真が出ていてビックリ!)
泣かされてしまいました。
劇中にこんな言葉が出て来ました。
「誰かの悲しみの上に私たちは生きている」と。
それは特攻隊が飛び立つ基地の食堂のおばさんの言葉でした。
ある特攻隊員が最後のお別れに母親を訪ねた時、「僕はもうすぐ死ぬのです」と何度言っても、母親は「あんたが死ぬわけないだろう、もっとたくさん食べて体力をつけなさい」と応えるのだそうです。「この命、惜しくはないが、母にとっては唯一無二の命なのだ」と。
劇中では明日飛び立つ特攻隊員の婚約者や妻の悲しみを表していました。
国の為に若い命が沢山亡くなって行きました。
私が会ったことも無い伯父も特攻隊だったそうです。
若干17歳の少年特攻隊でした。志願したそうです。母の兄でした。「志願して落ちた者は今でも生きているけど、成績良く受かった者は亡くなった」と母はよく言っていました。
しかも終戦の1カ月半前の7月2日に鹿児島から沖縄へ飛び立って行ったそうです。子どもの頃良く聞かされました。「帰りの燃料は積んでいかないのよ」と。
母親である私の祖母はどんな気持ちだったのでしょうか。どれほど辛かったことでしょうか。
今は亡き祖母ですが、随分苦労をして来たのだと悲しくなってしまいました。
少なからずも、このオペラは私にも他人事でない話だったわけです。
17歳、たった17歳。これから素晴らしい未来が待っていたのに・・・。
17歳の若者が国を背負って、残った母のため、妹達のために自分の命をささげて行きました。
戦争が如何に虚しく、馬鹿らしいか。
第二次世界大戦で亡くなった日本人の数は310万人だそうです。
どんな事があっても2度と戦争は起こしてはなりません。
オペラを拝見して、心からそう思いました。
今生の別れに子の任地に赴き、一夜を語り明かし
読んだ句があります。
『うつし世のみじかきえにしの母と子が
今宵一夜を語りあかしぬ』
そして帰宅した母の鞄にそっと入っていたのが・・
『いざさらば我はみくにの山桜
母の身元にかへり咲かなむ』
散り逝かんとする我が子をみて どこに
悲しまない母がいようか・・・
しかしこの母は、なお子の潔さをめでんとして
詠みました。
『散る花のいさぎよきをば めでつつも
母のこころは かなしかりけり』
あぁ・・・この悲しみを
もう二度と繰り返してくれないでほしい・・・
「散り逝かんとする我が子をみて どこに
悲しまない母がいようか・・・」
本当にその通り。 亡き祖母の心の奥深くにあった悲しみをもっと理解してあげられたら、癒してあげられたらと、若かった自分を悔やみます。
人の親になってみて、絶対に二度とあのようなことはあってはいけないと思うばかりですが・・・段々国が強国に傾いて行くようで、知らない内に同じ様な状況になっていた、物言えぬようになっていたという怖さをこの頃感じる私です。
平和である事をみんなで守りましょう。