ムーミンパパの気まぐれ日記

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大相撲

2008-09-24 | column
 大相撲秋場所も千秋楽まで残り少なくなってきた。

 なんて言ってはみたものの、本場所は午後6時には取組が終わるスケジュールだから平日は中継を見ることもできないし、週末は週末でサッカーを見に行ったりするので、やっぱりテレビを見ることもない。別に相撲が嫌いというわけでもないのだが、とにかく見る機会がないのだから、興味が薄れてくるのも仕方ないことである。そんな私でも、朝青龍が連続休場で引退の危機だとか、大麻疑惑でロシア人力士が3人解雇されたとか、かつてないほど相撲が注目を浴びていることくらいは知っている。いざとなれば全国民の注目が集まるところは、さすがに「国技」である。しかしながら、その「国技」という言葉が子供の頃から気になっているのである。それはごく単純な疑問ではあるのだが・・・。

 いったい相撲が国技だって誰が決めたのだろう?

 国技の意味を辞書で調べたことはないけれど、字を見れば何となく分かる。ある国発祥のスポーツあるいは国民がとても愛しているスポーツっていうことなのだろう。だから、バスケットボールはマサチューセッツ州で考案されたスポーツだからアメリカの国技だろうし、男の子はサッカーボールを持って生まれてくるとまで言われるブラジルの国技はフットボールなんだろうと思う。そういう観点から、改めて相撲は国技なのだろうかと思うと、ちょっと違和感がある。そもそも相撲というのは格闘技の一部なのだから、ルールや神事との結びつきという意味で日本が発祥の地なのは間違いないが、でもそれはたぶんモンゴル相撲だって同じだろうし、あんまり胸を張って「我が国固有」というほどでもないような気がするのである。取っ組み合いとかかけっこというのは、ある意味で極めて原始的なスポーツなのである。その点では、剣道の方がよっぽど国技らしい。一方で人気という点ではどうなんであろうか。戦前はいざ知らず、戦後はやっぱり野球がダントツの人気スポーツである。とりわけ、競技人口という意味ではもう相撲なんか目じゃないのである。
 とまあ、ここまで書くといろいろと反論も出てくるだろうけれど、要するに国技なんて言葉の上にあぐらをかいていられるほど世の中は甘くないということを相撲協会の幹部にも考えておいてほしいだけである。外国人力士が多いから品格がなくなっただの、若い力士をしつける時間がないだの、そんなことは路上で無差別な殺人が繰り広げられているご時勢に今更なにを言っているのかと思う。変化に対応できない種は滅びるというのは、恐竜だって相撲だって同じである。

 私だってリタイアしたら昼から打ち出しまでのんびりと相撲観戦を楽しみたいのだから、頑張ってもらわなくちゃ困るっていうものである。

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