ムーミンパパの気まぐれ日記

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浦和のハート

2012-04-02 | column
 2012年3月30日、浦和レッズは「3月20日のヤマザキナビスコカップ・ベガルタ仙台戦で負傷し、左膝前十字靭帯損傷と診断された山田直輝が、本日手術をいたしました。全治は約6ヵ月の見込みです。」と発表した。
 
 発表の通りなら復帰は10月以後、公式戦への出場はリーグ戦終了後の天皇杯に間に合うかどうかというところであろう。厳しい予選を勝ち抜いて手に入れたロンドンオリンピックへの出場も不可能になった。21歳の青年に与えらえる試練としては大き過ぎるものであることは間違いない。
 レッズユース出身の生え抜きとして2008年にはユース在籍のままトップチームに登録、すぐに京都サンガ戦に途中出場し、リーグデビュー。西京極陸上競技場のピッチに立った17歳の少年のあどけない顔と彼を気遣い声をかける先輩プレーヤー達の優しさは私にとっても忘れられない光景の一つである。そのまま2009年には正式にトップチームに上がると、すぐに日本代表に選出。レッズでも中盤の要として躍動する姿はまさに順風満帆であった。それが2009年1月に行われたアジアカップ最終予選で右足腓骨を骨折。復帰直後の8月に同じ右足腓骨を骨折。負傷による長い低迷の後、満を持して臨んだ2012シーズン開幕直後の大怪我である。多くのレッズサポが小野伸二がシドニーオリンピック予選の対フィリピン戦で左膝靭帯断裂の重傷を負ったことを思い出したに違いない。怪我はサッカー選手にはつきものとは言え、レッズにも日本代表にも痛い怪我であった。
 そんな直輝が負傷した仙台戦の直後に行われたコンサドーレ札幌との試合。なんとか逆転で勝利した直後、2得点のヒーロー柏木陽介選手は山田直輝の背番号34のユニフォームを着て、また梅司選手は「直輝 一人じゃないぞ!みんな待ってるからな」と書いたアンダーシャツを見せながらサポーターへの挨拶へと向かった。他にも槙野智章選手や阿部勇樹選手がそれぞれに直輝への思いを表現していたようである。とりわけ、かつて右膝前十字靭帯損傷、右膝半月板損傷など、次々と故障を繰り返し、彼はプロのフットボーラーではなくプロのリハビラーだよと揶揄されたこともあった梅崎選手の思いは強かったようである。自分が長い間苦しんだだけに、人一倍直輝の気持ちが分かるのであろう。自身のブログでも3月21日の記事で
 >乗り越えてもっと成長してほしい。
 >乗り越えれるやつだと俺は確信してる。
とメッセージを発している。

 プロの選手がそんな甘ったれた仲良しごっこをしていてどうするんだというような意見も多いだろう。しかし、サポーターはすぐに反応した。それが梅選手たちの行為に触発されたものかどうかは分からないが、アウェイの札幌ドームに乗り込んだサポーター達はそこにいない選手のチャントを大きな声で歌いだした。
 アレ 直輝 ラーララーラー
 アレ 直輝 ラーララーラー
 俺た~ちの 直輝~ 浦和のハート~♪
それは俺たちはお前の復帰を信じて待っているという決意のチャントであった。

 これだからレッズサポはやめられないのである。

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