TV番組で飛鳥の石造物が取り上げられていました。

【亀石】

【鬼の雪隠】 鬼のトイレ??・・・(^^;ではなく、石室の壁と天井部分 ※天地が逆になっています

【鬼の俎】鬼が人を料理??・・・(ーー;ではなく、石室の床部分 鬼の雪隠とセットで石室です。


【猿石】(吉備姫王墓)

【亀形石造物】 (斉明天皇の祭祀に使われたか?)

【酒船石】(用途不明 斉明天皇の占いに使われたか?)これも両端が削られて他に転用されたと思われる。

【石人像】(これはレプリカ)口から水が噴き出す装置=噴水
また、うずうずと飛鳥に行きたくなりました。
大阪なので日帰り観光が可能です。
過去2回は、春の家族旅行として見て回りました。
たくさんあるので、とても一日では回れないです。
2回行ったけど、まだ見てないところや、見落としがあって、今度はしっかりとプランを練っていきたいと思っています。

乙巳の変(昔は「大化の改新」で習ったかも?)の舞台【飛鳥板葺宮】(今は複数の宮殿跡なので飛鳥宮跡と呼びます)

すぐ近くの田んぼの一角に【入鹿の首塚】があります。
入鹿は本当に悪者だったのでしょうか?私はこのクーデターは王殺しだと思っています。
歴史は詳しくないので、あんまり記事に書くとぼろがいっぱい出るんですが、素人の戯言と思ってスルーしていただければ幸いです。(^^;
いま、現在でも正直他人の考えてる事なんて、わかりませんよね。
政治家が何を考えてるのかも?本当に国や国民の為なのかも!?ワカリマセン。ま、たいてい違うと思うけど。
歴史書なんかも、私なんかには難しくてワカリマセン。
日本書紀も古事記もそもそも読めません。
でも、日本創世記の飛鳥時代は本当に面白いです。
日本の歴史は天皇家の歴史でもあるのでタブーが多いですね。
私は天孫族は海の向こうからやってきた人たちだと思っています。
今より国境がきちんとしてなくて、戦争で広まったり狭まったり、あるいは国が滅ぼされてしまったり。
もともと、韓国と日本は近いので、古代でも行き来があり、九州や日本海側などにはたくさんの渡来人がやってきたのでしょう。
任那とか加耶とか、国を失った人たちが大挙して押し寄せたりもしたでしょう。
もう、ここより先に土地はありません。他国に侵略されない強い国に!安心して暮らせる豊かな国に!
古代の国づくりはどんなに大変だったことでしょう。
発掘調査の結果をてらし合わせて、最近はいろんなことがわかってきました。
古墳は日本に140万基あるそうですが、宮内庁管理の天皇陵や皇族のお墓以外は調査が進んで色々な発見があったり、
キレイに整備されて一般公開されているところもあります。

【黒塚古墳】 2002年に来た時よりきれいに整備され美しい古墳です。(「鹿男あをによし」の舞台です)

ここは発掘現場の復元模型や発掘品レプリカの展示館が隣接しています。三角縁神獣鏡のレプリカは手に取ることもできます。
エジプトのピラミッドまで行けないし、規模はずっと小さいけど、日本でも古代に、人力でこれだけのものが
作られていたんだなぁ、という驚きはあります。

【石舞台古墳】 土の部分が失われた方形古墳の石室 (蘇我馬子の墓?と言われている)

この大きな石、人力だけで積んだなんて、すごいですよね。

時代が進むと【牽牛子塚古墳】(斉明天皇・間人皇女合葬陵)のような高度なものになります。
そして、だれが何のために作ったのか?とかなぜ作られたのかの歴史的背景を知るとより興味深く、面白いです。
大仙古墳も、作られたころは今よりもっと海の近く、海岸から見える場所にあったんだとか。
今の地形で考えたらいけないんですよね。
古墳時代、梅田はありません。海です。
大仙古墳から大阪城のあたりまで上町台地が細い半島のようになっていて、大阪市は大方海の中です。
今城塚古墳(推定:継体天皇陵)も変な場所にあるんですが、昔は大阪市が海の中ですから、今城塚も
海岸からさほど離れていなかったのでしょう。
地名というのは面白くて、摂津市は今は海から離れた場所にありますが、摂津の国は大阪湾に面したところですよね。
吹田市の岸辺なんかも、今は全然「岸辺」じゃないんですが、昔は海の近くだったのでしょう。
遺跡なんかもそうですよね。
天智天皇の漏刻跡も、地名が「水落」だったようです。

【水落遺跡】古代の水時計「漏刻」が中央の長方形部分に設置されていたと思われる。
王様として大切な暦や時間の管理おしていた役所ではないかと推定される。
遺跡がうずもれてしまっても地名に残ったということですよね。
古墳なんかもそうですね。地元の人はそこが○○のお墓であると知っていたりします。
ただ、古墳だとばれると色々厄介なので(田畑として使ってたりする)隠したりもされたようです。
そうやって、いつしか忘れられて、只の小山程度に思って破壊されて田畑や宅地になったり、

(箸墓の近くにある箸墓より古い前方後円墳 【ホケノヤマ古墳】一部が畑になっています。}
戦国時代には砦として使われたり、宝物だけでなく、石材も転用のために盗まれたりしてます。
先ほど紹介した黒塚古墳や大阪の今城塚古墳も戦国時代に砦として使われていたようです。

【今城塚古墳】(継体天皇陵ではないかと言われています。今は宮内庁管理ではないので自由に入れます)
また、じっくり記事をまとめてみたいと思います。

【亀石】

【鬼の雪隠】 鬼のトイレ??・・・(^^;ではなく、石室の壁と天井部分 ※天地が逆になっています

【鬼の俎】鬼が人を料理??・・・(ーー;ではなく、石室の床部分 鬼の雪隠とセットで石室です。


【猿石】(吉備姫王墓)

【亀形石造物】 (斉明天皇の祭祀に使われたか?)

【酒船石】(用途不明 斉明天皇の占いに使われたか?)これも両端が削られて他に転用されたと思われる。

【石人像】(これはレプリカ)口から水が噴き出す装置=噴水
また、うずうずと飛鳥に行きたくなりました。
大阪なので日帰り観光が可能です。
過去2回は、春の家族旅行として見て回りました。
たくさんあるので、とても一日では回れないです。
2回行ったけど、まだ見てないところや、見落としがあって、今度はしっかりとプランを練っていきたいと思っています。

乙巳の変(昔は「大化の改新」で習ったかも?)の舞台【飛鳥板葺宮】(今は複数の宮殿跡なので飛鳥宮跡と呼びます)

すぐ近くの田んぼの一角に【入鹿の首塚】があります。
入鹿は本当に悪者だったのでしょうか?私はこのクーデターは王殺しだと思っています。
歴史は詳しくないので、あんまり記事に書くとぼろがいっぱい出るんですが、素人の戯言と思ってスルーしていただければ幸いです。(^^;
いま、現在でも正直他人の考えてる事なんて、わかりませんよね。
政治家が何を考えてるのかも?本当に国や国民の為なのかも!?ワカリマセン。ま、たいてい違うと思うけど。
歴史書なんかも、私なんかには難しくてワカリマセン。
日本書紀も古事記もそもそも読めません。
でも、日本創世記の飛鳥時代は本当に面白いです。
日本の歴史は天皇家の歴史でもあるのでタブーが多いですね。
私は天孫族は海の向こうからやってきた人たちだと思っています。
今より国境がきちんとしてなくて、戦争で広まったり狭まったり、あるいは国が滅ぼされてしまったり。
もともと、韓国と日本は近いので、古代でも行き来があり、九州や日本海側などにはたくさんの渡来人がやってきたのでしょう。
任那とか加耶とか、国を失った人たちが大挙して押し寄せたりもしたでしょう。
もう、ここより先に土地はありません。他国に侵略されない強い国に!安心して暮らせる豊かな国に!
古代の国づくりはどんなに大変だったことでしょう。
発掘調査の結果をてらし合わせて、最近はいろんなことがわかってきました。
古墳は日本に140万基あるそうですが、宮内庁管理の天皇陵や皇族のお墓以外は調査が進んで色々な発見があったり、
キレイに整備されて一般公開されているところもあります。

【黒塚古墳】 2002年に来た時よりきれいに整備され美しい古墳です。(「鹿男あをによし」の舞台です)

ここは発掘現場の復元模型や発掘品レプリカの展示館が隣接しています。三角縁神獣鏡のレプリカは手に取ることもできます。
エジプトのピラミッドまで行けないし、規模はずっと小さいけど、日本でも古代に、人力でこれだけのものが
作られていたんだなぁ、という驚きはあります。

【石舞台古墳】 土の部分が失われた方形古墳の石室 (蘇我馬子の墓?と言われている)

この大きな石、人力だけで積んだなんて、すごいですよね。

時代が進むと【牽牛子塚古墳】(斉明天皇・間人皇女合葬陵)のような高度なものになります。
そして、だれが何のために作ったのか?とかなぜ作られたのかの歴史的背景を知るとより興味深く、面白いです。
大仙古墳も、作られたころは今よりもっと海の近く、海岸から見える場所にあったんだとか。
今の地形で考えたらいけないんですよね。
古墳時代、梅田はありません。海です。
大仙古墳から大阪城のあたりまで上町台地が細い半島のようになっていて、大阪市は大方海の中です。
今城塚古墳(推定:継体天皇陵)も変な場所にあるんですが、昔は大阪市が海の中ですから、今城塚も
海岸からさほど離れていなかったのでしょう。
地名というのは面白くて、摂津市は今は海から離れた場所にありますが、摂津の国は大阪湾に面したところですよね。
吹田市の岸辺なんかも、今は全然「岸辺」じゃないんですが、昔は海の近くだったのでしょう。
遺跡なんかもそうですよね。
天智天皇の漏刻跡も、地名が「水落」だったようです。

【水落遺跡】古代の水時計「漏刻」が中央の長方形部分に設置されていたと思われる。
王様として大切な暦や時間の管理おしていた役所ではないかと推定される。
遺跡がうずもれてしまっても地名に残ったということですよね。
古墳なんかもそうですね。地元の人はそこが○○のお墓であると知っていたりします。
ただ、古墳だとばれると色々厄介なので(田畑として使ってたりする)隠したりもされたようです。
そうやって、いつしか忘れられて、只の小山程度に思って破壊されて田畑や宅地になったり、

(箸墓の近くにある箸墓より古い前方後円墳 【ホケノヤマ古墳】一部が畑になっています。}
戦国時代には砦として使われたり、宝物だけでなく、石材も転用のために盗まれたりしてます。
先ほど紹介した黒塚古墳や大阪の今城塚古墳も戦国時代に砦として使われていたようです。

【今城塚古墳】(継体天皇陵ではないかと言われています。今は宮内庁管理ではないので自由に入れます)
また、じっくり記事をまとめてみたいと思います。
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