母のお見舞い長崎帰り
時間をみつけては、ルーツを探している私。
子供の頃は当たり前だった。長崎の街
グラバー園だって、祖母の家へ遊びに行く、ついでのように寄れた。
平和記念像だって、そばにいるような気分だった。
時間が経って、電車から車から、街を感じてみると
やはり、ここは異国情緒ある街。
どんなに大きな建物があろうとも、一歩道を入ると、空気が変わる。
前回、時間がとれず断念した地・山王神社と一本柱鳥居
ありがたいことに、向かいいれてくださった、山王神社の神様。
二拍手終えた時、葉が音をたてはじめた。
その音に耳をかたむけている時、風が私の体を包んでくれた。
ほんの一瞬の出来事。
原爆のすごさは、子供の時から教えられていた。
夏休みの8・9登校も 原爆の歌も あたり前だった。
あんなに大きく感じていた鳥居が、今は優しく感じる。
これが、月日に流れなのか?わたしの心なのか?
ふと、よぎった長崎の午後でした。